米ノーベル賞受賞の「3割は移民」/国力削ぐ科学技術の「ジャパン・ファースト」

2025年12月号 LIFE
by 倉澤治雄 (科学ジャーナリスト)

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北川博士(右)とともに化学賞を受賞したパレスチナ・ガザ出身のヤギ博士

2025年のノーベル賞は生理学・医学賞に大阪大学特任教授の坂口志文博士、化学賞に京都大学特別教授の北川進博士が選ばれ、ダブル受賞に沸いた。坂口博士の「制御性T細胞の発見」は自己免疫疾患、アレルギー、がん治療などへの応用が期待される。北川博士の「金属有機構造体(MOF)の開発」は二酸化炭素の回収や水素の常温貯蔵、有用物質の分離・精製・回収、触媒や新素材開発への応用が期待される。北川博士は講演で「実用化が進めば空気は『見えない金』になる」と語った。

その北川博士とともに化学賞を受賞したのが米カリフォルニア大学バークレー校のオマール・ムワネス・ヤギ博士である。ヤギ博士は壮絶な人生を歩んできた。両親は「天井のない監獄」と呼ばれるパレスチナ・ガザの出身である。ヤギ博士はヨルダンの首都アンマンで貧しいパレスチナ難民の子として生まれた。両親は読み書きすらできなかった。15歳の時、父親から「米国で学べ」と言われ、ニューヨーク州トロイの高校に移籍したが、英語での会話もままならなかった。生計を立てるために床掃除や食料品の袋詰め作業もいとわず、「化学に熱中していた」とヤギ博士は振り返る。高校卒業後、ニューヨーク州立大学オルバニー校に進学、1985年に学士号、1990年にイリノイ大学から博士号を取得した。

「世界を平等にする偉大な力」

「化学」とは原子や分子が他の物質に出合う時の「化け方(変化や反応)」を極める学問である。ヤギ博士は1990年代初めに金属と有機物を用いた結晶の開発を思いついたが、当時は実現不可能と考えられていた。その後ハーバード大学、ミシガン大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校を経て2012年にバークレー校の教授に就任、共有結合性有機構造体(COF)や金属有機構造体(MOF)と呼ばれる超多孔質材料の開発で、北川博士、リチャード・ロブソン(豪)博士と共に化学の新たな分野を切り開いたのである。

ヤギ博士は受賞が決まった直後の記者会見で、「科学とは世界を平等にする偉大な力です」と述べるとともに、「賢明な人々、才能ある人々、技能を持つ人々はどこにでも現われます。だからこそチャンスを提供して彼らの可能性を解き放つことに集中すべきなのです」と語った。

ヤギ博士にチャンスを提供した米国は科学の楽園だった。雑誌『タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)』(10/16)は「米国の大学は長く羨望の的だった」と書いた。トランプ2・0が出現するまでは……。

『Nature』(web版10/9)は今世紀の自然科学3賞の受賞者202人のうち、63人が出生国を離れて研究を続けた「移民である」との調査結果を発表した。しかも63人のうち41人が米国で才能を開花させたのである。

トランプ政権の移民政策は熾烈を極める。新規移民の流入抑制だけでなく、在米移民の強制送還を柱としており、各地で強制送還をめぐるトラブルと訴訟が頻発している。トランプ大統領は移民政策を見直す複数の大統領令に署名、留学生ビザや文化交流プログラムビザ、報道ビザの申請を厳格化した。

中でも物議をかもしているのがH-1Bビザである。同ビザは科学技術、法律、医療、会計、教育などの専門分野で「特殊技能職」として雇用する際に発行されるビザである。トランプ政権はH-1Bビザの取得費用を10万ドルに引き上げたのである。これによりハイテク業界は大混乱に陥った。最も影響を受けたのがインドである。米市民権・移民局(USCIS)によると、同ビザの国別取得者数はインドがトップで27万9386人、中国が2位で4万5344人である。米国IT企業トップには海外出身者が多い。マイクロソフトのサティア・ナデラCEO、アルファベットのスンダー・ピチャイCEO、IBMのアルビンド・クリシュナCEOはインド系である。今を時めくNVIDIAのジェイスン・ファンCEO、AMDのリサ・スー会長兼CEOは台湾系、ZOOMのエリック・ヤンは中国系、インテルCEOのリップ・ブ・タンとブロードコムのホック・タンはともに中華系マレーシア人である。米国のIT産業を支えているのは実はインド系と中華系のエンジニアなのである。

『Nature』は「新しい人材は皆、新鮮なアイデア、新しい技術、新しい視点をもたらしてくれる。移民を歓迎する国こそが先見の明を持ち合わせているのである」という専門家の言葉で記事を結んだ。

振り返ると日本でも「ジャパン・ファースト」などと、耳当たりのよいキャッチフレーズで排外主義を煽りかねない政治勢力が出現し始めた。標的の一つとなっているのが東大である。「東大に中国人が急増」などの雑誌記事とともに、中国人留学生の入学あっせん「疑惑」や医療保険「不正利用疑惑」、中国人留学生「奨学金優遇疑惑」などがSNS上で拡散する。現実はどうか。

東京大学の全学生数は2万9956名で、留学生総数は5234名である。1995年の1780名から30年間で約3倍に増えた。全学生数に占める留学生の割合は17.47%でグローバル化が進む海外の著名大学と比べると格段に低い。「世界大学ランキング(THE)2026」第1位オックスフォード大学の留学生シェアは約45%に達する。

大学院に着目するとオクスフォード、ケンブリッジが50%超、ハーバードやMITが40%超となる中、東京大学は30.66%にとどまる。また東大に在籍する中国人留学生数は3486名で、うち3323名が大学院生である。とくにドクターコースは全学生数6762名のうち23%強にあたる1614名が中国人留学生で、日本の学生が就職の遅延などを理由にドクターコース進学に消極的となる中、外国人留学生が旺盛な進学意欲を見せているのが実情である。東大農学部のある准教授は「中国人大学院生がいなくなれば、研究室はとても寂しくなります」と語る。

中国は高度人材の供給源

中国・西安石油大学生の東大訪問団

『東大新聞オンライン』は「東大と増加する中国人留学生」をテーマに、2度にわたって特集(4/25、6/3)を組んだ。副学長の林香里情報学環教授は「中国の優秀な学生が東大を選んでくれるのは非常にありがたい」と語るとともに、「中国人留学生を優遇しているという事実は全くない」ときっぱりと否定した。また研究の世界は厳しい競争にさらされており、「キャンパスが国際化することはもはや避けて通れない」と強調したうえで、今後はインド、スリランカ、バングラデシュやアフリカ諸国など、「グローバルサウスに注力していく」と語った。

中国人留学生の進出は米国で最も顕著である。米国でPh.D.を取得する大学院生5万7000名のうち、中国人留学生は6500名を超える。冒頭のヤギ博士は2021年にサウジアラビア国籍を取得したが、研究室のウェブサイトを覗いてみると、エンジンとなる博士研究員(ポスドク)9名のうち5名が中国系で、生粋の米国出身者は1名のみである。

毎年1000万人を超える大学卒業生を輩出する中国は高度人材の供給源として最大である。オーストラリアはこれを逆手に取って、いまや留学生受け入れ事業は鉄鉱石、石炭、天然ガスに次ぐ第4位の輸出産業となっている。オーストラリアの留学生総数は85万人にのぼる。

少子高齢化が進む中、科学技術や教育分野での排外主義は日本の国力をさらに削ぐことになるだろう。世界の優秀な頭脳を集める以外に、日本の科学技術力復活はない。オーストラリアのしたたかさを見習うべき時なのである。

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倉澤治雄

科学ジャーナリスト

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