スクープ再掲!/国家安保局長「岡野更迭」の真相/行動力・構想力がない「林芳正―岡野正敬」(9月号より)

2025年11月号 POLITICS
by 高安倖史 (ジャーナリスト)

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林芳正内閣官房長官

世界は大乱世に突入した。軍事力を誇示する一方、関税を直接の武器に替えて戦後秩序を壊しにかかっている米大統領・トランプ。地響きが聞こえて来る異次元変動と世界に吹き荒れるメガトン級の嵐、その只中で、参院選惨敗ショックを引きずる首相・石破茂の足元が大きく揺らぐ。「トランプ2.0」の下、各国とも海図なき「未知との遭遇」への対応に迫られているのだが、いまの日本には外交の司令塔が実質的に存在しない。本来なら、石破首脳外交を中心的に支えるはずの外相経験者、林芳正(官房長官)と首相ブレーンの役割を担う岡野正敬(国家安全保障局長)の「守りの外交」路線が、「大乱世の世界」へと激変した大情況とのミスマッチを起こしているためだ。

「類は友を呼ぶ」陣容に

この夏、霞が関幹部人事で、外務省に関わる二つの人事異動が注目された。その一つは、外交担当官房副長官補・市川恵一の退任、東南アジア諸国連合(ASEAN)主要国への転出だ。

市川の同副長官補就任は2023年夏。以来、満2年という点を考えれば、傍目には決して驚くに当たらないのだが、永田町・霞が関には驚きを隠さない者が少なくない。今回の人事の内実を探れば、その根っ子はもっと深い所にあるためだ。

市川は、外務省エリートの登竜門とされる総合外交政策局安全保障政策課長及び同局総務課長を務めた後、在米大使館公使や北米局長、総合外交政策局長などを歴任、机上の空論ではなく外交政策を実際に動かせる外務官僚として評価された。

秋葉剛男(当時、事務次官、後に国家安全保障局長)の下で命名され、安倍首脳外交の代名詞となった「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)戦略構想のネーミングは、市川が案出したもの。前例踏襲派が育ちやすい「国際法(条約)墨守」官僚たちと違って、政治家とも臆せず自由闊達に潔い議論の出来る野生派の官僚だ。民主党政権の枝野幸男、復権した自民党の藤村修、菅義偉という三代の官房長官に秘書官として仕え、政治と外交の接点を取り持ってきた。外交を実際に動かすには、政治家のパワーをテコにすることが重要である点を知り尽くした実践派の外交官だ。

市川は、現外務事務次官・船越健裕の後任候補として有力視されていたが、秋に大使として転出することで、事務次官への道は狭められた。その背景には、「林(官房長官)の外相時代に政策論議で対立、不興を買ったことが災いした」(関係筋)との説が広がっている。

その林はと言えば、高祖父の時代以来、貴族院・衆議院議員を輩出した長州の名家出身で、「銀のスプーン」をくわえて生まれて来たエリート政治家。東京大学法学部を卒業後、三井物産などを経て、ハーバード大学ケネディ・スクールに留学(修士)、米上下両院議員の下でインターンを務めるなど、華麗なキャリアを誇る。地元では、岸・安倍家よりも格上の名門と言われる。安倍晋三亡き山口県の期待を背負って、総理・総裁の座を虎視眈々と狙っているが、林が特に目をかけて来たのが、外務省切っての頭脳派外交官、岡野正敬だ。

岡野正敬国家安全保障局長

Photo:Jiji

その岡野は「トランプ2.0」が始動した1月20日、安倍-菅-岸田各政権の首脳外交を中軸で支えて来た外務事務次官-国家安全保障局(NSS)局長の秋葉の退任に伴い、後任のNSS局長に就任した。この夏の市川及びそれに伴う外務省幹部の人事異動は、「常識的に、1月に就任した際にワンセットで決まっていた人事」(霞が関・事務次官経験者)。林―岡野が実質的に固めたものと見て間違いない。

林は、公家集団と称されてきた旧「宏池会」に根っ子を有し、自身の「ブルー・ブラッド(貴族)」的ファクターを強く意識してきた人物。政官の違いはあれ、京都出身の岡野が事務次官時代に配した外務省現体制の陣容にもそれが映し出されている。類は友を呼ぶ、である。

この夏、注目されたもう一つの人事は、NSS絡みの外務省人事だ。仕事師として知られる室田幸靖の処遇だ。室田は、本省で総合外交政策局安保課長や同局総務課長を歴任、NSSに異動すると、初代局長の谷内正太郎、第三代の秋葉に仕えたが、この8月、NSSナンバー3の内閣審議官を辞して、ロサンゼルス総領事として米国に飛んだ。

室田は、「安保三文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)」の作成(2022年12月)に深く関わった逸材。「谷内-秋葉」の路線を引き継ぐ外交安保マフィアだ。特に「国家安全保障戦略」の作成にあたっては、有能な防衛官僚、増田和夫(防衛政策局長、後に防衛事務次官=この夏退任)と二人でまとめ上げ、中長期的な国家安全保障政策の礎を築いた。また、2月の石破首相訪米の際には、初の日米首脳共同声明を、国家安全保障局(NSC)アジア上級部長カナパシーとの間で調整・作成、日米同盟の円滑な継承に貢献した。

独特のエリート臭を漂わせて「受け身の…否、守りの外交」を堅守して昇格する外務官僚が多い中で、室田は市川同様、「攻めの外交」を貫ける外務官僚。政治家や他省庁から「外務省らしからぬ官僚」として、一目置かれる存在だ。その点、構想力と政治のパワーを巧みに利用して政策を実現する、言わば「思索と実践力」を兼ね備えた谷内-秋葉の系譜に属する官僚だ。

今回の総領事転出にあたっては、「在京勤務12年の長さ」が理由とされるが、嫉妬と時の巡り合わせは幹部人事には付きもの。「トランプ2.0」の出現によって不可避となった世界新秩序構築への実践力が問われる現在、世界は、何が飛び出すか予測不能になった。海図なき世界は、教科書通りには行かず、新たな構想力と柔軟な対応力が問われる。

実践派の山田重夫が駐米大使として転出後、孤軍奮闘気味の事務次官・船越には、林-岡野ラインの結束の固さに遠慮気味な姿勢が目立つ。頭脳派でいかに優秀でも「守りの外交官」が際立つ現体制で「日本外交は大丈夫か」との疑問が生じる。そういった懸念の声が、永田町・霞が関には広がりつつある。

「守りの外交」は通用しない

現に、7月24日にタイ・カンボジア国境で勃発した両国軍の軍事衝突への対応では、「受け身の外交」が露わになった。それは、東南アジア重視を看板としてきた日本外交にとってお粗末な場面だった。

両国は同日午前の銃撃戦を機に、カンボジア軍が砲撃するとタイ軍がF16戦闘機で反撃。各国に緊張が走った。日本外務省は同夜、「外務大臣談話」を発出、翌25日には、官房長官・林が「深い憂慮」の念を示した上で「対話を通じて平和的に解決されることを強く希望する」とコメント。同日夕、外相・岩屋毅が、カンボジア副首相兼外相ソコンと電話で会談、「最大限の自制」を促したが、タイ外相マーリットとの電話会談は、両国の停戦合意後の7月30日だった。

この間、同じくASEAN重視を掲げる中国はと言えば、外務省副報道局長・郭嘉昆が28日「わが国は和平交渉と停戦へ向けて建設的な役割を果たす」と表明。軍事衝突直後から停戦仲介に乗り出したASEAN議長国マレーシア首相アンワルに対する具体的な支援方針を明確に打ち出したのだ。そして同日午後、同国の首都クアラルンプール近郊でのタイ・カンボジア首相級会談に米国代表と共に参加、東南アジアでの存在感を示した。

型通りの談話、記者会見コメントと電話会談で済ませ、言わば「口先外交」で事態を注視していた石破政権。対する中国は仲介外交に関与するため、いち早く行動を起こした。わずか5日間で停戦合意となったこの一件は、地味なエピソードだが、アジアにおいて具体的な外交行動を可視化しなければ、日本のアジア外交の存在感は希薄になるだけ。日本外交の行動力と構想力の欠如、そして司令塔不在を象徴する一幕だった。

世界は「トランプ2.0」の下で、“失点しない”エリート官僚をいくら並べ立てても「守りの外交」では通用しない「不確か変幻の時代」に突入した。今や、日本は「攻めの外交」を積極的に推進しなければならない。それにはまず、その認識と自覚を持つ必要がある。(敬称略)

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高安倖史

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