必読!/武田薬品「初のスーパーウーマン社長」/身長180cm「ジュリー・キム」の突破力

お披露目の株主総会で日本語の挨拶。ダイバーシティを象徴する「スーパーウーマン」登場!

2025年9月号 LIFE

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日本語で挨拶する次期社長のジュリー・キム氏

大阪で6月25日に開かれた武田薬品工業の株主総会で、クリストフ・ウェバー氏(58)に促されて登壇した女性は株主に対して丁寧にお辞儀をした。

「皆様、はじめまして。ジュリー・キムと申します」

大きな黒いリボンをつけた白い洋服に身を包んだキム氏(55)は、微笑むと、たどたどしい日本語で自己紹介した。

「韓国のソウルに生まれ、幼い頃に米国へ移り住みました。その後は米国で育ち、これまで香港、英国、スイスで仕事をし、60カ国以上の市場を担当しました。家族は夫、そして息子と娘が1人ずついます。犬と猫も大切な家族の一員です。武田の今後の発展に、私自身も胸を躍らせています」

言い終わって再びお辞儀をすると、会場からは一斉に拍手が送られた。武田では来年6月にウェバー氏が社長を退任。後を継ぐキム氏はこの日、短いながらも株主の前に姿を見せた。240年を超える歴史を持つ武田で女性社長は初めて。しかも韓国系米国人という「ダイバーシティ」(多様性)を象徴するスーパーウーマンが、日本を代表する製薬企業のトップとなる。

買収企業出身の「日陰の花」

新社長が発表されたのは今年1月。しかし、明らかにされたのは経歴だけ。どのような人物なのか――。日本のメディアで人となりが報じられることは皆無だった。武田は日本企業では珍しく総会を報道機関にオンラインで公開しており、キム氏の挨拶も中継された。丁寧なお辞儀と日本語での自己紹介は、由緒ある名門製薬企業、武田へのリスペクトを感じさせるものだった。同社は2014年に、ウェバー氏が初の外国人社長となり、瞬く間にグローバル企業に変身した。在任10年のウェバー氏は総会で「こんにちは」程度しか話したことがなく、キム氏の挨拶は対照的だった。

同じ黒い目の韓国系ということに親しみを感じた株主もいたようだが、何より目を引いたのは身の丈。「180センチはある」(同社社員)。米大統領ドナルド・トランプ氏の娘、ファッションモデル出身のイヴァンカ氏とほぼ同じ背丈だ。

米国のビジネス誌や彼女のSNSを調べると、韓国から移民した苦労人であることが分かる。医者である母親は、キム氏が女の子だったことから、男尊社会の韓国より米国で育てることを選んだ。キム氏は自身について「運動神経がよくなく、人気者でもなかった」「働き始めてからも典型的な裏方」だったと振り返る。

彼女のSNSから母親を非常に尊敬していることが分かる。異国の地で子供を育て働き続けた母親は、キム氏の誇りだった。偉大な母親が亡くなり、弔問に訪れる人たちの多さが、キム氏の生き方に変化を与えた。母親譲りのプライドが、キム氏の原動力だろう。もちろん「マイノリティの壁」に苦しむことがあった。自身がプロジェクトリーダーでありながら、白人男性ばかりの職場で疎外された経験があったそうだ。

武田の社員は「彼女は見知らぬ社員にも気さくに挨拶し、話を聞いてくれる」と語る。過去のインタビュー記事を読むと、彼女には「アウトサイダー」の自覚があり、主流ではない自分の意見が聞き入れられないことに悩んだと打ち明ける。アウトサイダーの苦労をしながら、今の「傾聴力」を身につけたようだ。

キム氏は当初、ライフサイエンス関係のコンサルティング企業に勤めた後、医薬・医療機器大手の米バクスターに入社。分社化されたバクスアルタに移り、同社はアイルランドの製薬会社シャイアーに買収され、武田が19年にシャイアーを買収した。要は2度の買収を潜り抜け、辿り着いた先が武田だった。

武田ではUSビジネスユニットプレジデントとUSカントリーヘッドを担当。売上収益4兆5815億円(25年3月期)の半分を稼ぎ出す米国市場を任され、実績を上げていたが、社長候補としては「無印」だった。買収会社出身だから「日陰の花」だった。社長候補にはラモナ・セケイラ氏や古田未来乃氏が取り沙汰されていた。セケイラ氏は米イーライリリーから15年に入社し、キム氏と同じく米国トップを務めた。一方、金融業界出身の古田氏は10年に入社し、日本法人代表を経てCFOに抜擢された。日本人である古田氏には、日本人の幹部・OBから待望論があった。買収したシャイアーの女性社員が抜擢されたことに「母屋を取られた」と嘆く向きもある。

「アジア市場」攻略の使命

社長の人選は、取締役会の諮問機関である指名委員会で3年前から検討されてきた。株主総会では指名委員会の飯島彰己委員長(元三井物産会長)が「第三者機関のサポートを得ながら、インタビューをしたり、包括的な候補者の報告書を貰ったり、いろいろな方面から参考意見を聞き、ウェバー社長による数回の面談を経て、社内外の多数の候補者から数人に絞り込みました」と語った。経団連副会長や日本銀行参与を歴任した飯島氏の目にも、キム氏のこれまでの足取りが、新時代のトップに相応しく思えたようだ。

キム氏がアジア系であることは、武田の将来を占う上で興味深い。ウェバー氏が初の外国人社長に就き、武田は脇目もふらずグローバル化を推し進めた。薬価引き下げで低迷する日本市場より、海外の成長市場に軸足を移したのだ。旧・湘南研究所で大規模なリストラを断行し、日本法人の営業部門でも希望退職者を募った。今では売上収益の9割を海外で稼ぎ、日本は1割に満たない。とはいえ売上収益の半分は米国市場が占め、グローバル化といっても米国中心だ。かねてウェバー氏は「米国に依存し過ぎ。少し異常だ」と発言。長期的には東南アジアやアフリカ、さらに急成長する中国市場は「欠かせない」と語っていた。

米国市場はトランプ大統領による高関税や薬価引き下げ圧力による成長鈍化の兆候が見られる。武田はトランプ関税について、中国に工場を置かない方針などを取ってきたおかげで「影響は限定的」としているが、薬価引き下げ政策の影響は避けようがない。米国一辺倒から脱するため、巨大マーケット・中国に隣接する韓国生まれのトップを選んだとの見方がある。現在、武田の中国での売上収益は4%程度。中国を含むアジア市場を如何に攻略するか、キム氏の力量が問われる。

懸念があるとすれば、新薬開発の舵取り。新型コロナウイルス感染症の流行時に、担当する血漿分画製剤での経験を生かした新型コロナ薬の開発を提案。米CSLベーリングなど他社も巻き込んで共同開発に乗り出したが、失敗(断念)した。新薬開発の「目利き」には不安が残る。

キム氏は現在、米ボストンに在住している。彼女は米製薬業界で有名なだけでなく、公共図書館の評議会で活躍するなど社会貢献にも熱心だ。特に女性の地位向上に尽力しており、米国では製薬企業の女性幹部のロールモデルとしてメディアに頻繁に取り上げられている。彼女が東京に居を移したら、日本経済界に大きなインパクトを与えるだろう。

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