農協組織や自民党農林族にべったり、消費者のことなど何も考えていない。
2024年10月号 POLITICS
米が空っぽのスーパーマーケットの棚(東京・江東区)
Photo:AFP=Jiji
スーパーの店頭から米が消えている。平成の米騒動がおきた1993年は大冷害の年で米の作況指数は74だったが、今の状況はその時とは全く違う。昨年は高温障害で低品質の米が多かったものの生産総量は平年並みで、今年も平年作が予想されているのに、米が店頭から消えること自体、農政の大失態である。
この根本的な原因は、旧態依然たる米政策にある。2018年に米の生産目標数量の「行政による配分」は廃止されたが、その後も、米の「生産調整」、いわゆる「減反」「転作」は行われている。
国が米の需給見通しを作り、水田で米を作らず麦・大豆等を生産すれば手厚い補助金を交付することで、生産量を国内需要に合わせるという仕組みが、いまだに継続しているのである。
官製の需給見通しが正しいとは限らないし、ぎりぎりの需給均衡を狙っていけば、気候変動などちょっとしたことで供給不足に陥る可能性は十分にある。これが今回の米不足だ。
農協組織は、いまだに価格維持が金科玉条で、そのためには国内の需給バランスをとることが必須と考えている。自分たちが汗をかいて販売努力をしたり、海外市場を開拓しようなどとはつゆほども考えていないから、生産調整にしがみつくのである。生産調整を続けていけば、人口減少による需要減少に伴って、生産規模はどんどん小さくなるが、農協組織はそんなことは気にもしていない。
農協組織の総本山「JAビル」(東京・千代田区)
平成の米騒動の反省を踏まえて、米の政府備蓄制度が1995年に導入されたが、農水省は、今回の事態を見ても備蓄米を放出しないと言っている。備蓄米を放出すれば価格が下がるので、農協組織や自民党農林族が反対しているからだ。
店頭から米が消えれば農協は価格を引き上げやすくなるので、農水省はあえて状況を放置してきたとしか思えない。農水省は日常的に関係業者と情報交換しているはずであり、今日の事態になるのが分からなかったわけはないし、本当に分からなかったなら農水省は無能と言わざるを得ない。事態が予測できれば、その段階で関係業者に円滑な流通を要請したり、備蓄米の放出の準備をするのが当然だが、マスコミで問題になるまで何もしていないのである。要するに、農水省は、農協組織や自民党農林族のことは考えても、消費者のことなど全く考えていないのだ。
改革意欲のない岸田政権の下で、農業政策は農協組織や自民党農林族のやりたい放題であり、農水省は単なる農協迎合組織に成り下がっている。その象徴が、今年行われた農業基本法の改正だ。
政府与党は、この改正は「食料安全保障の強化」のためのものと説明しているが、今回の米不足の対応を見れば、これが真っ赤な嘘であることは明白だ。
「食料安全保障」というなら、最も重要なのは米政策をどうするかである。主食である米を安定供給しようと思えば、輸出拡大を進めて国内生産を拡大しておくことが必要である。輸出していれば、いざという時にはそれを国内に供給することができる。つまり、生産調整はやめていかなければならない。
しかし、今回の基本法改正に至る経緯の中で、米政策については議論すらされていない。食料・農業・農村審議会では、米政策の見直しを求める意見があったのに、農水省はこれを完全に封殺した。
今回の農水省の対応を見ていれば、米が93年のような大不作になったとき、あるいは、小麦の輸入が大きく減少したとき、そしてそうした状況が数年続いたときに、大パニックになることは必至である。そもそも、唯一自給できる穀物である米の生産を縮小し続けて、食料安全保障が確保できるわけがないではないか。
今回の農業基本法の改正は、明確に、農協組織と自民党農林族が主導した。彼らは、これまでの基本法に基づく農業の構造改革や農協改革が気に入らず、これに「新自由主義」という事実無根のレッテルを貼って、改革を反転させようとしたのである。
「高齢化で農家の数が減って大変だから、小さい兼業農家を大事にすべき」「農協はよくやっているから、国は農協改革などと言わずに農協を支援すべき」「価格転嫁は農協の仕事でなく、国の責任」というのが彼らの主張であり、改正法の中にこれらが書き込まれている。
既に構造改革で農地の6割は専業農家に集積されており、生産性を向上させるには、これを更に加速していくことが大事だし、輸出拡大を本格化するには、それを担うべき農協、特に全農の改革が必要なのに、改正法は、それにブレーキをかけているのである。
経済安全保障を考えるときに重要なことは、重要産業を国際競争力のあるものにすることである。いま国が半導体についてやろうとしていることはそういうことであろう。農業だけ、国際競争力がなくてよいということにはならない。
基本法改正をめぐる国会での議論を見ても、日本維新の会が少しまともな議論をしていたが結局改正に賛成したし、他の野党は改正に反対したが、言っていることは農協組織と同じという、おかしな状況である。要するに、日本には食料安全保障をまじめに考えている政党はないということである。選挙での農協組織の支援を求めて「食料安全保障」と念仏のように唱えているだけなのだ。
食料安全保障は、生産者の問題ではなく、消費者の問題である。終戦直後の食料難も、農村の問題ではなく、都市住民の問題だった。農協という既得権団体に迎合する政治では、消費者は置き去りにされるのである。
マスコミも、農業問題の本質が分からず、「大本営」発表を垂れ流すような記事ばかりである。そのことが、農協組織や自民党農林族のやりたい放題を招いている面もある。担当記者が1年程度で交代するというマスコミの人事システムの中で、本質を見抜いた記事が書けるはずもないのだが、農業問題についての政府与党の詐欺的な説明にも問題がある。
そのマスコミの中で、日本経済新聞の変節ぶりは、驚くほどである。以前の日経は、一貫して農政改革を強く求めていたが、ここ数年は農協組織・自民党農林族の片棒を担ぐような主張を掲載している。農協組織発行の日本農業新聞とどこが違うのかと思うほどである。
例えば、8月22日付社説『農地を守り安保を強める計画に』は、改正基本法を踏まえた基本計画の策定を取り上げているが、大規模農家だけで農地を守るのは難しいとし、小さい農家を含めて多様な経営が必要だと論じている。これは農協組織の主張そのものだ。また、米政策の見直しに全く触れずに、小麦・大豆・飼料用トウモロコシの増産を求めている。要するに米から他作物への転作の強化ということである。転作を50年以上推進してきても、小麦等の増産はこの程度だし、転作が今回の米不足の原因でもあるのに、こんなことを主張しているのだ。
これは一介の記者が書いた記事ではなく、報道機関たる日経新聞社としての社説だ。「貧すれば鈍する」というが、経営が厳しくなり、新聞広告やイベントで農協組織と協調した結果がこれだとすれば、日経はもはや報道機関を名乗る資格すらなくしているのではないか。
今回の米不足と農水省の対応ぶりを踏まえて、この機会に農業政策をまじめに考えなければならない。いざという時に困るのは消費者なのだから、政府・与党・野党・マスコミは、消費者の立場に立って考えなければならない。
岸田文雄首相が坂本哲志農相に対して、消費者の立場に立って考えるよう指示したが、珍しくまともな指示である。デタラメな農協迎合農政をやめることが食料安全保障の第一歩である。