野上弥生子日記と法政騒動

教授たちの多数派工作

2011年9月号 連載 [日記逍遥 第32回]

  • はてなブックマークに追加

「法政大学に危機 予科四十七教授結束 辞表を提出」昭和9年1月7日の東京朝日新聞は、法政騒動が頂点に達したことを告げている。その日の野上弥生子日記には、次のように記されていた。「三面に父さん、森田、山崎の三人の肖像入りで、法政の四十七人の教授結束辞任の決意を大々的に書き立てゝくれた。…これはテツトウテツビ教授団ヨウゴの記事となつた」「父さん」は弥生子の夫で、法政大学理事・学監・予科長の野上豊一郎、それに森田草平、山崎静太郎である。昭和6年に学長松室致が亡くなり、法政騒動の幕はあがる。放漫経営による巨額債務に悩む経営を立て直そうと、平貞蔵らは急進的な改革案を野上に提示した。だがこれが拒まれると、逆に野上排斥運動となって学内に広まり、7年秋には辞任要求の声まであがる。運動の中心にいたのは同じ漱石門下の森田草平であった。8年春には予科のドイツ語にお ………

ログイン

オンラインサービスをご利用いただくには会員認証が必要です。
IDとパスワードをご入力のうえ、ログインしてください。

FACTA onlineは購読者限定のオンライン会員サービス(無料)です。年間定期購読をご契約の方は「最新号含む過去12号分の記事全文」を閲覧いただけます。オンライン会員登録がお済みでない方はこちらからお手続きください(※オンライン会員サービスの詳細はこちらをご覧ください)。