沖縄返還交渉密使の青春
2010年7月号 連載 [日記逍遥 第18回]
矢部貞治の日記に、東大生若泉敬の名前が初めて登場するのは、昭和27年10月17日のことであった。「土曜会をやっている矢崎新二君が来る…人文科研のことも話して、困っている学生に二千円位なら補助していいと言ったら、若泉君と佐々に話してみるという」ほどなく、連れ立ってやってくる。「日活会館に行く。東大の学生(矢崎、若泉、佐々、新居)が既に来ていて暫く話す」(10月20日)数日後若泉は、矢部のもとを一人で訪ねる。12月の矢部日記がその理由を語ってくれる。「日活会館。恰度多少学資をやっている東大の若泉が来ていて、国連主催の学生会議で印度に行くというから少し印度のことを話し、送別の意味で二千円やっておく」(12月15日)人文科研、人文科学研究所による学費援助を利用できるよう頼んだのである。所長の矢部は、みずからが苦学生だったこともあり、有力な後ろ楯のない後輩に、か ………
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