中原延平日記と道義的禁輸

役所がいちいち口を出す

2009年12月号 連載 [日記逍遥 第11回]

  • はてなブックマークに追加

「昨夜は眠れず、今夜はよく寝たきものなり。フードリーは是非やりたし。これが出来ねば東燃の事業の見込み付かず。やれば必ず成功すべし」昭和14年10月26日、東燃の技術担当常務だった中原延平は、ニューヨークのホテルでそう書き記している。その年の7月、航空燃料であるガソリンの生産を目的に東亜燃料工業、東燃が設立されると、中原は接触分解法の導入を計画する。軽油を触媒と接触させて分解し、高オクタン価のガソリンを生産する画期的な技術で、検討ののち東燃では、仏人フードリーが開発し、すでに実稼働に移っていたフードリー法を選び、担当常務みずから渡米して交渉にあたる。だが画期的なだけあって、特許料は285万ドルと高額だった。機械類ともども425万ドル、1800万円で、東燃の資本金5千万円からすると、その金額に「昨夜は眠れず」となったのも無理はない。中原延平は、明治23年に淡路 ………

ログイン

オンラインサービスをご利用いただくには会員認証が必要です。
IDとパスワードをご入力のうえ、ログインしてください。

FACTA onlineは購読者限定のオンライン会員サービス(無料)です。年間定期購読をご契約の方は「最新号含む過去12号分の記事全文」を閲覧いただけます。オンライン会員登録がお済みでない方はこちらからお手続きください(※オンライン会員サービスの詳細はこちらをご覧ください)。