カーメン・ブラッカー博士(日本研究者)

日本学講座を守った

2009年9月号 連載 [ひとつの人生]

  • はてなブックマークに追加

カーメン・ブラッカー博士が日本に関心を抱くようになったのは、子供のころ、著名な精神科医だった父親が、戦前に東京の英国大使館付武官を務めたフランシス・ピゴット少将と親交があったからだ。当時、ピゴットは日本と日本語によく通じた一握りの英国人だった。彼女は日本語をほとんど独学でマスターしており、それほど日本への関心は強かった。第2次大戦が迫り、彼女が英ブレッチリー・パークの政府暗号学校(編集部注=現在の傍受機関GCHQ〈政府通信本部〉の前身。ドイツの暗号「エニグマ」や日本の暗号を解読した)で日本語担当に選ばれたのも、その情熱のなせるわざである。終戦後は、ロンドン大学東洋アフリカ学学院(SOAS)で研究を続けて1947年に卒業、オックスフォード大学サマビル・カレッジで哲学・政治・経済学を専攻、50~51年に米ハーバード大学エンチン研究所にフェローとして在籍した ………

ログイン

オンラインサービスをご利用いただくには会員認証が必要です。
IDとパスワードをご入力のうえ、ログインしてください。

FACTA onlineは購読者限定のオンライン会員サービス(無料)です。年間定期購読をご契約の方は「最新号含む過去12号分の記事全文」を閲覧いただけます。オンライン会員登録がお済みでない方はこちらからお手続きください(※オンライン会員サービスの詳細はこちらをご覧ください)。