有馬頼寧日記と頼義の小説

父子相克、虚構とせめぎ合い

2009年2月号 連載 [日記逍遥 第1回]

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戦後も遠くまできたからか、大正から昭和にかけての日記を数多く目にするようになった。多くは近代史研究の貴重な史料となっているのだが、なかには路地に分け入ると興味深い物語がひそんでいるものもある。華族政治家だった有馬頼寧(よりやす)の日記などその典型で、路地は入り組み、物語に溢れている。まずは38年間続いた日記の最後の記述から入りたい。「晴れたり曇ったりの天気だった。昨夜神経痛が起ったので薬で止め、今朝は治ったが出かけるのはやめた。入場者も少なく、売上げもよくなかったらしい。昼は競馬の放送を聞き、夜はテレビを見てとうとう原稿も書かず、明日は中山へ行くつもりだったが、からだの具合が悪いのでやめる」(昭和32年1月5日)有馬頼寧は、旧久留米藩二十一万石の領主有馬伯爵家の嗣子として、明治17年に東京の日本橋で生まれている。帝国大学を卒業後は農商務省に入り ………

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