豊臣秀長<上>

公儀の事は秀長に

2008年3月号 連載 [第二の男]

  • はてなブックマークに追加

貧しい百姓から天下人になった豊臣秀吉の成功の要因が、織田信長という苛烈なリーダーに仕えることが出来た稀な才覚にあるのは言うまでもない。もう一つの要素、それが、秀長というバランス感覚に優れた実弟をもったことである。堺屋太一が「日本史上最も典型的な、最も有能な補佐役であった」と評価し、小和田哲男が「秀吉の成功のかなりの部分を担っていた」とみる男の存在だ。秀吉の28歳までの実像は謎である。日吉丸のよく知られたエピソードは後世のフィクションだ。秀長はさらに分からない。彼のことを詳しく書いた文献もあるが、『武功夜話』という偽書に拠っていて信用できない。確実な史料はきわめて少ないが、秀吉政権のナンバー2であったのは疑いない。天正14(1586)年、大友宗麟が島津義久に脅かされ、大坂城で秀吉に訴えた。その時、秀長を表敬訪問した結果を国許へ書き送った。「はるば ………

ログイン

オンラインサービスをご利用いただくには会員認証が必要です。
IDとパスワードをご入力のうえ、ログインしてください。

FACTA onlineは購読者限定のオンライン会員サービス(無料)です。年間定期購読をご契約の方は「最新号含む過去12号分の記事全文」を閲覧いただけます。オンライン会員登録がお済みでない方はこちらからお手続きください(※オンライン会員サービスの詳細はこちらをご覧ください)。