諸葛亮<下>

忠誠の操を捧げて死す

2007年12月号 連載 [第二の男]

  • はてなブックマークに追加

劉備に三顧の礼をつくされて、諸葛亮の魂は感激に震えたのである。献身的人生が始まった。曹操に負けて劉備が身を寄せた荊(けい)州の劉表が死に、末子の劉琮(そう)が継ぐ。疎んじられた長男劉琦(き)は、諸葛亮の忠告で都を逃れ江(こう)夏(か)太守になる。曹操が攻めてきた。劉琮は降伏を申し出る。樊(はん)にいた劉備は知るのが遅れ、劉琮のいる襄陽(じようよう)を通過して逃げた。諸葛亮が「劉琮を攻撃すれば、荊州を支配できます」と進言したが、「私には忍びない」と拒んだ。劉琮の側近や荊州の人々の多くは劉備に帰順し、10余万人の人々と数千台の荷が従った。行軍は大幅に遅れ、関羽に命じて数百艘の船に分乗させ、江陵で落ち合うことにした。「大勢の人々を棄てて、速やかに行軍すべきです」。家臣が勧めたが、劉備は「大事をなしとげるには、必ず人を基本としなければならぬ。わし ………

ログイン

オンラインサービスをご利用いただくには会員認証が必要です。
IDとパスワードをご入力のうえ、ログインしてください。

FACTA onlineは購読者限定のオンライン会員サービス(無料)です。年間定期購読をご契約の方は「最新号含む過去12号分の記事全文」を閲覧いただけます。オンライン会員登録がお済みでない方はこちらからお手続きください(※オンライン会員サービスの詳細はこちらをご覧ください)。