志功を育んだ富山

2006年8月号 連載 [硯の海 当世「言の葉」考 第4回]

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 「麦秋」あるいは「麦の秋」。俳句の季語で初夏を示す。あっ、これがそうか、と思わず声が出るほど黄金色の麦畑を見た。子供のころ、住んでいた青森や山形の家の周りは麦の畑だったこともあるはずだが、これほど輝く麦の穂を見た記憶がない。6月の初旬、富山県の南西にある南砺(なんと)市福光を訪ねた。政治ウオッチャーとしては松村謙三のふるさととして福光の名前は知っていたが、そちらは実家の薬屋の前を素通りし、夕方で閉まっていた記念館を頼み込んで無理やり開けてもらって一通り史料を見て済ませた。 ほんとうは、終戦直前から6年8カ月ほど棟方志功が住んだ福光を訪ねたいというのが福光へ来た動機である。昭和20年4月、志功は疎開先として郷里青森ではなく、福光を選んだ。青森へ帰るときは錦を飾るとき、という思いからか、あるいは富山の人と自然に惹かれたためか、妻と子供4人の家族6 ………

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