藤田嗣治の戦後『アッツ島玉砕』の禁忌

東京国立近代美術館の「生誕120年展」には巨匠の運命を変えた戦争画の傑作が展示されている。

2006年5月号 DEEP

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「エコール・ド・パリの寵児」として初めて世界的な評価を得た日本人画家、藤田嗣治の名は戦後久しく日本画壇の異端として遠ざけられてきた。没後38年にしていま開かれている東京国立近代美術館の「生誕120年 藤田嗣治展」(5月21日まで)は、世界に羽ばたいた日本の希有の才能が敗戦と戦後処理を巡る国内政治の思惑に翻弄されてきた軌跡を浮き彫りにしている。 祖国日本で藤田の生涯をたどる大規模な個展が催されるのは、画家が没した1968年の東京と京都を会場にした「藤田嗣治追悼展」以来だが、その折は今回出展されている『アッツ島玉砕』などの戦争画は展示されていない。「乳白色の裸婦」の画家が戦時期に帰国し、国の動員で翼賛画家として描いた戦争画は長らく封印されてきたからである。

戦争協力の責任を負う

 そこには日本社会がこの画家に対して課してきた二重の禁忌がある。一つは祖国を捨ててパリという異境 ………

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