旧ユーゴスラビア連邦共和国大統領 ミロシェビッチ

「虐殺者」と「獄死の英雄」の間

2006年5月号 連載 [ひとつの人生]

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 オランダのスヘーフェニンゲン拘置所の独房で死亡しているのが発見された。この5年間、ハーグの国際戦犯法廷で被告席に座り、死亡時には被告側証人の審問中だった。彼の獄死で、国家元首に対する世界初の裁判は、判決が出ぬまま宙に浮いた。 西欧諸国の大半は、ユーゴ分裂やクロアチア紛争(1991~95年)、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(92~95年)、コソボ・メトヒヤ自治州(西欧ではコソボ)の紛争(98~99年)の責任と、紛争で30万人もの人々を死に至らしめた責任があるとして、裁判前から彼の有罪を主張してきた。西欧などのメディアで彼は「バルカンの虐殺者」「大量殺戮の立役者」と呼ばれている。 獄死で幕切れを迎えたが、彼の生涯ははじめ輝かしく、後に暗い影に覆われる暗転のコースをたどっている。 もともとは銀行員だが、87年に政治家として無名の存在から突如、旧ユーゴ連邦⓺カ国で ………

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