国内は閉鎖や電炉へ切り替え。対してUSスチール買収に4兆円超。財務は大幅悪化。
2025年8月号 BUSINESS
日鉄の橋本会長は「復権する」と強気の姿勢だ
Photo:AFP=Jiji
6月18日、日本製鉄によるUSスチール(USS)買収が完了した。米大統領ドナルド・トランプ(79)は「業界史上最大の投資」と絶賛し、日本の首相石破茂(68)も「日米の象徴的案件」と歓迎。日鉄会長兼最高経営責任者(CEO)の橋本英二(69)は「生産や雇用を米国外に移転する必要はない」とUSSで10万人超の雇用を維持・創出する一方「日本での鉄鋼生産拡大はありえない」と国内では縮小路線に拍車をかける。だが、関連投資を含め総額約4兆円買収を危ぶむ声は根強く、株価は低迷から脱し切れない。
「世紀の買収」を主導した橋本の鼻息は荒い。「私が1979年に新日本製鉄(現日鉄)に入社した時は世界一だったが、残念ながら順位をどんどん下げてきた。もう一度、復権する」(6月20日付「朝日新聞」)、「増産を進め、10年後に粗鋼生産量1億トン(2024年日鉄・USS合計5782万トン=筆者注)を目指す」(7月8日付「日本経済新聞」)。主要メディアは相次ぎ橋本の強気コメントを掲載している。
経営トップが達成感を満喫するのとは裏腹に日鉄の台所事情は目下「火の車」だ。USS全株取得費用約141億ドル(約2兆400億円)に加え、USSの粗鋼生産量(24年実績1418万㌧)を今後10年間で2千万トン増やすために投じる110億ドル。
この110億ドルは日鉄が米政府と結んだ国家安全保障協定(NSA)によって2028年までの実施が約束されており、同年以降の分も含めると総額140億ドルに達する見込み。USS買収関連の総投資額は4兆円を上回る可能性が高い。
一方、国内でも多額の資金需要がある。日鉄の創業地「八幡」(九州製鉄所八幡地区、北九州市)では同地区に残った最後の高炉(戸畑第4高炉)の30年休止が決定。並行して大型電炉導入を進める方針で、同地区での投資額は6302億円に達する。
日米以外でも橋本が「先手を打って中国の海外展開を抑制していく」と主張するインドでは、19年に欧州アルセロール・ミタル(略称AM、ルクセンブルク)と共同買収したAM/NSインディア(旧社名エッサール・スチール)の増産投資が急務であり、また「黙っていればベトナムやインドネシアと同じように中国の傘下に入ってしまう」と危惧するタイでの拠点確保も多額の投資を伴う。インタビューでさらなる海外M&A(合併・買収)の可能性を問われた橋本が「チャンスがあれば、すかさず考えたい」と答えたのはタイの同業者を指していると捉えるべきだろう。
こうした旺盛な資金需要に対し、日鉄の財務は既に逼迫している。25年3月期末の連結有利子負債は2兆5074億円だったが、6月18日のUSS完全子会社化に要した約2兆円を金融機関からブリッジローン(つなぎ融資)で調達。これにUSSの有利子負債(25年3月末で6千億円)を加えると、約5兆1千億円強に膨らんでいる。
7月3日に日鉄はUSS買収の際に利用したブリッジローンの借り換えの一環として、劣後ローンで5千億円を調達したと発表した。劣後ローンはその名の通り、通常ローンより返済順位が低い借り入れで、格付け機関から認定を受ければローン総額の半分が資本勘定となる。
日鉄は「買収で悪化した負債資本倍率(DEレシオ、USS買収前後で0.35倍程度から0.8倍程度に悪化)を改善できる」としているが、ある証券アナリストは「ブリッジローンよりマシかもしれないが、劣後ローンも金利は高く、利払い負担は高止まりする」と指摘。USSの24年12月期最終利益は3.84億ドルだが、日鉄が全株買い取りに要した約141億ドルのローン金利を3%程度に抑えたとしても、年間の金利負担は約4.2億ドルでUSSの利益は吹き飛んでしまう。
現状はさらに厳しい。USSの25年1~3月期最終損益は1.16億ドルの赤字。2四半期連続で赤字額も前四半期の8900万ドルから悪化している。
「国内の製鉄所や高炉を次々に閉鎖し、浮かせたカネで買った会社が赤字転落では、職場を失った日鉄や協力会社の社員は泣くに泣けない」
日鉄が23年9月末に製鉄所を閉鎖した広島県呉市の関係者はこう漏らす。旧海軍工廠跡地に立地していた日鉄瀬戸内製鉄所呉地区(旧日新製鋼呉製鉄所)は同市の基幹産業であり、日鉄が閉鎖を公表した20年時点で協力会社を含めた従業員は約3千人、「家族を合わせると1万人近い市民が影響を受けた」と振り返る。
その呉市の人口は25年4月末で19万9481人と「中核市」の要件の20万人を下回った。製鉄所閉鎖時(23年9月末)の20万6653人が約1年半で7172人も減少。製鉄所跡地(約130㌶)は防衛省が一括購入して「複合防衛拠点」を整備する計画が進行中だが、地元関係者の間では「日鉄は国任せで、地域振興へ貢献するという姿勢が微塵も感じられない」との批判が渦巻いている。
前述した高炉から電炉への転換計画を進めている八幡でも日鉄への風当たりは厳しい。USS買収が完了した6月18日前後、メディア各社は八幡で予定されている高炉休止と電炉転換に伴い、日鉄が1150人(正社員約350人、協力会社従業員約800人)の雇用が影響を受けると報じた。現状人員約1万3千人(正社員約4千人、協力会社約9千人)の1割近くが今の職を失う可能性が高いというわけだ。
日鉄は正社員については「再配置などで雇用を確保する」としているが、協力会社に対しては「会社ごとに協議する」と明確にしていない。「大枚はたいてUSスチールを買い、もう“アメリカ製鉄”になったのだから、八幡から高炉の火が消えても知らぬ顔ではないか」(商工会議所幹部)と地元では怨嗟の声が上がっている。
買収で「世界一に復権する」と橋本は豪語するが、市場関係者の見方は「高値掴み」でほぼ一致する。裏打ちするのは株価だ。3月下旬まで3500円前後だった日鉄の株価は、トランプが買収計画の再審査(禁止命令の見直し)を指示した4月7日に一時2650円(前日終値比300円安)に急落。3ヵ月後の7月7日現在2736円と横這いが続いている。
市場の不信は日鉄の海外戦略がことごとく挫折していることも背景にある。韓国ポスコや中国宝山鋼鉄など大型製鉄所建設で協力した相手とは昨年相次いで「喧嘩別れ」となり、ブラジルのウジミナスを巡っては合弁パートナーとの裁判沙汰になった例もある。海外戦略を長く率いてきたのが橋本本人で、その経営手腕に疑問符が付くのは当然。USSを抱え込んだ日鉄の先行きは全くの視界不良だ。
(敬称略)