日本はAIに対して高い関心を持つが理解は低い。またぞろデジタル赤字が拡大する危険。
2025年8月号 BUSINESS
5月28日の参院本会議でAI新法は可決、成立した
Photo:Jiji
「日本の素晴らしい技術革新の伝統から学び、さらに貢献するのが目的だ」――。6月25日、千葉市の幕張メッセ。クラウド世界最大手、米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)日本法人が開いた年次顧客会議で、米アンスロピックのケイト・ジェンセン上級副社長は力を込めた。
同社は2021年に発足した生成AI(人工知能)の開発企業で、「Chat(チャット)GPTで名を上げた米オープンAIの有力な対抗馬」(ITジャーナリスト)。ジェンセン氏は今秋に日本法人を立ち上げ、対話型AI「Claude(クロード)」の営業を強化すると説明した。
日本に進出する生成AI分野の有力スタートアップは同社だけではない。オープンAIは24年春に日本法人を設立し、フランスを拠点とするミストラルAIの幹部も日本進出の意向を示した。カナダのコーヒアは日本法人の責任者を募集中だ。
各社の「日本詣で」が盛んになる中、人材の獲得合戦も激しくなっている。オープンAIは24年、AWS日本法人で10年以上にわたって社長を務め、冒頭の年次顧客会議の顔役だった長崎忠雄氏を引き抜いて日本法人の社長に据えた。
アンスロピック日本法人でも米大手IT(情報技術)企業の日本法人で法人営業を担当した元幹部らの起用が取り沙汰されている。米メタが1億ドル(約145億円)の移籍金でライバル企業から研究者を引き抜く米国のダイナミズムには及ぶべくもないが、にわかにホットスポットになってきたといえる。
背景にはこの分野に流れ込む巨額マネーがある。アンスロピックは今春、米VCなどから35億ドルの資金を調達した。米調査会社のピッチブックによれば、25年1~3月期の世界のAIスタートアップの資金調達は731億ドルに達し、早くも24年通年実績の半分を超えた。
浮かび上がるのは各社が調達した資金を採用に充て、さらに海外展開に回す構図だ。一方で、疑問も残る。多くの海外市場がある中、なぜ日本への進出が相次いでいるのか。日本の先進性や成長性に注目しているのであればありがたいが、必ずしもそうとは言い切れない。
「欧州では苦労した」。ある米有力AIスタートアップの渉外担当幹部はこう打ち明ける。欧州連合(EU)はAIを包括的に規制するAI法を24年に施行し、人権侵害などに高額な制裁金を科す制度を導入した。最終的にスタートアップに対する緩和措置が盛り込まれたが、監視が厳しいことに変わりはない。
世界のIT企業が熱視線を注いでいた中国も状況は一変した。中国当局は欧州と異なり生成AIの開発に融和的だが、ある米VCの幹部は「トランプ米政権下で米中対立が深まる中、投資先の中国進出はあり得ない」と話す。「日本重視」は欧米の門戸が狭いことと無縁ではなく、消去法で浮上した面がある。
生成AIの学習に対しては各地で報道機関や出版社、映画会社などが著作権侵害との批判を強めているが、海外と日本ではやや状況が異なっている。結果として日本は規制が緩く、「機械学習パラダイス」と呼ばれる状況を生み出した。
米国では一定の条件を満たせば著作権侵害を問われない「フェアユース(公正利用)」の考え方があり、米グーグルなどがインターネット市場で成功を収める要因となった。同社はウェブサイトや書籍を活用してネット検索のためのデータベースを作成したが、裁判所はフェアユースを理由に著作権侵害との訴えを退けた。
大手IT企業やスタートアップは生成AIの学習もフェアユースに当たると主張し、カリフォルニア州の連邦地裁は6月末、米作家がアンスロピックを訴えた裁判で原告の訴えを退けた。ただ、メタを訴えた別の裁判では著作権侵害に当たるケースもあるとの認識を示し、判断は定まっていない。
EUも前出のAI法で、生成AIなど汎用性が高いAIの開発者に対して、著作権者が学習での利用を拒否する仕組みを用意することを義務付けた。開発者は学習に利用したデータの概要を公表することも求められており、スタートアップは手足を縛られた状況になっている。
一方、日本では著作物を学習のために利用することをほぼ無制限に認める著作権法30条の4が19年に施行され、著作権者はEUなどのように学習での利用を拒むことができない。海外勢が「日本は事業者に協力的」と誉めそやす背景にはこうした制度の違いがある。
さらに海外のAIスタートアップの“追い風”となりそうなのが、日本における生成AI導入の遅れだ。冒頭のAWS日本法人の顧客会議で同社の白幡晶彦社長は「日本企業が保守的との認識は正しくない」と繰り返し、既に日本企業の82%が生成AIツールを採用しているといったデータを示した。
だが、本当に日本が先行しているかは極めて疑わしい。例えば5月に成立したAI新法。政府は開発促進と安全確保を目指したこの法律が必要な理由として日本の開発・利用の遅れを挙げ、欧米や中国で利用率が70%を上回る一方、日本は5割未満にとどまるといった調査結果を示している。
利用が進んでいないだけならまだしも、さらに危ういのは経営層の期待が高まる一方で、十分な知識を備えていないというお寒い実態だ。
PwC Japanグループの6月の発表によると、生成AIが「自社ビジネスの効率化・高度化に資するチャンス」とみる日本企業は48%に達し、2年前よりも13ポイント増えた。一方、最新技術に十分に精通していると回答した企業は20%にとどまり、50~70%台に達する欧米や中国と大差がついている。
高い関心と低い理解のギャップは、効果の乏しいサービスが入り込む余地を生む。日本企業はインターネットやクラウドなどIT業界で新たなトレンドが生まれるたびに右往左往し、導入したサービスで十分な価値を生むことができずにデジタル赤字を膨らませてきた。
海外のAIスタートアップの相次ぐ進出に対しては「誘致策が奏功している」といった見方もあるが、彼らが市場を冷徹に値踏みしていることを覚えておくべきだ。利用側が十分な知識を備えて取捨選択できなければ大枚をはたいても成果は乏しく、IT敗戦史に新たなページを加えるだけになりかねない。