憶測尽きぬ「掛け持ち社外取」/ファミマ元社長「澤田貴司」の野心と値打ち

伊藤忠と因縁のある男が、これまた伊藤忠と因縁浅からぬセブン&アイの社外取締役に。

2025年7月号 BUSINESS

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澤田氏(右)と細見氏は共にアメフト部出身だ[同社提供]

Photo:Jiji

セブン&アイ・ホールディングス(HD)の社外取締役に懐かしい名前が名を連ねた。ファミリーマート元社長の澤田貴司だ。「澤田さんがファミマを去ったのは2022年だった。まさかセブンに行くとはね。ファミマでは『そんなのありかよ』と大騒ぎになったらしい」と流通業界関係者は指摘する。

澤田で難局を乗り切る

「俺はまだまだやるよ」

ファミマを退任するにあたり澤田は周囲にそう語っていたという。それゆえ、その去就はたびたび噂となる。最近では昨年秋から冬にかけてがそうだった。ある上場企業が初の外部出身社長として澤田を招くという話がまことしやかに流れた。

この会社は社長交代そのものを見送ったので幻に。とはいえ消費者向けのビジネスの代表格といえるコンビニでトップを務めたというトラックレコードはエグゼクティブサーチ業界ではかなり強いカードのようだ。結局、セブンの社外取に就いたほか、中居正広問題で激震が続くフジ・メディアHDの社外取締役候補にも名を連ねている。

「社外取締役の兼職に厳しい目が向けられている時に2社、しかもセブン、フジという注目企業の社外取締役になるのは余程自信があるのか。それとも単なる売名主義者か」

エグゼクティブサーチの世界に詳しい人物がそう評する澤田とはどんな人物か。まずは本人とその周辺の声に耳を傾けてみよう。

澤田は1957年、石川県で生まれた。豪雪地帯として知られる吉野谷村(現白山市)の小さな集落で中学まで過ごした。その後は金沢の名門・金沢桜丘高校へ。澤田の自伝ともいえる書籍『職業、挑戦者』(上阪徹著、東洋経済新報社)では、高校時代に味わった挫折が人生の原点と語っている。

同校は甲子園出場経験もある伝統校。澤田は厳しい練習についていけず、勉強がおろそかになるという口実で退部を決める。実際は、自分のレベルでは通用しないと感じて逃げてしまったと振り返っている。

1浪ののち上智大学理工学部へ。アメリカンフットボールに没頭した学生生活を送り、キャプテンも務めた。野球部での挫折とアメフトから学んだのは「気合と根性」。のちに創業する事業再生投資ファンドの「キアコン」の社名の語源にもなるほど、強烈な原体験となった。

社会人の歩みのスタートは81年。伊藤忠商事に入社して化学品部門に配属となり、旭硝子を担当した。以来、澤田と伊藤忠は因縁浅からぬ関係となるが、まず入社12年目に一度目の転機が訪れた。伊藤忠がセブンの母体である米サウスランド・コーポレーションの経営再建に乗り出すことになったのだ。

プロジェクトチームの一員に抜擢された澤田はこのとき、セブン-イレブン・ジャパンの生みの親である鈴木敏文とイトーヨーカ堂の創業者である伊藤雅俊と出会う。経営トップが自ら現場のために汗をかき現場主義を徹底する姿や、顧客満足を追求し続ける小売業に心を打たれたという。

そこで澤田は大勝負に出た。95年12月、当時社長だった室伏稔に「リテール戦略の重要性」というレポートを書き、商社は小売業に参入すべきだと直訴した。レポートを読んだ室伏は関心を示し、専門部署を立ち上げようとしたが、最終的な判断は「NO」。時期尚早という判断だった。

97年4月、澤田は伊藤忠を去った。翌年2月、伊藤忠はファミマの筆頭株主となり、小売業に本格参入した。「おそらくこの悔しさが経営者としての澤田さんの原点。伊藤忠に対する強烈な対抗心を持つきっかけにもなった」(小売業界関係者)

伊藤忠退社後、人材会社の紹介で知ったのがファーストリテイリングだった。当時の売上高は約400億円、営業利益は約18億円という地方の小さなアパレル企業だったが、経営者・柳井正に心酔し入社を決める。入社から1年半で副社長に抜擢。このとき澤田が仕掛けたのがフリースだ。ユニクロ原宿店を足がかりに日本全体で一大ブームを巻き起こした。

柳井はこうした実績をもとに澤田を後継候補としたものの、本人は固辞。経営に対して大きな影響力を持つ柳井のもとで社長になっても決定権を持てない。そう感じるようになりユニクロも去ることになる。このころ、澤田は周囲に「柳井さんの近くにいるのは怖い」と漏らしていたという。

その後、澤田はファストリを去った「親友」玉塚元一(現ロッテホールディングス社長)とキアコンやリヴァンプを立ち上げ、ロッテリアの再建やクリスピー・クリーム・ドーナツの日本進出に携わり、小売りに特化したプロ経営者としての手腕を磨いた。

2016年、澤田と因縁の伊藤忠は再び交わった。伊藤忠傘下のファミマが、中京圏に強かったコンビニ、サークルKサンクスを傘下に持つユニーグループ・ホールディングスと経営統合を決め、店舗統合作業を進めようとしていた。

将来的には伊藤忠によるファミマの完全子会社化という構想を描くなかで澤田を呼び戻したのは伊藤忠社長だった岡藤正広。「統合作業はまだしも、伊藤忠によるファミマの完全子会社化は社員からもフランチャイズ(FC)オーナーからも相当なハレーションを生む。どうまとめあげるか、手腕を試そうとしたのだろう」と小売業界関係者は言う。

澤田の社長としての経営手腕はどうだったのか。あるFCオーナーはこう振り返る。

「面白い人だったよ。でも1店舗の1日あたりの売上高は50万円台前半でセブンとの差は一向に縮まらなかった。ただ『24時間問題』を乗り切ったのは評価してあげてもいいんじゃないかな」

一方、こんな声もある。

「ファミマで澤田さんの後任の社長となった細見研介さんは岡藤さんの秘蔵っ子。細見さんに失敗をさせないために難局は澤田さんで乗り切ったのではないか。澤田さんは伊藤忠にいいように使われたようにも見える」

「うちは何の関係もない」

セブン&アイを巡っては、カナダのコンビニ大手、アリマンタシォン・クシュタール(ACT)の買収提案に対抗して創業家が非上場化を提案。伊藤忠は出資を検討していたが見送ったことは周知だ。

そのセブンが澤田を社外取締役に起用することは、当然ながら憶測を呼ぶ。「セブンに行くのは澤田さんの勝手。うちは何の関係もない」と伊藤忠の重鎮。一方、ある証券アナリストは「岡藤さんがセブンを諦めるわけがない。澤田さんを露払いにしてファミマ改革を進めたが、同じことをセブンでもやろうとしているのではないか」ここにきて狐とタヌキの化かしあいが始まったのかもしれない。

(敬称略)

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