「同意なき買収」/ぶざまな「TOB撤回」/永守ニデックの傲りが裏目

東京地裁が「ポイズンピル(毒薬条項)」を容認。買い取った牧野株の価値が下がり、多大な損失が出ると尻込み。

2025年6月号 BUSINESS [「買収巧者」の傲り]

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ニデック創業者、永守重信グローバルグループ代表(同社HP動画より)

積極的な買収戦略を駆使して急成長してきた小型モーターの世界大手、ニデック(旧日本電産)によるTOB(株式公開買い付け)が法廷闘争に発展した。同社は工作機械大手の牧野フライス製作所に対し、相手の同意を得ないままでTOBを開始。一方の牧野は新株予約権の割り当てを使った買収防衛策の発動を決め、これに反発したニデックは東京地裁に対し、新株予約権の割り当ての差し止めを求める仮処分を申請。だが、同地裁が差し止め申請を却下したことでニデックは結局、TOBを撤回する事態に追い込まれた。

この法廷闘争を率いた顔触れも注目を集めた。ニデックがTMI総合法律事務所の岩倉正和弁護士と顧問契約を締結したのに対し、牧野は日本最大の法律事務所、西村あさひの太田洋弁護士を法律アドバイザーに起用。両者ともM&A(企業の合併・買収)で日本を代表する辣腕弁護士だが、実は岩倉氏と太田氏は先輩・後輩として同じ法律事務所で働いた経験を持つ因縁の間柄でもある。企業法務で高名な2人の弁護士が真っ向から激突した今回のTOBは、買収巧者のニデックが思わぬ苦杯をなめさせられる結果に終わり、今後の「同意なき買収」にも大きな影響を与えるのは必至だ。

事前協議なしに買収を表明

4月4日に牧野に対するTOBを正式に開始したニデックの記者会見は、異様な雰囲気の中で開かれた。買収を担当する荒木隆光専務執行役員に加え、これまで同社が積極的な買収を通じて傘下に収めてきた各社の社長も壇上に並び、「ニデックによる買収で業績が改善し、企業価値が高まった」などと口々に同社の買収戦略を賞賛したからだ。ニデックはこれまで国内外で70社以上を買収してきた豊富な経験を誇っており、その同社による買収に激しく抵抗する牧野に対する強烈な示威行動だった。

牧野フライス製作所の宮崎正太郎社長

Photo:Jiji

ニデックは昨年12月末、牧野に対して相手側の同意を得ないTOBを翌年4月初旬に始める意向を突然公表した。それまでニデックは牧野側と全く接触しておらず、事前協議がない一方的な買収表明だった。寝耳に水の牧野は翌月、慌ててTOBの開始時期の延期を要請したものの、ニデックは耳を貸さなかった。3月になって初めて双方の役員が顔合わせした際も、互いの主張は平行線をたどった。そしてニデックは4月に入ると当初方針通りにTOBを開始した。これに対し、牧野の宮崎正太郎社長は「独立性の喪失で顧客が離れてしまう」と強い懸念を表明。また、同社の労働組合や大口顧客である中国の金型業界団体なども相次ぎ懸念を示した。

牧野はこれまでニデックに対し、「複数から初期の買収申し入れがあり、その提案を精査する時間を確保したい。TOB開始は5月9日以降に延期してほしい」と数回にわたって求めた。実際、ニデックが牧野に対して同意を得ないTOBを表明した後、海外の投資ファンドから牧野側に対し、友好的なTOBの提案が複数寄せられたという。ただ、いずれも買収価格や買収後の事業方針などが不明確だったため、牧野はそうした提案の精査を進めている最中だ。このため、同社はTOBの延期を求めたが、ニデックはTOBを開始。これを受けて牧野はTOBに反対を表明し、3月の取締役会で決議していた新株予約権による買収防衛策の発動を決めた。

新株予約権による買収防衛策は、既存の株主とニデックに対して異なるタイプの新株予約権を無償で割り当てるものだ。既存の株主は保有株が2倍に増えるが、ニデックは出資比率が2割以内でしか行使できない仕組みだ。買収者の持ち株比率を希薄化させる効果があり、「ポイズンピル(毒薬条項)」と呼ばれる典型的な買収防衛策だ。これは西村あさひに当時在籍していた岩倉氏が、ブルドックソースに敵対的な買収を仕掛けた「物言う株主」の米投資ファンド、スティール・パートナーズに実行した買収防衛策でもある。スティール側も裁判所に新株予約権の発行差し止めを求めたが、訴えは退けられた。

太田洋弁護士(西村あさひ法律事務所HPより)

今回のニデックによる買収攻勢を受けて立つ太田氏は、かつて岩倉氏が打ち出したのと同じ新株予約権を講じることで、ニデックの買収に対抗した。ただ、牧野側は新株予約権の発行条件として、ニデックがTOBを中止すれば、割り当てを中止する方針も合わせて示した。牧野側はあくまでもニデックによるTOBの開始延期を促すのが目的と位置付けており、いわば時間稼ぎの戦略だった。

「同意なき買収」と呼び変えた経産省

岩倉正和弁護士(TMI総合法律事務所HPより)

法廷で対決したこの2人の弁護士は因縁が深い。東大法学部を卒業後、現在の西村あさひ法律事務所に入所した岩倉氏は、明治の元勲である岩倉具視の6代目子孫として知られる。ニデックの社外取締役を務めた経験もあり、手掛けた訴訟はブルドックソースの買収防衛だけではない。「ジェイコム株」の誤発注事件で多額の損失を計上したみずほ証券の代理人として、東京証券取引所への損害賠償の請求訴訟なども指揮した。岩倉氏は大学の後輩の太田氏を同じ法律事務所にスカウトし、太田氏の育成に携わった後、8年前に現在のTMI総合法律事務所に移籍した。

一方の太田氏は、今や西村あさひを代表する敏腕弁護士だ。M&Aはもちろん、税法を巡っても大企業による数々の訴訟を率いてきたことでも有名だ。太田氏は日経新聞の「弁護士ランキング」で、企業法務全般部門で3年連続の首位に選出されるほどの人気を誇る。そして一昨年には「敵対的買収とアクティビスト」(岩波書店)を出版し、専門的な内容ながらベストセラーを記録した。M&Aに関する法律の論点などを体系立てて分かりやすく解説したことが評判を呼んだ。

岩倉氏がかつて使った新株予約権で買収に抵抗した太田氏だったが、ニデック側は「牧野による新株予約権の割り当ては、買収阻止が目的のポイズンピルだ」と反発。新株予約権の発行差し止めを求める仮処分を東京地裁に申請した。新株予約権を巡ってはこれまでも法廷で争われてきたが、TOBや新株予約権の発行に関する強圧性の有無などが争点となってきた。今回の新株予約権は株主総会での承認を条件としており、「株主の意思を確認していない」と訴えていたニデックの請求は、同地裁が却下した。

これを受けてニデックは「TOBを維持することは、著しく経済合理性を欠くことになりかねない」と判断し、TOB撤回を余儀なくされた。このままTOBを進めても新株予約権が発行されれば、買い取った牧野株の価値が下がり、多大な損失を被る恐れがあったからだ。一度始めたTOBを途中でやめるのは異例である。

東京地裁の裁判では、両社とも法律学者による意見書を提出するなど、激しい攻防戦を演じた。法曹関係者は「太田氏は買収を阻止するためではなく、時間稼ぎのための新株予約権と位置付け、株主総会での承認を含めて強圧性を極力弱めたものにした。これが功を奏した」と指摘する。

ニデックは東京高裁に即時抗告するとの見方もあったが、TOBの終了期限が迫っていたこともあり、最終的にTOB撤回を決断した。これを受けて牧野は、新株予約権を諮る議案を株主総会に提出せず、新株予約権は発行しない方針だ。

日本の株式市場では今、TOBの在り方が大きく変わりつつある。経済産業省が「敵対的な買収」と呼ばれていた一方的な買収を2年前に「同意なき買収」と呼び変え、容認する方針に転じたからだ。これまで日本では敵対的買収は半ばタブー視されてきたが、同省は買収対象となった企業には社外取締役による特別委員会で提案内容を精査し、株主利益に資する客観的な判断を下すように求める指針をまとめた。経産省幹部は「経営陣が保身のために買収を拒否するのではなく、株主のために合理的な判断を促し、企業価値の向上を目指すのが狙いだ」と明かす。これによって合併や買収が活発化すれば、企業価値が向上して株価の上昇が見込め、ひいては日本の国際競争力も高まると期待している。

永守ニデックの傲りが裏目

この同意なき買収の先陣を切ったのもニデックだった。同社は一昨年、中堅工作機械メーカーのTAKISAWA(旧滝澤鉄工所)に対し、相手の同意を得ないで買収を提案。TAKISAWA側は当初、提案に反対していたが、ニデックが同社経営陣に対する説明会を数回にわたって開き、買収によるシナジー効果や買収後の事業方針などで意見交換を重ねると、TAKISAWAの経営陣が姿勢を転換し、ニデックの提案を受け入れた。

買収を成功させた同社の永守重信グローバルグループ代表は日経新聞のインタビューで「もし当社が買収に失敗していれば、これからの日本では『同意なき買収』がやりにくくなる。そのためにも成功させる責任があると感じていた」と振り返った。

実際に日本企業が関係したM&Aは、着実に増加傾向にある。24年度に日本企業が関係したM&Aの件数は、前年度に比べ11%増えて4704件と過去最高を記録。M&A全体の金額も同20%増の22兆7861億円と2年連続で伸び、新型コロナ禍前の18年度に次ぐ2番目の水準となった。こうした中で経産省が容認に転じた同意なき買収も着実に増えている。ニデックによるTAKISAWA買収が成功した後、第一生命ホールディングスがベネフィット・ワンを買収したり、ブラザー工業がローランドディージー(DG)に買収提案したりするなど、相手側の同意を得ずに買収を目指す動きが続いている。

しかし、今回のTOB撤退で同意なき買収に対する見方が変わる可能性もある。特にニデックは牧野に対し、事前接触を一切しないなど、異例の買収戦略を打ち出した。それが牧野側の不信感を招き、両社の意見交換が滞る結果となった。

業界関係者は「ニデックが本当に牧野を傘下に収めたければ、TAKISAWAと同様に密接な意見交換が必要だった。買収巧者として傲りがあったのではないか」と批判する。一方の牧野もニデックのTOBを拒否した以上、買収価格を上回る企業価値や株価の向上が求められる。今回の買収失敗は産業界全体に重い課題を残した。

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