阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2019年5月 7日 常滑が問う「LIXILは誰のものか」

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日本に企業統治が根付くためには、これも欠かすことのできない重要なステップの一つなのか。潮田洋一郎会長兼CEOの解任動議に揺れるLIXILで、上級執行役14人のうち10人が連名で潮田体制の継続にNOを突きつけた。潮田氏と山梨広一社長兼COOについて「経営の資格がない」と切り捨てる書簡を指名委員会に送ったという。業務執行の責任者からそっぽを向かれては、経営トップとして求心力を保つのは難しかろう。

「経営と執行の分離ならぬ"分裂"」ともいうべきこの異例の展開は、有効に機能しなかった社外取締役の役割を執行役が果たすという越権行為にも見えるが、ステークホルダーの一部が経営体制に物申すという点で「会社は誰のものか」という根源的な問いにつながっている。

これまでの展開を振り返ると、取締役と投資ファンド、地方自治体などのステークホルダーが順番にそれぞれの立場から反潮田の態度を鮮明にしていった。社内で交わされたメールが外部に流出するなど、社員とみられる抵抗も表面化している。ステークホルダーも沈黙を許されない時代が到来したことを告げているかのようだ。また、欧米流の制度をまねただけの企業統治ではなく、日本人に合った企業統治のあり方を探るうえで興味深い展開でもある。

潮田氏と山梨氏は18日に取締役からの退任を発表し、投資ファンドなどが提案した潮田氏らの解任を諮る臨時株主総会はその目的が宙に浮いてしまった。潮田氏側はLIXILの経営に関与する余地を残そうとしているが、すでに一度、だまし討ちにあっている瀬戸氏はそれを許すだろか。

近年、企業統治の不全が引き起こす様々な問題は、「会社とは何か」「企業統治とはどうあるべきか」という問いに日本人や日本社会を投げ入れてしまった。最たる例は旧INAXの企業城下町である愛知県常滑市だ。INAXの創業者が初代常滑市長を務めた関係でLIXILの大株主になっている同市では、LIXILや創業家の動向を伝える記事が出ると、市民やLIXIL社員がそのコピーを回覧しているそうだ。自分たちの雇用や市の財政にもかかわる問題であるのだから、会社は誰のものかといった問いを切実な問題として捉えようとしているのだろう。

トステムとINAXが経営統合したのは2001年。それからしばらくするとINAX系の部長クラスが冷や飯食いのポストに追いやられるようになったとの風聞を耳にするようになり、10年ほど前には常滑市内の工場を閉鎖するとの噂も飛び交うようになった。最近では潮田氏がLIXILを上場廃止とし、本社をシンガポールに移転すると言い出したのだから、景気に悪影響が出ないか気を揉まなければならない地元にとっては面白いはずがない。

そうした懸念は常滑市民だけのものではなく、潮田家が率いてきた旧トステムの工場とその城下町でも抱いているだろう。LIXILの問題は、トステムを創業した潮田家とINAXを創業した伊奈家の対立という下世話なスラップスティックではなく、津々浦々で一人ひとりが「会社は誰のものか」「企業統治とは何か」を考えさせる機会になっている。