阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2017年10月31日 [reuters]ジャパン・クオリティ神話の崩壊――日産、神鋼「企業統治」再考

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書いている側もよくわかっていないのではないだろうか。日産自動車やスバルの無資格検査、神戸製鋼所のデータ改竄などを、コーポレート・ガバナンス(企業統治)の機能不全に結びつける新聞記事の論調にそう感じずにいられない。

たとえば神戸鋼がアルミや銅などの製品強度を改竄していた問題について、日本経済新聞の10月18日付の記事「神戸製鋼、『お粗末』な企業統治のツケ」では「経営陣による統治が及びにくい体制になっていた」と書かれている。産経新聞の同14日付記事でも「同社の企業統治は全く機能しておらず」と書き、東京新聞も同21日付の記事で企業統治の欠如を指摘している。

これらの記事では「経営トップの意思や監督が企業の隅々にまで行き渡っている」という意味で企業統治という言葉が使われたり、リーダーシップの欠如をガバナンス不在と表現したりしている。

一連の不正は広い意味での企業統治、つまり企業倫理の問題に含まれるのだろうが、厳密に言えば企業統治は株主による経営監視を目的として、その負託を受けた社外取締役が経営陣の暴走を防ぎつつ、効率をアップさせるための制度だ。

日産や神戸鋼などの不正は、経営トップが暴走したり、指示したものではない。

むしろ一連の不正は内部統制上の問題であろう。内部統制は「業務の有効性と効率性」「財務報告の正確性」「法令遵守」「資産の保全」を目的としている。企業統治と相互補完的に重なる部分も多いが、取締役や監査役が主体となって製造や営業の現場を監督するというベクトルの違いがこもっている。

不正に手を染めた企業も、それを報じている側も、企業統治や内部統制についての理解があやふやなのは、言葉の定義そのものがきちんと定まっていないせいでもあるだろう。それだけ企業統治や内部統制は時代の流れに伴って求められるものが移り変わり、日本人に理解しにくく、浸透もなかなか進もうとしない。確かに企業統治や内部統制について書かれた種々の解説を読むと、その内容はまちまちで会計士や学者の間でも手探りのような状態だ。

しかし海外で企業統治の確立が求められるようになった経緯を見る限り、経営陣を監視して事業の規律を高め、財務報告をより正確にすることなどが狙いだったことに違いはない。

「ジャパン・クォリティ」の神話が崩れたいま、記事の揚げ足取りをしようというのではない。日経平均株価が21年ぶりの高値を回復した背景には、アベノミクスの柱のひとつであるコーポレート・ガバナンス改革が外国人投資家に評価されたこと肌身に感じている市場関係者は意外に少ない。

コーポレート・ガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードの導入によって経営者と株主の間に建設的な対話の機運が生まれ、外国人投資家は驚くほどの熱心さで優良銘柄を丹念に物色しているのだ。

ここでもう一度、企業統治や内部統制の改革に光を当て、ねじを巻き直してはどうか。