阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2016年3月 5日 [スクープ]「LIXIL藤森」の墜落11――『数寄語り』の余裕綽々

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あれだけ世間を騒がせたジョウユウをめぐるLIXILの「闇」にもかかわらず、事実上のオーナーでLIXILグループ取締役会会長、潮田洋一郎氏が、堂々とKADOKAWAから新著を出した。一連の不祥事の弁明といった無粋な本ではない。この「現代の粋人」が世に送ったのは、大衆化した流儀茶道や煎茶道と対比させて、選ばれた茶人(資力や知識が並みでない風流人)の数寄を明かす内容で、これでもかとばかりに名品の茶碗や茶具、書画の美しい図版を挟み、題して『数寄語り』という。漆黒のカバーには、秀吉の前田玄以宛書状や尾形乾山作の「覗獅子」をあしらうといった贅を尽くした本である。

よくよく見れば、「おわりに」の日付がちょっと挑戦的だ。

「平成二十七年師走 星洲の印度菩提樹下にて 潮田洋一郎」

おお、藤森義明社長のクビをスパッと切り捨て、12月23日付の日本経済新聞に載ったインタビューを受けていた時期ではないが。ふだんは日本でなく、星洲、すなわちシンガポールに住んでいるそうだから、そこでこの本を仕上げたということなのだろう。660億円の損失など俗界の瑣事なんて我が事にあらず、茶をたててはゆくりなく心を遊ばせているということらしい。なるほどね、金持ち、喧嘩せず……か。

カバー見返しの著者略歴でも「茶の湯、煎茶、書、花、能、邦楽、西洋音楽、馬術、大型二輪車等を趣味とする」とある。父に疎んじられて不遇をかこっていたころは、花柳街でうつつを抜かしていたことは聞いたが、ナナハンかハーレーまで飛ばすとは、まさに趣味の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。さぞかしご自慢でしょう。

資力も教養も縁なき衆生の身では、もとから近づけまい、と鼻先でぴしゃりと襖を閉じられたようなものだ。はい、おっしゃる通り、うかがい知れぬ世界でござります。でも、野暮は言うまい。ただ、そこに微かな腐臭をかぎつけた。菩提樹の下、とはすでに涅槃に横たわる仏様のつもりになっているらしい。

本の表紙の上辺に見える英語のタイトルは、Beautiful foolishness of things、言うまでもなく岡倉天心の『茶の本』の一句である。冒頭と末尾で引用しているから、この本のライトモチーフなのだろう。

「茶道の要義は不完全なものを崇拝するにある。いわゆる人生という不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。……茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、表すことをはばかるようなものをほのめかす術である。この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に笑うけだかい奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である」

このあとに「美しくおろかしいこと」が出てくるのだが、ジョウユウのスキャンダルを思うと、なかなか味わい深い。キズモノ経営者をせっせと拾ってくるのは「不完全なものを崇拝する」からなのか。人生だけでなく財務という「不可解なもののうちに、何か可能なものを成就する企て」がLIXILだったのか。だから、LIXILは「真を見いださんがために真を隠す術」にたけ、「表すことをはばかるような失態をほのめかす」ことにしたのですね。秘すれば花、それが粋人の処世ですか。

ご立派! しかし潮田氏は見たいものしか見ようとしない。二度引用する『茶の本』のお気に入りのくだり、「まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか」という岩波文庫の村岡博訳が、気の抜けたようなつまみ食いであることは、桶谷秀昭訳を引用すれば分かる。

「現代の人類の天は事実、富と権力を求めるキュクロプス的巨大な闘争によって粉砕されている。世界は我欲と俗悪の闇の中を手さぐりで歩いている。知識は疚しさの意識よって得られ、博愛は功利のためにおこなわれる。東と西は狂乱の海に翻弄される二匹の竜のごとく、生命の宝玉を取り戻そうとむなしくあがいている。われわれはこの大荒廃を繕うためにふたたび女媧を必要としている。アバターの出現を待っている。その間に、一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松籟はわが茶釜にきこえる。はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか」

いまのLIXILが置かれている修羅場を書いた前段を、きれいに「……」で省略してしまっている。ワビだのサビだの、したり顔の説教を聞くたびに、天心が『茶の本』の末尾に置いた利休の辞世の偈を思いだす。

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺

そして利休は「提(ひっさぐ)る我得具足の一太刀、此時ぞ天に抛(なげう)つ」と叫んで腹を切ったのだ。その覚悟のない金持ち道楽の数寄など、さっさと滅びてしまえばいい。