阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」

  • 2013年8月26日「オリンパス」の風化と嫌な空気

    FACTAがオリンパス事件を最初に報じて2年余りが経ち、早くも事件が風化し始めているようだ。事件から引き出されたはずの教訓が、まるで生かされていない事例がぽつぽつと表れているのだ。

    ある大手商社はオリンパス事件の発覚直前に社外取締役制度を採り入れ、コーポレート・ガバナンスに一家言を持つ人物を招いた。ところがせっかく招いた人物がガバナンスについて積極的に発言したことがよほど気に入らなかったらしく、社外取締役を解任したくなった。おおっぴらに解任すれば目立つため、社外取締役の任期をわずか2年と定め、任期が到来したこの4月にクビを切った。

    ガバナンス問題の専門家からは「月に1~2回の出社に限られる社外取締役が社内の事情を把握するには時間がかかるのに、任期が2年とは短すぎる」との声が上がっている。

  • 2013年8月24日武富士(TFK)更生計画に関する質問状2 Jトラスト宛て

    武富士の管財人に質問状を送ると同時に、昨年、更生会社のスポンサーになったJトラストの藤澤信義社長にも質問状を送った。

    Jトラストへの質問状は以下の通り。

  • 2013年8月23日武富士(TFK)更生計画に関する質問状1 小畑英一管財人宛て

    FACTA最新号(13年9月号)では、巻頭記事に「武富士『更生』逆転劇の闇」を掲載しています。この記事では、武富士の管財人である小畑英一弁護士(LM法律事務所)に対して、弊誌は質問状を送りました。小畑氏の回答とともに、このブログで公開します。

    まずFACTAの質問状から。

  • 2013年8月13日『ライス回顧録』のススメ――熊本日日新聞寄稿

    熊本日日新聞の書評欄で私が担当している「阿部重夫が読む」のコラムで、ブッシュ大統領の最側近だったコンドリーザ・ライスの『ライス回顧録』を書評しました。巻末に解説を書いている手嶋龍一氏から勧められました。イラク侵攻の03年、拙著の中公新書『イラク建国』で米軍統治が失敗するだろうと予言しただけに、その当事者である回顧録の書評は、むしろ使命かと思って引き受けました。

    ところが、どっこい、2段組みで696ページもあって、7月下旬にズシリと重い本が届いてから、フーフー言いながら読みました。すでに第一期ブッシュ政権の国務長官だったコリン・パウエル、国防長官だったドナルド・ラムズフェルドの回想録を読んでいたので、細部の比較が面白く、ディテールが好きな人間には、いくらでも読み応えがあります。どこか、別荘地の緑陰で涼風に吹かれながら、どっちの言い分が正しいのだろうと想像をたくましくしたいところですが、あいにくそんな稼業ではない。

    この暑いのに別件でソウルまで飛んで取材、かの地もうだるように暑く、とんぼ返りした翌日に書評締め切りという綱渡りの日程でした。ま、どうにか読み終えて、ライスという優等生の限界が透けて見えたのは収穫です。米国の大統領とか、国務長官のポストは、およそ個人の能力を超えた過酷な仕事なのかもしれません。ふと、マキャベリの「フォルトゥーナ」と「ヴィルトゥ」が思い浮かびました。

    前者を「運」と訳すのも、後者を「徳」と訳すのも、『君主論』と『ディスコルシ』の趣旨とはずれてしまうのですが、やはりそこに残る政治の割り切れなさの世界に、ライスも呻吟したのだと言えましょう。

  • 2013年8月 9日フィリップ・K・ディックの処女作を翻訳しました

    8月13日(同9日配本)に平凡社からフィリップ・K・ディックの幻の処女作を翻訳した「市に虎声あらん」(2400円+税)を出版します。

    彼は映画「ブレードランナー」や「トータル・リコール」「マイノリティー・リポート」の原作者として知られるSF作家ですが、本来は純文学志向でした。この作品は25歳になる1952-3年に書いた普通小説で、カルトやマッカーシズム、核実験などを背景にした不思議な作品です。

    終末観の漂う表紙は一見、夕日のように見えて、実は太平洋上で行われた核実験の写真です。現代のアミターユス(阿弥陀)はこういう来迎図で出現するのかもしれません。

  • 2013年8月 8日週刊ポスト連載 伊藤博敏「黒幕」に期待する

    20年来の畏友であるフリーランス・ライターの伊藤博敏氏が、満を持して連載を開始した。

    題して「黒幕」――主人公である石原俊介氏は4月に亡くなった情報誌「現代産業情報」の発行人で、事件取材に携わるジャーナリストの間では知る人ぞ知る存在だった。私もバブル崩壊後の90年代に彼を知り、たびたび謦咳に接し、ときに銀座の飲み歩きに付き合ったから、その通夜に参列した。

    晩年はFACTAが追及した日本振興銀行をめぐる対立もあり、「恩知らず」と言ったという話も聞こえてきたから、出入り禁止(自粛?)状態だった。「兜町の石原ですが」とかかってくる電話も絶えていた。

    伊藤氏から昨年、ガンで入院したとの話を聞いて、「そろそろ会おうかな」と思っていた矢先の訃報だった。80年代バブルから90年代のバブル崩壊にかけては、石原氏がもっとも輝いていた時代だった。その裏情報に、どのメディアも歯が立たない時代が確かにあったのである。