阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2011年12月 5日 [書評]手嶋龍一著『ブラック・スワン降臨』

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FACTAの連載コラム「手嶋龍一式intelligence」でカバーしてきた世界が、著者手嶋氏の書き下ろし本になりました。タイトルは『ブラック・スワン降臨 9・11-3・11インテリジェンス10年戦争』(新潮社 税別1500円)です。12月7日発売です。

その後書きを頼まれたので、手嶋氏の応援団としてこのブログに掲載します。なお、この後書きの圧縮版を新潮社の「波」12月号に載せています。また、これとは別に、今週末の熊本日日新聞の書評欄でこの本を取りあげ、まったく別の文章を載せる予定です。

以下に載せる後書きのタイトルは「ロゼッタ・ストーンの沈黙」です。

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たった一片のピースから、ジグソーパズルの全絵図面を復元できるか。

不可能? いや、それが手嶋龍一氏の言う「インテリジェンス」――錯綜する情報の分厚いヴェールからコアを透視する行為の本質だと思える。

漫然と集積される「インフォメーション」からそれは抽出できない。そこで必要になるのは、内部情報を暴くスパイまたは告発者の存在か、物事の本質を見抜く勘か、脳細胞に蓄えた過去の記憶か、さんざん苦汁をなめた経験か、なにかこの世のものならぬ霊感か。

いずれでもあっていずれでもない。インテリジェンスの原語はラテン語のintellegentia である。inter(中を)lego(読む)作業、すなわち「内在する物語を読む」ことに尽きる。インテリジェンス・オフィサーとは、優れた物語の紡ぎ手なのだ。手嶋氏を衝き動かしているのも、この内在する物語を語る本能だろう。

本書は巻頭、いきなりアンドリューズ空軍基地内のゴルフ場に読者を連れていく。そこでプレーするバラク・オバマ大統領と、シークレットサービスのイヤホンに飛び込んでくる交信。閑暇を盗んで気晴らしに出向いたかのように見せかけ、ハーフで切り上げたこのプレーが、実はパキスタンで進行中のジェロニモ作戦(ビン・ラディン急襲作戦)の目くらましだったことが明らかになる。

9・11テロ以来、10年目にして米国がようやくこの宿敵の射殺に成功したこと自体は、すでにさんざん報じられた。そのディテールも作戦後に溢れた報道を丹念に読めば、入手不可能なインフォメーションではないだろう。

ほんとうの眼目は、手嶋氏が映画の脚本のように組み立てた「物語」にある。

アフガニスタン侵攻以来、戦略的にも経済的にも莫大な支援を注ぎ込んだパキスタンに対し、事前通告もなく領土内に密かに侵入し、国家主権を踏みにじって「ワールド・トレードセンターの復讐」の実行を命じた大統領の決断の物語が語られているのだ。

手嶋氏の意図は最後に明らかになる。東日本大震災の翌早朝、首相官邸からヘリで飛び立ち、東京電力福島第一原発に降り立って、危機の陣頭に立つパフォーマンスを演じながら、海水注入に手間取って炉心溶融を起こした菅直人総理を対置させているからだ。官邸で怒鳴りまくって実は決断を回避していた無残な物語である。

そう、決断の前に万全の情報などほとんどない。

オバマ大統領もアボタバードの現場に投入したステルス機能を持つ最新のブラックホーク改良型ヘリコプターが墜落する事態に見舞われ、1980年にジミー・カーター大統領がテヘランの米大使館員救出に失敗したイーグル・クロー作戦が頭を一瞬よぎったことだろう。

すべては一回性の出来事で、決断はそこにしかない。

「想定外」といった言い訳はありえない。手嶋氏が言う「インテリジェンス・サイクルの欠如」とは、単に日本の官庁の組織問題ではないのだ。情報の不完全性のなかで、なおジグソーの全絵図面を透視して決断できるための方法論である。

それはひとえに、瞬時に物語を構築する能力があるか否かだろう。菅総理の無残はそうした能力の欠如に由来する。しかし市民運動家上がりで上昇志向だけの貧相な総理を責める「憂国の論理」や「リーダー論」に、手嶋氏は安易にくみしていない。

憂うべきはむしろ、なすすべもなかった首相官邸および霞が関のガバナンス(統治)の根源的かつ日常的な退廃にある。本書でオバマと菅の「決断」を対照させたのは、情報のSchwarzwald(黒い森)に深く分け入って、鬱蒼と茂った昼なお暗い木立にLichtung(間伐地)を切り拓き、「内在する物語」を開示するためだったと思える。

本書は書下ろしであるが、エピソードの多くは、私が創刊した月刊誌FACTAで6年近く前に始めた「手嶋龍一のintelligence」の連載コラムでカバーしている。

しかし編集者としては内心、アクロバットかなと思っていた。雑誌は常に現在進行形である。一回性の現実の連鎖しかない。そこでは否応なく、全知全能の「神の目」のような擬装、つまり知ったかぶりが常に求められる。

手嶋氏のコラムも2ページ見開き、一回読み切りだから、そこで切り取れる情報も断片を免れない。あでもないこうでもない、という逡巡は読者を惑わせるだけだ。

しかも、テーマはインテリジェンス――全知全能の「神の目」のないところを出発点とするのに、知ったかぶりの擬装をしないでコラムが成立するのだろうか。

「インテリジェンス」は古代文字の解読に似ている。ジグゾーパズルのピースそれぞれの形状や色彩を記憶して、ひとつひとつ嵌めていく忍耐の作業。やがて浮かび上がる壮大な絵図面にひそやかに覚える喜び。大英博物館でロゼッタ・ストーンを見るとき、いつもそう思う。

だが、あの暗色の花崗閃緑岩に刻まれた碑文、エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)とギリシャ文字の同文が並んでいるという、奇跡のような僥倖がインテリジェンスには期待できない。
手元にあるのは、ギリシャ語でいう απαξ λεγμενον(hapax legomenon =一回限りの言葉)だけ。この一片だけのピースで、あなたはヒエログリフを完璧に解読したシュンポリオンになれるか。

ロゼッタ・ストーン発見のきっかけになったナポレオンのエジプト遠征のように、幸運の女神がインテリジェンス・オフィサーに微笑んでくれるとは限らない。それが単に情報を盗むだけのエスピオナージ(潜入工作)との決定的な違いだろう。

インテリジェンスには深い思索がなければならない。その黒い森にぽっかり浮かぶLichtungには、lumen naturale(自然の光)が木洩れ日のように差す、とマルチン・ハイデッガーは言う。けれども、苔むしたままのロゼッタ・ストーンが、人知れず草陰に埋もれて沈黙していても不思議ではない。

hapax legomenonにはしかし、別の攻略法がある。

シェイクスピアを例にあげよう。全作品88万語のうち、固有名詞を含めて使われた語彙は2万9千語と驚くべき言語の魔術師で、だからこそというべきか、一度しか使われなかった言葉がある。「恋の骨折り損」第5幕第1場のHonorificabilitudinitatibus。小田島雄志訳では窮して原語のまま、ジュゲムの呪文にしている。

しかし、二度出現する単語、三度、四度……と並べていくと、出現頻度がk番目の単語が、全体の単語数のk分の1を占めるという自然言語の確率分布「ゼフの法則」に近づく。

これこそ「天の秘鑰」なのだ。

ビンラディンの隠れ家が突き止められたのは、クーリエ役であるアル・クウェイティ(実名シェイク・アブ・アハメド)の追跡に成功したからだ。全世界の通信の奔流に聴診器をあて、天文学的な頻度の交信から一人の男のキーワードを割り出すには、確率分布の統計数理を使って一回性の壁を破ったに違いない。

数理の手品? いや、そんなことはない。グーグルなどの検索エンジンは誰もが日々体験している。あれはインターネットと同じく、軍事技術の転用なのだ。

手嶋氏の「物語」はそこまで垂鉛をおろしている。