阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2010年4月26日 [コラム]ウォール街は悪の枢軸か――環日本海紙シンジケートコラム

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新潟日報などに3カ月に1度掲載しているコラム<時代を読む>を書きました。


ウォール街は「悪の枢軸」か


「二十一世紀は精神的な時代になるか、あるいは存在しないだろう」

 ドゴールの文化相を長く務めたフランスの作家、アンドレ・マルローの予言が、今さらのように気にかかる。

 米証券取引委員会が4月16日、最大手投資銀行のゴールドマン・サックスを証券詐欺容疑で提訴した。07年に販売したサブプライムローン(信用度の低い住宅ローン)債権の債務担保証券(CDO)の組成と販売にあたって、ゴールドマンは買い手の投資家に適切な情報開示をしなかったという理由である。

 合成CDOに組み込む証券の選定に関わったヘッジファンド(ポールソン&カンパニー)が、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)で売り浴びせ、証券の価格が下がることを知っていながら、ゴールドマンは口をぬぐっていたというのだ。

 くだけた言い方をすれば、いずれ叩き売りにあってボロになると知っていながら、何食わぬ顔で売りつけたのは「詐欺」にあたるという嫌疑である。

 一見、理屈はもっともらしいが、SECの5人の委員の評決が3対2の僅差だったところをみると、この「詐欺」認定はけっして自明ではなかった。

 ゴールドマンのみならず金融取引仲介業者(広義の証券会社)にとって、ある金融商品が無価値になるかいなかは一つのリスク。リスクは投資家が負うべきであり、ババをつかんだからと言って、仲介者のせいにするのはお門違いという論理も成り立つ。

 相対(あいたい)取引で嘘をついたら詐欺だが、それらの証券には市場価格がついていた。他の投資家もその時点で値が妥当だと判断していたことになる。

 それでも、潜在的な売り手がいると知ったら、仲介業者は投資家に耳打ちして、買い意欲をそぐべきなのか。おそらくこれは金融の根幹に関わる問題だ。市場は一定の情報公開を義務づけているが、情報の完全な対称性を実現したら市場は成り立たない。

 リスクの分散という市場メカニズムは、情報の非対称性とコインの裏表なのである。

 現にゴールドマンのブラックファインCEO(最高経営責任者)は、ゴールドマンもこの取引で損を出したのだから、故意に投資家をミスリードした詐欺ではないと反論した。

 徹底抗戦の方針である。しかしニューヨーク・タイムズ紙のポール・クルーグマンのコラム「(グッチの)ローファーを履いた略奪者」が指摘するように、ゴールドマン・サックスは、客を殺しても荒稼ぎするウォール街の「略奪」(サックス)の代名詞になっている。

 SECの提訴は、それに対するオバマ民主党政権の「みせしめ」、1月に大統領が提唱した「ボルカー・ルール」の露払いとも見える。

 3月には新しい金融機関規制案のたたき台が上院銀行委員会で示されたが、ゴールドマンなど金融界は骨抜きにしようと、猛然とロビイングをかけていた。それに、オバマ政権とSECはカウンターパンチを食わせたのではないのか。

 ゴールドマン、CDO、CDS、ヘッジファンド……その組み合わせだけで、ウォール街の「悪の枢軸」がそろい踏みの感じがする。

 リーマン・ショック以降、納税者の血税を注ぎ込んで決壊を防いだウォール街が、安堵と感謝の舌の根もかわかぬうちに、途方もない高報酬を復活させ、生き馬の目を抜くババ抜きゲームを再開しようとしている。

 その彼らにオバマ政権は鉄槌を食わせようというのだ。もちろん、中間選挙をにらんだ政治ショーであり、SECの提訴もまたすこぶる政治的である。

 対岸の火事ではない。鳩山政権もアメリカ=ウォール街憎悪は強い。「浪花節マルキスト」亀井静香・郵政改革担当相の「郵貯見直し」はほとんど市場否定である。

 だが、資本主義は「いかなるものも超越性を許さない」という意味で唯一の超越性なのだ。金融規制に市場外の「倫理」を持ち込む――すなわち、資本主義に「対称性」という精神性を求めたら、経済社会は元も子もなくしてしまうのではないか。