阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2009年8月27日 [書評]「サバタイ・ツヴィ伝 神秘のメシア」のススメ――「偽メシア」という逆説

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もしかして、と思う。サバタイ・ツヴィは「ナザレのイエス」を凌駕するメシアだったかもしれない。偉大という意味ではない。エソテリック(秘教)の極限を示したからだ。

ツヴィは十七世紀ギリシャに生まれ、エルサレム第二神殿破壊以降、ユダヤ最大のメシア運動の頂点に立った。北はポーランドから南はエジプトまで、西はアムステルダムから東はクルディスタンまで、広大な地域に離散したユダヤ人社会が、「聖地にメシアの王現る」の報にこぞって熱狂し、悔悛し始めたからである。

ツヴィがなしえてイエスにできなかったことは何か。メシア自ら「転んだ」ことである。

イエスは総督ピラトゥスの前で「神の子か」と問われて否定せず、磔刑に処されたが、ツヴィはオスマン帝国のスルタンの脅迫に棄教してイスラムに改宗した。キリスト教徒は彼をペテン師と嘲り、保守的なラビたちも軽蔑を隠さなかった。

殉教を否定した「メシア」とは恐ろしい逆説だ。これほどの瀆神はない。だが、「首」を失ったサバタイ主義運動は瓦解せず、地下に潜って生きながらえた。

なぜか。それがユダヤ神秘主義「カバラー」の碩学ショーレム(『パサージュ』の批評家ヴァルター・ベンヤミンの親友)が、この伝記で挑んだ謎である。

米国に亡命したカントロビッチの『王の二つの身体』のように、ショーレムの解は「メシアの二つの身体」にあると思える。

ツヴィは躁鬱で意志薄弱、妄言と奇行で知られた。単なる霊媒だけでは運動は起こせない。ツヴィには「黒衣」がいた。「預言者」と呼ばれた、敬虔なラビの子「ガザのナータン」である。

カバラーに霊感を得たナータンが、ツヴィにメシアを幻視したのが発端だ。卑弥呼と兄弟、大本教の出口なおと王仁三郎のように、秘教は往々にして二重星の構造をとる。

カバラーはオカルトではない。旧約聖書の読みかえによって、神の退却(ツィムツーム)というユニークな創世神話を生み、その空洞(テヒルー)に射す光=メシアという思想が終末論と結びつく。そこにツヴィの運動が生まれた。

ナータンは唱えた。「イスラエルはしるしや奇蹟なしにメシアを信じなければならない」。キリスト教の初期ラテン教父、テルトゥリアヌスが唱えた「不合理ゆえに吾信ず」と同じである。メシアは示現しない。

裏返せば、だれでもメシアたりうる。棄教しても、いや、「偽メシア」こそメシアかもしれない。ツヴィ転向のあとも運動が持続した内的な理由は、その背理にあると思える。

それはユダヤ人とは何か、という問いを超えたもう一つの問い――「秘教はなぜ滅ぼせないか」という謎に直結する。

現代も、殉教と秘教は駆逐できない。スターリニズムやナチズムも殲滅以外に手がなかったし、アフガニスタンにアメリカが注ぎこんだ強大な軍事力もいまだに掃討できない。

メシアには二つの身体がある。限りある肉体(コルプス)は滅びても、不合理を信ずる逆説の化体(コルプス)は滅びない。ツヴィとナータンはそれを証明した。

『1Q84』の作者は爪の垢でも煎じて飲むべきか。彼の得意なレティサンス(黙示法)では、とてもこの「信の背理」に歯が立たないから。

(熊本日日新聞「阿部重夫が読む」 2009年8月23日)