阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2009年2月19日 [ポリティクス]3月号の編集後記

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FACTA最新号(2009年3月号、2月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は25日からです。

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百聞は一見に如かず。お忍びで東京近郊のイオンのショッピングモールを見て回った。うんざりするほど広い。GMS、シネコン、フードコート、レストラン、スポーツジム……何でもある。が、何もない。どこまで行っても都心のダウンタウンのイミテーションである。規格化されて、一カ所見れば十分だった。

▼思わず目を疑ったのは、新作の『レボリューショナリー・ロード』まで上映していたこと。何という皮肉。リチャード・イエーツの原作は、イオンが体現しているサバービア(都市近郊)の虚妄に、ありったけの憎悪を叩きつけた作品だ。『タイタニック』以来11年ぶりのディカプリオとウィンスレットの共演と聞いて、感動作と勘違いしたのだろう。全編、罵倒の嵐と知っていたら、イオンのシネマ担当は上映を渋ったはずだ。

▼思わせぶりなタイトルは、日本の新興団地風に「新しがり通り」とでも訳せばいい。絵に描いたような郊外の芝生の団地。住宅展示場のモデルハウスのような小綺麗な家。IBMがモデルらしき大企業に通う夫と、女優志望だったが今は二児の母の妻――傍目には理想の夫婦だが、実は互いの虚像を暴いてやまない夫婦喧嘩の日々である。設定は1955年。時代からみて『セールスマンの死』の後日編、いや、源氏の宇治十帖のようにウィリー・ローマンの子世代の物語と言っていい。

▼アメリカには呪縛がある。テレビドラマ『パパは何でも知っている』のあの豊かなバラ色の家々こそ、戦後の日本が裏も知らずにただ追い求めた涅槃(ニルヴアーナ)だった。土地神話はそこに胚胎し、ウサギ小屋のマイホームをコロニアル調にする滑稽も、あのイメージの残像からである。里山を蕪(あ)れるがままにして、農村も都会と同じ化粧に走った。恐ろしいことに、今の日本のサバービアほど、みごとにアメリカの空虚、空中庭園の寂寥を体現したものはない。