阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2008年1月16日 [書評]ジョン・B・テイラー「テロマネーを封鎖せよ」のススメ

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熊本日日新聞の年初(1月6日付朝刊)の書評欄に寄稿した原稿を再録します。書評したのは

ジョン・B・テイラー著
テロマネーを封鎖せよ~米国の国際金融戦略の内幕を描く』(中谷和男訳、日経BP社、2200円+税)

です。いかんせん、タイトルが問題。スリラーみたいだが、こういう邦題で釣ろうというには、あまりに内容がきちんとした本である。見ようによっては、ドル基軸通貨最後の日のドキュメンタリーなのに、安手のミステリーと見紛うようなタイトルは、この本の編集担当者の良識を疑う。

もうひとつ、日本経済新聞朝刊1面の正月企画「YEN漂流」は、本書を引用していながら引用の表示がない。いくら出版社が同系列でも仁義にもとると思う。それに、引用のくだりはこの書評でも触れているG3会合だが、その出席者の一人、溝口元財務官(現島根県知事)に取材するのを怠っている。

なぜ溝口案が拒否されたかの突っ込みがない。格好の素材なのだから、デスク、および筆者は取材のチャンスを逃したようなものである。昔の日経の正月企画は、こんな手抜きはしなかった。

ついでに申しますと、日経本紙文化欄のグリーンスパン「私の履歴書」も、グリーンスパン自伝「波乱の時代」(これは日本経済新聞出版社)に、就任前のエピソードを付け加えた程度ではないのか。後半が本のダイジェストになるなら、読む価値はないのでは? それとも本の販促なのかしら。

さて、では、書評を――。

*   *   *   *   *

お公家集団――日銀のセントラルバンカー(中央銀行マン)たちは、時にそんな陰口を叩かれる。気位が高くて神経質だが度胸はない、といったニュアンスだ。東京・本石町の「金融政策のパルテノン」にいると、雲上人のような錯覚にとらわれるからだろう。たとえば、自衛隊員と一緒に自らイラクの戦場に飛び込む日銀マンがいるだろうか。

本書の筆者ジョン・テイラーはセントラルバンカーではない。もとはスタンフォード大学教授、そして9・11テロ直前に財務省次官(国際金融)に任命された。しかしその名は、1993年に中央銀行の金融政策決定を定式化した「テイラー・ルール」で知られる。連邦銀行入りしてもおかしくない業績だし、広義の金融パルテノンの人と言っていい。

その彼が2003年6月、つまり侵攻からわずか2カ月後のバグダッドに飛んだ。治安が悪くて護衛の出迎えがなく、空港の野外テントも簡易ベッドはすべて、疲労困憊して眠る兵士たちで満杯だった。やむなくスースケースをマット代わりにして、丸めた背広を枕に一夜を過ごす羽目になる。

常在戦場。アメリカの政府幹部は「戦士」らしい。テイラー自身は9・11の当日、財務長官らと東京に出張中だったが、軍の輸送機で空中給油しながらワシントンまでとんぼ返りした。それからはテロ組織の資産凍結、アフガニスタン侵攻後をにらんだ経済復興計画の策定、金融市場の危機に連鎖しかけたアルゼンチンなど途上国経済の救済、と息つく暇もなかった。

そしてイラク侵攻前夜、前線基地になるはずのトルコを抱き込む金融支援策を練りあげたものの、トルコ議会の拒否で蹉跌。それでも、二重スパイを使ってフセイン政権にガセ情報を流し、トルコから侵攻の可能性を信じさせて、南部を手薄にしたことなど、金融と戦略の一体化を如実に物語っている。

国家の崩壊は通貨の崩壊でもある。ディナール通貨切り替えの舞台裏は、この本のハイライトだろう。イラクで流通していた通貨は二つ。フセインの肖像がほほえむ「サダム・ディナール」と、北部クルド人地域に残る第一次大戦前の旧紙幣「スイス・ディナール」である。前者は経済制裁で窮迫したフセイン政権がやたらと増刷し、減価が著しい。評者がイラクで取材した11年前にすでに100ドル紙幣1枚の両替で袋いっぱいのサダム・ディナール札を渡されたほどインフレだった。

それでも廃札にすれば、天井知らずの超インフレで経済が破綻する。といって旧紙幣の増刷(欧州の印刷会社にあった原版で)ではクルド優遇と思われるというジレンマ。結局、当座は米ドルで支払い、準備に時間がかかる新紙幣は国民の選択に委ねる(新紙幣のデザインはスイス・ディナールを踏襲)という二段階になった。かくてテイラーは、金融の究極である通貨のデミウルゴス(創造主)を体験できたのだ。
彼はイラクの債務削減のための国際交渉にも関わったが、最終章は通貨協議が「G7」からドル・円・ユーロの「G3」に移行した秘話が語られる貴重な章になっている。

日本が「失われた10年」から脱出できたのは、02年末から外為市場で合計3200億ドルにのぼる大規模なドル買い・円売りを続け、その非不胎化で金融をジャブジャブにしたおかげと思える。その過程で初のG3会合が03年7月に開かれた。米国からテイラー、日本から溝口善兵衛財務官(現島根県知事)、欧州からコッホ=ヴエーザーEU経済財政委員長が集まった。

場所はスタンフォード大学近くのレストラン。シリコンバレーのベンチャー起業家が集まる「バックス・オブ・ウッドサイド」だった。G3通貨協議の合意ができたが、テイラーはプラザ合意をもじってこれを「バックス合意」と呼ぶ。初会合では溝口氏が中心(レファレンス)レートを提案、フーバー研究所の便箋に手書きしたコピーが本書に載っている。米欧の二人はこの溝口案を拒否したらしい。

テイラーは05年2月に次官を退任、再び学究生活に戻った。本書は「明快な任務」と「チームワーク」が要諦というアメリカ型リーダーシップの信念に貫かれている。

それはまた、「均衡名目金利」(均衡実質金利×目標インフレ率)と「目標インフレ率との乖離幅」「需給ギャップ」の3項で政策金利を決めるテイラー・ルールとも共通している。狐疑逡巡に政策決定の余地を残そうとするウェットな「お公家集団」と比較するには、格好のドキュメンタリーと言っていい。