阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2007年10月 3日 [書評]山本一生著「恋と伯爵と大正デモクラシー」のススメ

  • はてなブックマークに追加

熊本日日新聞に数カ月に一度、書評を寄稿している。「阿部重夫が読む」という気恥ずかしいタイトルだが、今回は9月30日付の朝刊読書面に掲載された。とりあげたのは、山本一生著「恋と伯爵と大正デモクラシー 有馬頼寧日記1919」(日本経済新聞出版社 2000円+税)である。

有馬頼寧と言っても知る人は少ない(「ありま・よりやす」と正確に読めない人がいるかも)。でも、「有馬記念」の名を残した人なのだ。戦前の伯爵であり、華族の身ゆえ、麗々しい名前だが、本人はその名を「タヨリネー」と読み替えて、悦に入っていたというから面白い。

自嘲だけではない。そこには秘められた恋物語があったという。

玄人好みだが、万人に読んでほしいな、と思った本である。掲載から4日経ったので、もう熊日に礼を失することもないだろう。熊日の読者以外にも紹介したいので、ここに再録する。ただし熊日版は行数が溢れたので、これよりもっと短くなっている。

*   *   *   *   *

歴史は時代の哀しみを語る。それなくして史家を名乗る資格はない。私は生来の怠惰に加え、古人の書牘を読み解く学識と考証が不足している。書物の森に深く分け入って、徒労も辞さず埋もれた固有名詞を追う「訓詁探偵」の無垢の情熱にも乏しいから、そういう史家には脱帽するばかりである。

けれど、いつのまにか、そんな史家が消えて久しい。平成はたった一人の司馬遷、一人の森鴎外も出せずに終わるのか。

今は、否、と言おう。

久留米藩二十一万石の伯爵家を背負った有馬頼寧(一八八四~一九五七)の人生の一隅を照らした史伝がここに出現した。一見、トリヴィアルな秘話発掘とも読めるのは、頼寧の名がすでに忘却の波間に沈みかけているからだろう。

辛うじて記憶にとどめている人でも、中央競馬の年末のフィナーレを飾る「有馬記念」のもとになった中山グランプリの生みの親、そして精々が直木賞作家、有馬頼義の父というくらいの知識だろうか。

しかし、この本は頼寧の波乱万丈の一生を追うものではない。大正八年のたった一年、頼寧が断念した恋に絞って、あとは枝葉と思い切り刈りこんでいる。だから狷介詰屈な『渋江抽斎』のように、素養がなければ歯が立たない鴎外の重苦しい史伝とは趣を異にし、優れた小説のように芳醇で読みやすい。

頼寧の生涯を知りたいなら、巻末の年譜(簡にして要を得た記述は春秋左氏伝の筆法である)で一望すればいい。華族の桎梏に屈したこの哀しい恋を浮かびあがらせ、一斑にして全豹を知らしめんとした工夫がよく分かる。

歴史上の頼寧はA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに八カ月半収監された人だ。学習院高等科時代から近衛文麿や木戸幸一、志賀直哉らと親しく、襲爵前は農商務省に入省しており、貧民教育や差別撤廃運動、農民運動や労働運動などに私財を投じた善意の華族政治家である。

産業組合中央金庫(現在の農林中金)理事長から産業組合中央会(のちの全中)会頭を経て、第一次近衛内閣では農林大臣に指名された。その後も近衛の新体制運動に参画、「大政翼賛会」の事務総長を務めながら、国策イデオローグたちに「アカ」と呼ばれて集中砲火を浴び、近衛の切り捨てによって失脚した。

山あり谷あり、人物も魅力的なのに、本格的な伝記が書かれなかったのが不思議である。もっとも「世の中で一番嫌いなものは銅像と伝記」と頼寧本人が峻拒し、戦後に沈痛な自伝の筆を執っただけに、なまなかな史家や伝記作者の手には負えなかったのだろう。

作者はそこに挑戦した。アカデミシャンではない。石油会社で経理を担当し、のちフリーランスとなって競馬の血統研究の翻訳や、秀逸な競馬文化論を書いてきた在野の人である。九〇年代から刊行が始まった有馬頼寧日記全五巻を編纂した伊藤隆東大名誉教授に薦められ、索引づくりを手伝うことになった。

日記には詳細な注が必要で、フルネームでない名称、略称、愛称の正体を突き止めるのは容易なことではない。資料渉猟は頼寧日記のみならず、有馬家を支配した枢密院議長倉富勇三郎の日記や、信愛学院史、民俗学の柳田国男から俳人の松根東洋城など広範囲に及ぶ。その徹底した博捜からこの作品は生まれた。

劈頭、都立中央図書館の検索キーボードを叩く場面に始まるように、これは一種の追跡ミステリーである。読者はいつのまにか「検索の猟犬」となって、ひたすら謎を追っている。日記に点綴された「ミドリ」「M」とはいかなる恋人なのか。親友「八重ちゃん」の業病は何だったのか……。

驚くべき発見があった。意外さは奇遇の域を超えている。やはり、優れたノンフィクションは凡百のミステリーにまさるのだ。私のようなジャーナリストはそこで納得するが、作者は立ちどまらない。頼寧とミドリの別れのクライマックスは虚実の境を越え、ほとんど二人に仮託したモノローグになっていく。

実を言うと、作者と評者は高校以来の友人である。彼は伊藤門下の優駿だったが、大学紛争の余燼で院を受験しなかった。当時は「ボンクラが大学に残るのさ」とうそぶき、在野の意地に生きた。「所詮、学者は史家ではない」というのが僕らの結論である。身びいきでなく言うが、この本はその渇を癒してくれた。

「思い残すことはもうない」

作者はそう言う。でも、この本を読ませたかった友がいる。五月に亡くなった作家、藤原伊織である。大学でみな一緒だった。

二人の作品は同じ哀しみをたたえている。消えた時代の哀しみを。