阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2007年4月19日 [編集後記]最新号のつぶやき

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最新号の紹介を兼ねて、先月から編集後記をこの編集長ブログで公開することにした。雑誌編集の命は目次にあるが、その配列や大小、取材の深度などが複雑に絡みあう。それをまとめた上での誌面なのだが、100%の誌面などありえない。どこか思い余るところがあって、それが余滴として後記となる。

創刊以来、通りいっぺんの後記(取材雑記)にならないよう心がけてきた。しかし、それをブログにさらすと、胸のつぶやきがつぶやきにならない恐れもある。前号の大証ヘラクレスの記事のように、フリーコンテンツの記事が勝手に一人歩きする場合もあるからだ。とにかく、今号の編集後記は以下の通りである。

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威勢のいい音楽とともに、宿場町に三船敏郎演ずる素浪人が、懐手に肩を揺すって現れる。黒澤明監督の『用心棒』はいつ見ても痛快な映画だ。西部劇さながら濛々と砂塵が舞い上がるこの宿場では、「清兵衛」と「丑寅」の二人のヤクザの親分が、用心棒を雇って跡目争いに血眼なのだ。素浪人は「高値で雇うほうに腕を貸す」と言って両方をけしかける。

▼しかしこの素浪人の狙いは、毒をもって毒を制す――狂犬同士を咬み合わせ、血で血を洗う出入りで自滅させ、宿場から「悪」を一掃することなのだ。加東大介から羅生門網五郎、山茶花究から山田五十鈴まで、芸達者な面々が見せる「悪のアラベスク」を見るたび、カラッとした哄笑が聞こえるような気がする。市場の「見えざる手」とやらも、清濁を相打ちさせて均衡を回復させるという意味で、この哄笑に近いのかもしれない。

▼だが、原理は常に例外を生む。教科書的に「市場は善悪を超越している」とつぶやいてみても、英国のヘッジファンド「ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド」(TCI)を見ると虚しい。彼らは逆に善悪を市場に持ち込んだ。アフリカの児童を救う「善」のために、モノ言う株主として企業を恫喝する「悪」をも辞さない。グラスゴーのアダム・スミスの墓に問うてみたい。これを偽善というべきか、偽悪というべきか、それとも、市場の「見える手」なのか、と。

▼たまたま、今号ではカバーストーリーの「東証」と、企業スキャンの「電源開発」に、TCIが同時出演することになった。まさにこの「見える手」はヒドラ(多頭蛇)のように、資産は大きいが制度に守られて隙だらけの企業を狙って、喉元に食らいつく。私事で恐縮だが、TCIの後ろ盾になっているジェイコブ・ロスチャイルド卿には、12年前の1995年にロンドンで1対1のインタビューをしたことがある。有名な「握り矢印」の小看板のある彼のオフィスの向かい、スペンサー・ハウス(もとは故ダイアナ妃の実家スペンサー家の館)で。仰天したのは、部屋の片隅にハングルの北朝鮮の新聞が置いてあったことだ。

▼恐るべし。地球の片隅にまで目を凝らすヒドラ。もの静かで知的で鋭敏で、善意にあふれているから余計始末が悪い。「環境」「慈善」……誰も反対できない大義名分を掲げた哄笑のない善(あるいは悪)は退けるのが難しい。FACTAは満1歳を迎え2年目に入るが、こういう笑えぬヒドラにも肉薄したい。「用心棒」の一場面のごとく、舞う枯葉にストンと包丁を突きたてるように。