阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2007年4月16日 ブログ復帰――幻の天心オペラ

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編集期間明けでブログに復帰します。目の回るような忙しさで、なかなか書けなかったのです。

先週金曜日夜、ン十年ぶりに当時の高校のバレーボール部メンバー6人が集まる会があった。いやはや、高校卒業以来、6人制バレーのチーム全員が顔をそろえるのは初めて。神田須田町の焼き肉屋に集まったが、そこで「最近、ブログが更新されてないよ」とお叱りをいただいた。

確かに体力勝負のブロガーは、スポーツ選手と同じく、寝込んではいられない。休むと「どこかお体の調子が?」と聞かれてしまうから、ちょっと辛いところだ。肩は痛いが、がんばりましょう。

会社の前の道灌路の八重桜が咲き始めた。幽艶なソメイヨシノと違って葉桜だが、なんとなくほっとするから不思議だ。やはり四月は桜の季節、入学の季節で、胸をはずませていた少年時代を思い出す。

お嬢さんが東京芸大の絵画に入ったという父親に最近会った。そのお姉さんも芸大の音楽科だから、姉妹そろって芸大生という、ずいぶんうらやましい身分である。

ところが、ちょっと不服そうだ。娘の入学式に「出たはいいが、学長の挨拶がどうも気に食わん」という。
「芸術は心を描くもの」と言ったそうだ。「それがどうして?」と聞いたら、「心には美醜があり、善悪もある。それを全部描いたら芸術にならん、芸術とは真心を描くもんだ、となぜ言えないのか」と。

お嬢さんは父親に抵抗した。「学長のほうが正しい」と言った。それで親子でむかっ腹を立てているらしい。どっちがヘソ曲がりか、軍配を上げかねたので、東京芸大の前身、東京美術学校(美校)の祖、岡倉天心の話をした。九鬼男爵夫人、星崎初子との悲恋、初子の発狂、天心の挫折、隠し子と正妻の嫉妬、そして最晩年のインド人閨秀詩人との恋。彼が最後に英語で書いたオペラ台本「白狐」……。

「白狐」は信太妻伝説が下敷きだが、まだ誰も曲をつけていない。くだんの父親が目を輝かせた。

「そのオペラ、完成させて聞いてみたいな」

酔狂というなかれ。もし実現したら、それが「心を描いた」ものか、「真心を描いた」ものか、耳で聞き分けられるだろう。

天心の墓は巣鴨のトゲヌキ地蔵のそばの染井墓地にある。過日、訪れてみた。存外小さかった。低い角型で、釈天心とあるだけである。ところが、横に「永遠の平和」などと歯の浮くような言葉が彫られた小さな石碑が割り込んでいるのには幻滅した。後人のお節介というべきである。夕暮れの染井で途方に暮れた。

ああ、帰ろうやれ。