阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2006年3月24日 [創刊に向けて]問題少女

  • はてなブックマークに追加

しだいに創刊号編集の重圧が高まってきて、ブログを書く時間をつくるのが困難になってきた。自分でもしだいに目がつりあがってくるのが分かる。しばらく長文は書けない。掲載はスタッカートになるので悪しからず。

桜の開花宣言が出た1日後(3月22日)の東京の夜は雨もよいだった。新宿三丁目で待ち合わせがあり、地下鉄の駅を出たら、もう春の雨に肩が濡れた。飲み屋の二階のバーを指定されたが、まだ看板の明かりが灯っていない。連れの記者がいたから、目と鼻の先の焼肉屋で軽くレモンサワーをあおり、焼肉をつつきながら、店があくのを待つことにした。

話に夢中になっていて、ふと窓から外をふりあおいだら、青い看板のライトが灯っている。おう、開店したか。そそくさと勘定を終え、階段をあがってバーの扉を押しあけた。女性がひとり、背を向けてスツールに座っている。携帯で話しこんでいて、身をよじらせて流し目。「あ、お客さん、今きたわよ」。待ち合わせの相手が、少し遅れると電話をかけてきたらしい。こちらもスツールに腰をのせた。

窓が少しあけてあって、雨の匂いがバーの暗がりに漂う。うらぶれた、というと失礼だが、なんだか昔の日活の映画に出てきそうな場末の感じだ。懐かしき時代の新宿がまだあったか。水割りをこしらえながら、ママが「雨でタクシーがつかまらなくって。とうとうびしょ濡れよ」とぼやいているうちに、「よっ」と威勢のいい声で新たな客が飛びこんできた。

天才アラーキー、こと写真家の荒木経惟氏である。彼と待ち合わせたのだ。バーの壁には刺青の男と女がからむアブナイ写真のパネルが飾ってあるから、行きつけの店なのだろう。彼に頼みたいことがあって、熱烈な口説きの手紙を書いた。硬派の雑誌を創刊するが、ぜひあなたの写真を表紙に使いたい、と。大股びらきのアブナ絵ではない。どんな風景を撮っても、どこか無常を漂わす、あのタナトスを凝視した写真を載せたいのだ、と。

思いが通じるかどうかは賭けだったが、幸い通じたらしい。忙しい合間を縫って、いきなりこのバーで会うと指定されたのだ。気難しい芸術家を想像していたが、会ってみると声こそ甲高いが繊細な人だった。「ふーん、今どき雑誌を始めるの?」。酔狂、あるいは殊勝、といわんばかりに励まされた。休刊した「噂の真相」の話が出る。

「岡留(編集長)、どうしてるかな」
「ときどき東京に来てるみたいですよ」
「沖縄にいられないのかな」
「乞食と編集長は三日やったらやめられない、と言いますからね。とにかく『噂真』は端倪すべからざる雑誌でした。取材の突破力では戦えても、荒木さんの写真が載っていると、あの衝撃力には負ける。もう今は心置きなく掲載を頼めます」

というわけで快諾を得た。「がんばってな」と肩をたたかれる。あまりショッキングな表紙ではビジネス・ユースに合わないという声もあるけれど、それはアラーキの写真の全貌を知らないからだ。昨年11月にロンドンのバービカン(アートセンター)で大回顧展を開き、えらい人気だったという。どんな表紙になるか、お楽しみに。

さて、せっかく新宿に遠征したのだから、ネット空間と市場空間を論ずるのは少し先延ばしにしよう。日本経済新聞の女性記者だったが、私と同じころ退社してフリーランスになった長田美穂さんから新著が送られてきた。これまで「ヒット力」(のち改題して「売れる理由」)など、主にビジネスライターとしてあちこちに寄稿してきたが、まるで趣の違う本だった。題して「問題少女」。副題が「生と死のボーダーラインで揺れた」とある。摂食障害に苦しみ、薬物とセックスに依存し、自殺未遂を繰り返した末に縊死を遂げる「境界性人格障害」の少女のドキュメントである。

「ハッピードラッグ」と呼ばれた抗欝剤プロザックの取材で出会ったらしいが、他人の無意識を異常なほど感知する鋭すぎる頭脳とそのどうしようもない心の弱さゆえに、少女はついに立ち直れず破滅していく。長田さんは取材者の閾を越えてその死の立会人となった。読み進むにつれていたたまれなくなる。ありきたりの記者はここまで肉薄できない。自分が壊れてしまうからだ。防衛本能が働いて、途中で安全無事な会社の日常へ引き返す。

だが、長田さんはそうしなかった。ジャーナリストというより、同伴者としてともに危険な淵に近づいた。故高橋和己の妻だった高橋たか子の小説に、大島の三原山噴火口で投身自殺する人に同伴する不気味な物語があったが、ああいう感じである。

暮れに久しぶりで彼女に会ったとき、すっかり面がわりしているのに気づいたが、それが何かを踏み越えたせいなのだと得心がいった。変哲もない家庭に育ちながら、ゆえ知れぬ不安に苛まれるこの少女の日常に接することで、まぎれもない地獄を見ることができたのだ。この地獄に鬼はいない。下北沢のお好み焼き屋、新宿の紀伊国屋前の雑踏、そして薄汚れた歌舞伎町の風俗店があるだけなのだ。寥々として誰もいない。耳元で囁くのは自分に潜むメフィストフェレスの裏声なのだ。

少女はカッターナイフで何度もざくざくと手首に切りつける。理由は? 本人も分からない。フィンランドの歌手ビョークが主演した悲惨な映画「ダンサー・インザ・ダーク」のように、自分も死にたいと訴えるだけだ。

もしかすると、取材者もその誘惑に駆られたのではないか。無意識のうちにこの頭のいい少女は取材者に憑依している。この本自体、少女が書かせた遺書なのかもしれない。少女の自殺後、筆者は原因を求めて取材をつづけるが、医師もカウンセラーもそれぞれの分析を語るにすぎない。どこにも救いはなかったのだ。

本は思ったほど売れていない、と長田さんは言う。リストカッター(手首切り)の少女たちを描いた類書があるからだろうか。落胆することはない。妙にうすら明るく、空疎な今をこの本はよく描いたと思う。とってつけたような救いも、借り物の解釈もない分、がらんどうの魔が切々と迫ってくる。

新宿の雨の宵に、少女の後姿を思い浮かべた。かつて彼女はここを通りすぎた。どこにも逃げ場はない。