阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2006年1月31日 [ネット愛国主義]ネット愛国主義の胚9――ベンチャーの魔の沼

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1月27日、東大多比良研究室の論文データ捏造疑惑は“ほぼ”ケリがついた。調査委員会は「現段階で実験結果は再現できていない」と正式に発表、会見で浜田純一副学長は「捏造同然と見える」と述べた。平尾公彦科長も「疑いは濃厚。いまいましい」、調査委員の長棟輝行教授も「遺伝子材料が(再実験の)直前につくられた可能性がある」と多比良和誠(たいら・かずなり)教授と川崎広明助手の捏造を色濃くにじませた。両人はなお「調査はフェアではない」「不正はしていない」としていて、懲戒免職などの処分が検討されている。

しかし両人を処分しても問題は終わらない。ここに潜むもっと本質的な問題は、多比良教授が事実上の創業者であるベンチャー企業「iGENE」(アイジーン)だろう。2003年3月に資本金2765万円で創業、多比良教授は取締役である。

事業目的は試薬、ライブラリー、創薬を三本柱とするバイオテクノロジー企業だが、そのホームページの紹介にもあるように多比良研究室が推進するRNA(リボ核酸)干渉(RNAi)研究を企業化しようとしたものであることは明らかだ。

RNAi技術の誕生とともに創業したiGENEは、「RNAiの可能性に挑戦」をテーマに、この革新的技 術の普及とその技術に基づく医薬品開発のお手伝いをしながら新時代の生活文化に貢献する企業となることをを目標としています。現在iGENEでは siRNA、shRNA、オリゴ、ベクター、ライブラリーなどお役に立つ商品開発を次々に行っており、また、新技術の開発とその応用に日々努力しておりま す。

だが、05年9月13日の東大調査委の発表で多比良教授の信用が地に落ちるとともに、iGENEにも問い合わせが殺到したらしい。9月28日に「9月14日付け新聞、テレビ等マスコミ報道の件につきまして」という釈明文を発表した。

この度の東京大学多比良和誠教授の論文に関する報道を受けまして、弊社にもお客様よりお問い合わせを頂いております。弊社は東京大学とは別組織でございますが、同教授は技術指導役員として弊社取締役を兼任しております関係上、顧客の皆様、関係者の方々には多大なご心配をお掛けして誠に申し訳ございません。

だが、謝るのはそこまで。データ捏造疑惑の中心人物で多比良研究室に属す川崎広明助手、鈴木勉助教授、さらに東大医学系研究科の宮岸真特任助教授(このくだりの記述が紛らわしいとのご指摘がありました。文中の「データ捏造疑惑の中心人物で多比良研究室に属す」は、川崎助手の形容句であって、以下の鈴木勉准教授(当時)、さらに東大医学系研究科の宮岸真特任准教授(同)の形容ではありません。鈴木、宮岸准教授は東京大学工学研究科多比良研究室に所属しておらず、東大調査委員会のデータ捏造疑惑の調査対象は川崎助手でした=2008年5月27日の注記)が取締役をつとめていたことには口をつぐんでいる。しかし、動かぬ証拠は東京大学が発表している。平成16年度下半期の「東京大学教員の役員等兼業の状況について」を見れば一目でわかる。

iGENEはなぜ隠すのか。釈明文では、東大調査委が実験の再現性が比較的容易なため追試およびデータ提出を求めた4論文のタイトルをわざわざ列挙し、問題とされた他の8論文も含め、すべて無関係と主張している。

(株)iGENEの開発商品につきましては、多比良研究室からの導入技術に基づくものがございますが、指摘を受けている論文に関与する商品および技術は扱っておらず、またこれら指摘を受けた主要論文以外の8報につきましても、その内容と弊社の商品および製品か技術には関係のないことも確認致しました。

しかし、データ捏造への関与が疑われている人々(このブログは、06年12月27日に多比良教授と川崎助手を懲戒免職処分とした東大の最終結論より11ヶ月近く先立つ時期に書かれているため、その後の結果を反映していません。最終結論では研究室の管理問題に言及しているが、研究室の捏造関与には触れませんでした。また同年3月3日に産業技術総合研究所の調査委員会が報告した「研究ミスコンダクトに関する調査結果報告」の要旨によれば「(4) 調査委員会でジーンファンクション研究センターの川崎氏以外の研究員について調査したところ、他の研究員は研究記録の保存や管理を適切に行っていた」と、捏造を川崎助手一人の責任としています=2008年5月27日の注記)をずらりと役員陣に並べ、うちの製品は問題論文を製品化していないので大丈夫、と言われて安堵する人はいるだろうか。製品化されなかったのはよほどの幸運としか思えない。あるいは、データが捏造だから製品化できなかった? とまぜっかえしたくもなる。しかも、多比良研究室を信用していなかったような文章が出てくるのにはあきれた。これではトカゲの尻尾切りではないのか。

加えて、製品化にあたりましては、多比良研究室からの発表論文の内容にかかわらず、すべて社内で品質チェックを行っており、今後もこの方針が変わることはありません。幸いなことに、これまで多数のお客様による評価と支持を受けて参りました。

会社の信用は多比良東大教授に依存していなかったというのだろうか。それは無理で、夢の「RNA干渉」を布教する多比良ベンチャーだからこそ起業できたのであり、iGENEのウェブサイトには「関連書籍」として多比良、宮岸、川崎氏ら役員が著者に名を連ねた「改訂RNAi実験プロトコル」を載せているではないか。「より効果的な遺伝子の発現抑制を行うための最新テクニック」というキャッチコピーがブラックユーモアに響く。

iGENEが多比良研究室の成果を製品化できないなら、それこそ企業化した意味がない。さしたるコア技術もないのに、国立大教授を役員に加えて看板にする「創薬メーカー」「バイオベンチャー」乱立の危うさの一端が、はっきり現れていると思う。

ここでも日韓データ捏造疑惑は「うり二つ」の顔をみせる。朝鮮日報05年12月20日によれば、ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授もAIDSワクチンを開発するバイオベンチャー企業の株主だった。韓国店頭市場コスタック上場のキュロコムは12月19日、自社が先月の持分100%を買収したワクチン開発業社のスマジェン(SUMAGEN)の株主のうち、一人が黄教授だったと明らかにした。

黄教授はスマジェン株(額面価格500ウォン)5000株、0.11%を持っており、キュロコムの関係者は、黄教授から保有スマジェン株の半ばを買い取ったため、黄教授が手にした現金はおよそ2300万ウォンだという。

日本医科大学講師の澤倫太郎講師から、メールをいただいた。「新年会で東大、阪大、筑波大の教授・助教授たちとデータ捏造に関する話をする機会がありました。結局は『医工連携』という言葉がキーワードになっているようです」とあった。

遺伝子工学というのは、医学というより、むしろ工学に重心をもつ学問です。遺伝子配列の解析は、4つの塩基の組み合わせによるデジタル情報解析なのは事実です。しかし、その過程で被験者が無償で生体情報を提供するという重要な個人の意志決定が含まれている。しかしなかなかこれが工学研究者にまで伝わらないジレンマを医者は感じるのです。

首肯できる。多比良教授も川崎助手も工学系研究者であり、多比良教授は産業技術総合研究所(旧工業技術院)のポストも兼任し、2つのRNA干渉ビジネスのベンチャーの実質の経営者であり、知財の扱いも極めてビジネスライクだったという。そこに医学系からは「ライフサイエンスの倫理面がなおざりにされているのではないか」という疑念が投げかけられる。貧しい山村の農家に生まれ、畜産工学から遺伝子工学のヒーローにのしあがったソウル大学の黄教授もまた、背景が共通している。彼らは「なりあがりの背伸び」というより、ビジネスの魔に憑かれてアモラル(無倫理)の底なし沼に落ちたのではないか。

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熱心な読者からのご指摘を以下に載せる。貴重なご指摘に感謝する。

「ネット愛国主義の胚6」で書いた「日本の生命科学の権威に撤回メールを送ったA博士」は英国のR. Allshire博士のことで、当該論文はこれでしょう。筆頭著者が論文の撤回に同意しなかったという話も、このページに書いてあります。ちなみに2003年のサイエンス誌の論文はこれにあります。 興味深いのは、多比良研もこちらも同じRNA干渉という研究分野であることです。

もう一点、ご指摘に従い、「Blast(胚)」は「BLAST(米国国立バイオテクノロジー情報センターが運営している遺伝子・アミノ酸配列検索サービス)」と修正する。