阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

2006年1月 5日 [ネット愛国主義]ネット愛国主義の胚3――「衆人環視」の空間はだませない

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政治漫画は残酷だ。変幻自在の言葉が武器の政治家と違って、漫画家は絵の描線しかないから、偏見など精神の歪みがむきだしになる。05年12月6日、朝鮮日報に載っていた漫画がそのいい例である。こめられた悪意は今や繕いようがない。

絵解きをしよう。黄禹錫(ファン・ウソク)教授によるヒト・クローン胚性幹細胞(ES細胞)の捏造疑惑を追及したテレビ局MBCが世間の指弾を浴び、黄教授支持派が「国益のため」に始めた1000人の女性から卵子寄贈を募る運動に、取材していた外国メディアのクルーが感動するという図である。つけたキャプションが「大韓民国の力」。国境を越えて単に一ジャーナリストの立場で見た場合でも、やんぬるかな、と天を仰ぎたくなる。

「風刺」を隠れミノにして、確たる検証もなくナショナリズムの“世論”に迎合しているうえ、外国メディアの権威を盾に国内のライバルメディアを貶めるという最悪の手法だからだ。こういうタッチは大政翼賛会時代の日本、スターリニズム時代のソ連や東欧圏にいくらも事例があった。ナチスの反ユダヤ宣伝紙「突撃者」(Der Stürmer)の扇情的な漫画ともよく似ている。

黄教授疑惑で韓国の新聞は終始後手にまわった。英ネイチャー誌の1年半前の“告発”にも黄教授をかばってきたし、この漫画が掲載された日まで紙面は内外の“嫉妬”に苦しむ黄教授像を演出しようとしていた。が、風向きが変わる。黄疑惑に動かぬ証拠をつきつけ、流れを反転させたのは、ネット発の決定的情報だったのだ。

先に「ネイバー、ダウム、ヤフーなど(韓国の)ポータルサイトに民族の英雄を傷つけるなという書き込みが相次いだ」と書いたが、ネット空間は必ずしも偏狭なナショナリスト大衆にだけ占拠されているわけではない。そこは「衆人環視」の空間であり、専門家も一角に加わっている。研究成果がひとたびネットで公開されたら、彼らはだませないのだ。幹細胞のように、ネットは敵にも味方にもなる「万能空間」なのだ。

この「衆人環視」を甘く見てはいけない。彼ら研究者たちは、米サイエンス誌に掲載された黄教授チームの2005年論文を仔細に検証し、添付された幹細胞の写真やDNA指紋のデータに、見過ごしがたい捏造の跡があるのを発見、韓国科学財団の生物学研究情報センター(BRIC)のネット掲示板に匿名で告発した。耐震設計データ偽造を見抜けなかったイーホームズのようにザルだった米科学誌の査閲制度の穴も、専門知識を欠いた記者が調査報道もせず迎合紙面でナショナリズムを煽るだけという商業ジャーナリズムの穴も、「衆人環視」によって埋められたことは救いといえよう。

論文のどこが異常だったかは、北海道大学大学院生(化学専攻)のブログサイト「幻影随想」が日本語で手際よくまとめている(12月10日11日エントリー)から、そちらをご参照ください。要するに別の細胞の写真のはずなのに、同じ写真を焼き増して角度を変えたりトーンを変えて使いまわしているのだ。DNA指紋でも、体細胞とそこからつくったES細胞のDNAは本来同一になるとはいえ、鑑定は手作業で試料の量なども微妙に違うためノイズや波形が微妙に違ってくるはずだ。なのにサンプルは異常なほど一致していた。これは体細胞のDNAを、幹細胞のDNAと偽っているとの疑惑を強める。

この発見は韓国科学技術者連合のサイト(http://scieng.net)を経て瞬く間に広がった。ソウル大学の若手教授たちも、 鄭雲燦 (チョン・ウンチャン)総長に「幹細胞のDNA指紋データのうち、相当数に疑問を抱かざるを得ない」とする文書を提出した。ソウル大学はついに調査委員会を設け、2005年論文で黄教授が誇示した幹細胞自体が「一つも実在しない」という結論に達したのだ。1月10日には大学調査委の最終結論が出て、最後の鉄槌がふりおろされる予定だが、2005年12月30日付の朝鮮日報はなお残る5つの疑惑を挙げている。

(1) サイエンス誌2004年論文では、受精卵の胚か初期段階の幹細胞を抽出する「ソフト・スキーズ」法などの源泉技術を確立したとしているが、これも存在しないのか
(2) 2004年論文の成果もデータを捏造したものなのか
(3) 2005年論文でデータ捏造を隠すため、誰が幹細胞をすりかえたのか
(4) 黄教授は、共同研究先の米ピッツバーグ大学にいる韓国人2研究員とその父に4万ドルを渡していたが、2研究員とも捏造に加担、その口止め料だったのか
(5) そのカネを出したのが情報機関の国家情報院だったと報じられ(国家情報院は「黄教授に頼まれただけ」と釈明)たが、国家関与の有無は

(4)と(5)は多少説明を要する。テレビ局MBCの時事番組「PD手帳」の取材班に対し、ピッツバーグ大学にいる研究員は「黄教授の指示で幹細胞2株を11株にふやす写真を撮った」と捏造を認める発言をした。研究員は11月半ばに自殺未遂を犯し、黄研究班のソウル大学の安圭里(アン・ギュリ)教授と漢陽大学の尹賢洙(ユン・ヒョンス)教授が急遽ピッツバーグに飛んだ。2教授は12月初めにも再度訪米、この研究員にカネを渡したのだ。一連の流れからみると「口止め料」と見える。

この会合の2日後、研究員はMBCに対し「脅迫取材で事実と違うことを口走った」と証言を180度覆してしまう。MBCは番組の放映を中止する。ところが、研究員へのカネの受け渡しに「国民的英雄」だった黄教授身辺の護衛役をつとめる国家情報院職員が関わったことが暴露された。当初否定していた国家情報院も、ほどなく「組織ぐるみではない」としながらも「黄教授に頼まれてカネを渡した」と認めたのだ。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1月2日、内閣改造に踏み切り、対北朝鮮政策の責任者である統一相など4閣僚を自身の側近で固めた。黄疑惑で追い詰められた呉明(オ・ミョン)科学技術部長官はトカゲの尻尾切りのように更迭され、副首相兼科学技術部長官として、人権派の学者で青瓦台(大統領府)秘書室長だった金雨植(キム・ウシク)をあてた。国家ぐるみの揉み消し工作追及に備え、背水の陣を固めたかたちである。

問題はこの「国家ぐるみ」なのだ。