阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」

  • 2006年7月28日晩節の恋

    きょうは朝10時からアポの連続だった。すこし梅雨空に戻ったのが救いで、この暑い街中を終日ばたばたと動いていた。

    鳥越俊太郎氏にインタビューした。彼とは30年前、ロッキード事件の国税担当記者時代からの付き合いである。「オーマイニュース」の編集長を引き受けたというので、ジャーナリズムとインターネットの融合はほんとうに可能かというテーマで聞いてみようと思った。インタビューは雑誌でなくこのサイトで来週公開する予定。オーマイニュースのサイトともコラボレーションするので、お楽しみに。

  • 2006年7月26日1週間の沈黙

    二つ理由があります。

    第一は31人リストのため。

    第二は古巣のインサイダー取引問題です。

    それ以上は言わぬが花でしょう。ひとまず。

  • 2006年7月19日メルマガ版FACTAを始めます

    きょうは雑誌「サイゾー」の編集者の取材を受けました。他誌の編集長に聞く「マガ人」というコラムで書きたいらしい。インフォバーンの「コバヘン」こと小林会長にはいろいろお世話になっているし、弊誌のアラーキーの表紙ADは同社の木継さんでもあるので、お受けした。ちょっと声がかすれる日だったが、生来の人見知り、恥ずかしがり屋を克服できたかと思う。

    もうひとつのアポは申し訳ないが、お断りせざるをえなかった。さる民放の女性記者で、「日経インサイダー取引が盛り上がってきたので、阿部さんからぜひコメントを」と頼まれたのだが、取材していないのでしゃべる内容がない。評論家的に一般論で批判すべき問題ではないので、コメントは勘弁してもらった。

    それにしても、朝日の朝刊にあれだけ詳しく報じられてしまうってことは、立件が近いのでしょう。しかし、日経もガードに必死。社会部のがんばりで、在宅起訴になるのかもしれません。

  • 2006年7月16日手嶋・阿部 緊急ミニ対談――日本外交が試された国連非難決議

    本日は「ミッション・インポッシブル」の連載を中断します。ニューヨークの国連本部で進行中の北朝鮮非難決議案について、畏友・手嶋龍一氏とミニ対談を載せたい。いまもっともホットな話題であり、国家的にも日本の命運にかかわるテーマだからと、手嶋氏には週末なのにご無理をお願いした。

    国連非難決議採択は、7月20日刊行の「FACTA」の締め切りには間に合わなかった。さりとて8月編集号では1カ月以上先になってネタが腐ってしまうので、その欠落を埋める試みである。

    これはメール交換でこしらえた架空対談ではない。15日の土曜夕方、お台場から馳せ参じた手嶋氏と、オフィスで会ってさくさくっとつくり、決議採択後の16日朝に修正したのでぜひご覧あれ。手嶋氏のオフィシャルサイトともタイアップしているので、そちらも参照してください。

  • 2006年7月15日ミッション・インポッシブル2――シナの百科事典

    とうとう「ゼロ金利」が解除された。でも、ほとんどオープン・リーチで何の感動もなかった。政策決定会合の円卓の写真は、代表取材となっていたが、福井総裁と武藤副総裁が硬い表情で座っているのが気になった程度である。

    さはさりながら、FACTAの次号誌面では、これを見越した誌面をつくっていたので、万が一解除してくれないと、えらいことになった。で、文章はぼやかしたが、それでも万一を思って、下版を14日午後3時まで待ってもらった。予定通りとメドが立ったので、直しなしのgoサインを送ってことなきをえた。

    15日の新聞は各紙とも、この日のために書き溜めてきた予定稿で埋まっているだろう。目をつぶっていても、どんな原稿が紙面を飾るか、予想はできる。そこで、このM:iではまったく別のアングルで書こうと思う。

  • 2006年7月14日ミッション・インパッシブル1――ヴィクセルの予見

    トム・クルーズ主演の映画「M:i:Ⅲ」のことではない。編集期間も終わったから、気晴らしにああいうアクション映画でも見てみようかと思うが、さすがにまだそんな時間はない。

    ここでの「ミッション・インパッシブル」とは、中央銀行に課せられた使命のことである。ある意味で「不可能な使命」とも言えるからだ。

    13日から始まった日銀の政策決定会合で、どうやら宿願の「ゼロ金利解除」が決まりそうなので、それを機に中央銀行を論じてみたくなった。専門家ではないが、かつて日銀記者クラブに属した「門前の小僧」の世迷い言をここで書いてみよう。大仕事をひとつ終えた福井俊彦総裁への、ささやかなねぎらいの言葉である。

  • 2006年7月12日編集ほぼ終盤

    今度もなんとか乗り切ることができました。

    ワールドカップ3位決定戦も決勝も、朝帰りのタクシーのナビで、もうろうとして見た。どれがVTRか、実況中継か定かでない。ま、とにかく終わった。編集のほうも、テポドンとゼロ金利解除とその他もろもろが押し寄せて、いくら八面六臂でも限界を超えていた。国連安保理の非難決議案が採択できるかどうか、ハラハラだったが、日米が先送りしたので、もう待てない、と覚悟を決めました。締め切りと発行日のギャップは、編集者にとって永遠の悩みとはいえ、こんなに重なると、胃がすりへりますね。

  • 2006年7月 7日ソニー19――人種差別広告

    久しぶりにソニーの話題。というより、もう編集作業が始まっているから静かにしておいてほしいのに、勝手に欧州できわどい広告をのっけてお騒がせをやっているから、困ってしまう。人種差別に敏感な人々を刺激して、欧米のネットは大騒ぎになってしまった。

    ま、とにかくご覧あれ。写真のように、白いセラミック製のプレイステーション・ポータブルのビルボードに、グラマラスな白衣のヘソだし白人女と、顎をつかまれた黒人女性を登場させて、「PSP、白が来る」とやったのだ。オランダでの話である。

    この白人女性の顔、コワソー

  • 2006年7月 6日バーキアン

    ジタバタすまいと思っても、つい慌てるのは人のならい。進行中の取材から、降ってわいたようなテポドン発射まで、あれこれ取り紛れて、ブログが書けないでいるうちに、次の編集作業が目前に迫ってきた。

    ポルトガルも敗退したので、もう私にとってW杯は終わった。

    乱雑に引き出しをあけて、床一面に資料がちらばった、家宅捜索後の部屋みたいなもので、どこから手をつけていいか、一瞬分からなくなるときが編集にはある。ちょうど、今はそんな端境期。心もとなくなって、道しるべがほしくなる。最近、人にいただいたエドマンド・バークの本が、しばしその役をつとめてくれそうな予感がする。

    中野好之訳の「フランス革命についての省察」(岩波文庫版)である。英語の原文はお手本のような名文で、かなり歯ごたえがあって、この忙しいのに読み直す気はない。邦訳では中公版(水田洋ほか訳)でお世話になったが、訳がこなれてないし、原文を読む前だったので記憶の彼方にある。この別訳で記憶を新たにしたい。

  • 2006年7月 3日暗い日曜日

    ぐやじい。イングランドまで負けてしまった。

    でも、やっぱり単調な攻めで、不良面ルーニーをワントップでは無理。ベッカム君も不調で途中引っ込んだし、クラウチは相変わらず…。これまで見せてきたモタモタが何も解決していない。かろうじてPK合戦に持ち込んだけど、あれが精一杯だった。戦犯はランパートだな。イージーゴールを外すし、明らかに自信喪失している彼をPKの一番バッターにしたのが間違い。あれじゃ、国に帰れんぞ。

    寂しいから、知人が応援していたポルトガル応援に鞍替えしよう。

    さあ、そろそろ次の編集が迫ってきた。ワールドカップにうつつを抜かしている場合じゃない。

  • 2006年7月 2日龍さまを悼む

    危篤を知って、ほどなく訃報が届いた。また1人、竹下7奉行の一人が消えたと思うと、一抹の寂しさを禁じえない。竹下氏本人はもとより、奥田氏も小渕氏も梶山氏も逝った。残っているのは小沢、羽田、渡部の3人だけだ。

    懐かしいだけではない。旧富士銀行九段支店の疑惑融資と小林秘書問題では、地団駄踏んだこともたびたびある。特金・ファントラ問題が国会で燃えさかり、大蔵大臣として歴史に残る食言答弁を残したことも忘れてはいない。日歯連事件では政界引退を余儀なくされ、晩年はあのてかてかの髪も肌つやも生彩を失っていた。

    でも、絶頂期の彼の笑顔も間近に見たことがある。リヨンのサミットである。私は現地取材班のキャップだった。日程が終了した晩、日経の記者たちを慰労する打ち上げの慰労会を、当時の五つ星レストラン「ポール・ボキューズ」で開くという贅沢をした。キャップの気もしらないで、部下たちは威勢よくシャンベルタンの超高級ワインを次々あけるものだから、こちらの気分はだんだん暗くなった。

    どう請求書を切ったらいいのか。決済は私のクレディットカードを使わなければならない。上限金額を超えるのではないか、と内心ひやひやした。そこへ颯爽とお助けマンが現れた。サミットに出席した橋龍その人である。