阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」

  • 2006年3月31日別の顔のハイエク5――清水幾太郎のデジャヴュ

    衛星放送「朝日ニュースター」の番組前の打ち合わせで、木村忠正キャスターが「ウェブ進化論」について「私にはデジャヴュ(既視)ですね」と語っていた。戦後、何度も繰り返された「アカルイ未来」の最新版に見えるという。未来学、機会社会、知価社会……バラ色の明日を語って、苛烈な暗部に目をつぶる。人は見たいものしか見ない、というウィッシフル・シンキング(希望的観測)の典型で、これもハイエクが発見した「無知のブラックボックス」のひとつと言えるだろう。

    そのアンチテーゼというべき「国家の品格」にも、私はデジャヴュを感じる。結局、筆者の藤原正彦氏が言いたいのは、倫理のないところに品格はないというごく当たり前のことで、それを日本人論というかたちで訴えたのだと思える。よくある老成世代が若者を叱る小言というだけではない。倫理や道徳、惻隠の情といった古めかしい言葉に、ああ、またかというデジャヴュを覚えるのだ。だが、倫理とは何なのか。藤原氏のように今さら武士道を持ち出すなんてアナクロだ、と言ったとたん、それに答えることは容易でなくなる。

  • 2006年3月30日アメリカ番外――サイバーエージェントを「村八分」

    ついに、というべきか。3月21日にこのブログで書いた「アメリカ6――ウェブスパムにお灸」が、とうとう日本でもすえられたらしい。先に書いたのは、ドイツの高級車メーカーのBMW本体と、日本の複写機メーカーであるリコーのドイツ法人のウェブサイトが、突如、最大手検索エンジンのグーグルによって検索不能、つまり検索対象から削除された事件である。今度は日本で「お灸をすえられる」会社が出てきた。インターネット広告代理店のサイバーエージェントである。

  • 2006年3月29日別の顔のハイエク4――「国家の品格」の品格

    3月28日夜、衛星放送「朝日ニュースター」の生放送番組「ニュースの深層」に出演させてもらった。キャスターの木村忠正・早稲田大学理工学部教授(4月から東京大学助教授)のご指名である。私はお喋りは苦手で、顔もテレビ向きではないが、インターネットとメディアについて語れというので、冷や汗をかきながらのトークとなった。中身が雑誌の宣伝みたいになってしまったが、木村教授はこのブログを愛読しているらしい。一段と冷や汗である。

    さて、オーストリア生まれの自由主義経済論者F・A・ハイエクを論じるのに、なぜケンブリッジ大学の勉強会の話から始めたかを語ろう。

    私より10年以上前に、ケンブリッジのクィーンズ・カレッジで1年ほど暮らした日本人数学者がいた。アメリカで3年間教鞭を取った体験があり、理屈で押しまくることに慣れていただけに、古ぼけた英国の伝統が新鮮に見えたようだ。ニュートンの時代と同じように薄暗いロウソクを灯した部屋で黒いマントをまとってディナーの席につくことを、無上の喜びとする幽霊のような英国人学者たちを見て感激したらしい。彼は論理より情緒とか形とかに重きを置くようになった。それから20年近く経って、この数学者は市場原理によって「アメリカ化」した日本を呪詛するベストセラーを書いた。

    藤原正彦氏の「国家の品格」である。

  • 2006年3月27日別の顔のハイエク3――ブラックボックスの効用

    ハイエクが発見した根源的な「無知」(ignorance)とは何だったのか。そして、それは市場メカニズムを通じてよりよい均衡を達成できるのか。英国ケンブリッジ大学のローソン勉強会にいたフリートウッドの説明をもう少し引用しよう。

    価格が特定の生産投入物の稀少性などの事柄に対して個人の注意を向けさせることによって、価格メカニズムは情報伝達システムのように作動するけれども、価格は個人にすべてを知らせるわけではないから、個人は他の多くのことについて無知である。実現しうる見込みがかなりある計画をたてるうえで個人を助けるのは、ふるまい(conduct)の社会的ルールという形態における、社会構造の高密な網を頼りにすることができるという点である。(フリートウッド「ハイエクのポリティカル・エコノミー」)

  • 2006年3月25日別の顔のハイエク2――無知の発見

    ハーバード・ロー・スクールのキャス・サンスティーン教授が仕掛けた「ハイエク的な市場とブログ圏はどこまで類比が可能か」という設問は、すくなくとも日本では消化難だったようで、まともに考えたブログに残念ながら出会えなかった。日本のブロガーたちのほとんどが、ハイエクなど読んだことがないからだろう。

    もちろん、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」も一顧だにしていない。後期ハイエクの「自由の条件」(The Constitution of Liberty)は、春秋社版の全集でも在庫切れのまま、再版される兆しもないから、ま、無理もない。ただ、サンスティーンがゲスト・ブロガーになったローレンス・レッシグは、スタンフォード大学のロー・スクール教授であり、アメリカのインテリならハイエクくらいは“常識”に属するのではないかと思う。

  • 2006年3月24日別の顔のハイエク1――ウィキペディアと市場

    私にとって、ネット空間とは何かという問題に先立って、市場空間とは何かが常に先にあった。そこで思い浮かぶのはオーストリア生まれの経済学者フリードリッヒ・A・ハイエク(1899~1992)である。価格メカニズムのことを「テレコミュニケーション・システム」と呼んだのは彼なのだ。今思えば奇妙な呼称である。しかし経済学の根幹を情報理論として組み換えたかに見える彼の試みは、「ウェブ進化論」や「はてな」のようなナイーヴすぎるネット信仰が跋扈する今、再読するに値すると思う。

    自分の経験を語ろう。

  • 2006年3月24日問題少女

    しだいに創刊号編集の重圧が高まってきて、ブログを書く時間をつくるのが困難になってきた。自分でもしだいに目がつりあがってくるのが分かる。しばらく長文は書けない。掲載はスタッカートになるので悪しからず。

    桜の開花宣言が出た1日後(3月22日)の東京の夜は雨もよいだった。新宿三丁目で待ち合わせがあり、地下鉄の駅を出たら、もう春の雨に肩が濡れた。飲み屋の二階のバーを指定されたが、まだ看板の明かりが灯っていない。連れの記者がいたから、目と鼻の先の焼肉屋で軽くレモンサワーをあおり、焼肉をつつきながら、店があくのを待つことにした。

  • 2006年3月21日アメリカ6――ウェブスパムにすえるお灸

    ライオンが後ろ足で立って威嚇する姿勢を、英語ではramp upという。グーグルのエンジニアであるマット・カッツが個人サイトでその言葉をつかっている。

    「Ramping up on international webspam」(海外のWebスパムに警告)

    Webスパムとは「迷惑ウェブ」というほどの意味で、擬似的なリンクを張ったり、他サイトへ転送したりして、検索エンジンを欺くサイトを言う。ドイツの高級車メーカー、BMWのサイトがそうした“操作”を行っていたとして、グーグルが排除を宣言したのである。2月4日付のブログでカッツはこう書いている。

  • 2006年3月20日アメリカ5――最適化の“ウマバエ”

    グローバルな資本市場を闊歩する金融資本の寄生性を形容するのに、資本市場のウマバエ(bots)という比喩をつかった。正確には牛や馬にたかるハエの幼虫(蛆)のことである。そういう金融資本論は別して珍しくない。ちょっと古典的すぎるが、オーストリア生まれで社会民主党の理論家だったルドルフ・ヒルファーディング(1877~1941) の「金融資本論」(Das Finanzkatial)をご覧ください。しかし、そういう「寄生」がインターネットの「あちら側」でも起きているとき、ネットのユートピアにうさん臭さを感じるのは私だけだろうか。

  • 2006年3月19日アメリカ4――つまんない2兆円買収

    切込隊長の口真似をすれば「つまんない事態」になった。3月17日、ソフトバンクがボーダフォンの日本法人買収で合意したと発表したことだ。日本法人の株97%を1兆7500億円で買い、さらに2500億円の債務も引き受けるから実質2兆円の買収である。出来の悪いポルノでも見ているような、あっという間のクライマックス。「つまんない」と思うのは、あまりに「想定内」で意外性がないからである。

    孫正義社長、やっぱり焦ったとしか思えない。17日夕の会見で「安くも高くもない、いい値段だ」と言ったが、どうみてもこれは強がりで、高値づかみだったと思う。危惧する質問に対して「時間を買った」と言い張るあたり、本人も内心それを自覚しているのだろう。孫氏と社外取締役仲間とはいえ、ボーダフォンCEO、アルン・サリーンは連戦練磨のインド系経営者である。すっかり足元を見られていたような気がする。

  • 2006年3月17日アメリカ3――孫正義が青ざめる「何でもあり」

    携帯電話のことならこの人に聞け、というべき三田隆治君が久しぶりにオフィスに訪ねてきた。ダイエットしたのか、心なしか前回会ったときより痩せている。先日、ソフトバンクのボーダフォン日本部門買収交渉の報道があってから、彼の「ケータイAlternative」のブログサイトは果敢に買収反対論を展開、あちこちで評判になっていたのでさっそく聞いてみた。

    「サイトの右肩で、アンケートをやってるだろ。ソフトバンクのボーダフォン買収、あなたは賛成?って。答えは、賛成、反対、どちらともいえない、わからないの4種類だけど、今のところ、どの回答が多いの?」

    彼は困ったような表情を浮かべた。自身のブログであれだけ反対論を展開しても、「賛成」が多いのだという。へえ、そんなものかね。

  • 2006年3月16日アメリカ2――欧州版グーグル「クァエロ」

    私のあこがれは、ポピュラー・サイエンスのライターである。「ビーグル号航海記」のダーウィンに始まって、「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンス、「ワンダフル・ライフ」のスティーブン・ジェイ・グールド、「フェルマーの最終定理」のサイモン・シンなどみなほれぼれするような名文家である。数式や化学式など一行も使わない名人芸には脱帽する。

    私もウェブ版Nature誌などをときどき斜め読みするが、こちらは専門の学者(ときどきイカサマもあるが)が投稿しているから、歯が立たないほど難解な論文に突き当たって、ため息をつかせられる。そこでThe Economist誌が年に4回、特集するTechnology Quarterlyに頼ることになる。経済誌だから数式から解放されるし、ニュース性にも敏感だから手ごろな鳥瞰図になる。なかなか手だれのライターがふんだんにいるらしい。

  • 2006年3月15日ときどき代行3――ビフォー・アフター3 (オフィスの風景)

    ビフォー・アフターばかりでしつこいようですが、今回は自分を実験台にすることはせずに、この4カ月でずいぶん雰囲気が変わった弊社のオフィスをご紹介したいと思います。先週、新しく勤務しはじめた3名のスタッフのために机を増やし、事務所全体の模様替えをしました。配線作業の第一人者・相原さんと、中古家具のことなら誰にも負けない私、働き者の学生アルバイト・米田さん(3人とも女性)の連携が綺麗に決まり、約2日かけて超特急で事務所を大変身させました。

  • 2006年3月14日アメリカの没落1――寂寥の風景

    リセットしよう。「ウェブ進化論」の売れ行きはベストセラー驀進中だし、これ以上(批判的に?)エールを送ることもないでしょう。「元気玉」(理解できますよ)などトラックバックをつけていただいた方々にも感謝します。これからすこし別の方向に舳先を転じたい。

    アメリカに夢があると信じられない。梅田望夫氏との違いは単にそれだけだったと思う。アメリカというと私の思い浮かべるイメージは、荒涼とした平原に置き去りにされた無人のトレーラーハウスである。都市に林立するハイライズも、毒々しいラスベガスも、明るいカリフォルニアも、所詮は絵葉書の世界でしかない。

  • 2006年3月11日ウェブ進化論8――ライプニッツの予言

    いくら「出会いが不可能」だからといって、出会い系サイトを「聖なるグーグル」のたとえにつかうなんて……とお叱りを受けそうだ。梅田望夫氏の「ウェブ進化論」が、せっかく藤原正彦の「国家の品格」を抜く新書のベストセラーになりそうなのに、その勢いに水を差すけしからん冒瀆だと思われかねない。

    ネットの「あちら側」では「出会い系は出会えない」。その例証に「出会い系の冬ソナ」を書くことが奇抜すぎるというなら、今度はぐっと品よくいきましょう。かつて数学にあこがれた私にとって、それからずっと尊敬の的である微積分学の祖、ゴットフリート・W・ライプニッツ(1646~1716)の引用ならお許しいただけるだろうか。

  • 2006年3月10日ウェブ進化論7――出会い系の「冬ソナ」債鬼編

    創刊前の編集長が出会い系なぞにウツツを抜かしている、と誤解されそうだから書いておく。有料ポイントの金を払って、体当たりで出会い系サイトの実験をしてくれたのは、私の知人であって私ではない。編集長が隠れてそんな隠微なことをしていたら、いくらなんでも同志の宮嶋君や小島君、それに「ときどき代行」の和田さんたち女性スタッフが許してくれない。ネットの「あちら側」がいかにしてカネをまきあげるか、という実験です。

    さて、自称「美紀」さんとのデートは、直前に「大至急」のメールが入った。追加ポイント代3000円を払って、メールをのぞいてみると「今日でしたっけ?」とおとぼけ。ああ、まただまされた! 君のような人とお会いしようと言うのが間違いだったんだ、とホゾをかむ。けれど、「じゃぁ、バイバイ!」と書こうものなら「規約」違反になる。「相手の女性の自尊心を著しく傷つけた場合は制裁ポイント500!」。こういうところだけハラスメントには厳しい。トホホである。

  • 2006年3月 9日ウェブ進化論6――出会い系の「冬ソナ」入門編

    グーグル幻想の「毒消し」のために、ネットの「あちら側」にご案内する。この世界のからくりを知らない人のために、ちょっと説明しよう。まず無料サイトと呼ばれる表のサイトに携帯で登録する。たとえば「誘惑の人妻」とか何とかのドメイン名で、そこに自分のニックネーム、年齢、プロフィールを入力する。

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  • 2006年3月 8日ウェブ進化論5――ひとりシリコンバレー

    「R30」というブログサイトが、いち早く2月7日に梅田望夫氏の新著「ウェブ進化論」書評を書いている。そこでは「この本は、おそらく梅田氏が日本に来るたびになんども口を酸っぱくして説明している日本のエスタブリッシュメント層の人々、なかんずく大手メディア企業の幹部を想定読者として書かれたものだろうと思う」とあって、「ネットで梅田氏のブログや講演録をリアルタイムで読んでソーシャル・ブックマークしているようなネット住民」に対して書かれたものではないと言い切っている。

    要は、遅れたオッサンのための啓蒙本といいたいらしい。かつて新聞メディアに属していて飛び出した私のような人間も、この「想定読者」に入っているのだろう。R30さんのような「ネット住民」からは、遅れた人間=エスタブリッシュメント層とみなされているのかしらん。ちょっと心外である。いくら口を酸っぱくされても腑に落ちないからといって、エスタブリッシュメント層と等号で結ばれるのは納得がいかない。おいら、もう権力でも何でもないぜ。

  • 2006年3月 7日ウェブ進化論4――グーグルの株価急落

    3月1日の手嶋龍一氏の出版記念パーティで、何人かから梅田望夫氏の新著「ウェブ進化論」について書いたシリーズのコメントをいただいた。

    「いいかげんにしないと、梅ちゃん、気にするぞ」
    「野次馬として読めば、面白いけどね。『知のネオコン』なんて、痛烈なことを書くから」
    「ふふふ、彼のミケンのしわ、思い出しちゃうなあ」

    これには困った。彼の大胆な問題提起に、オッサンが精一杯背伸びして応えているつもりだったが、新米ブロガーが年齢も省みず、年下の先輩ブロガーをいたぶっているかのように思われちゃいけない。若造をいじめるなんて気持ちはないからご安心を。朝日やITproなどで彼自身がインタビューに出ているので、異論を唱えて少し盛り上げ、エールを送ったつもりだった。こちらも本気で書かないと失礼、と考えたまでである。所詮は年寄りの冷や水だから、あれで矛を収めようと思った。でも、そうもいかなくなった。

  • 2006年3月 4日「ウルトラ・ダラー」を100倍楽しむ5――ひと筋の赤い糸

    そろそろ、この「メイキング・オブ・ウルトラ・ダラー」もフィナーレにしよう。手嶋龍一氏のノベルとFACTA(事実)の比較考証を続けていけば、きりがなくなるからだ。最後は思い切って直近のトピックにする。

    この1月26日、ブッシュ米大統領はホワイトハウスで記者会見に臨んだ。ひとりの記者から「昨年、あなたの政府は北朝鮮に対し一連の経済制裁を課しました。現在、北朝鮮はこの制裁が解除されない限り、核問題交渉のテーブルに戻らないと言っています。韓国もこの問題をめぐる議論に警告を発しています。北朝鮮を交渉に就かせるために、制裁を解除か中断、もしくはなんらかのジェスチャーを示すことを考えていますか」と聞かれて、大統領はこう答えている。

  • 2006年3月 3日「ウルトラ・ダラー」を100倍楽しむ4――ウクライナの風穴

    「どうでしょう。主人公のBBC特派員は、『シネマ紀行』と題して映画の舞台を訪ねる番組づくりを口実にして、パリやモスクワへ出張する、という筋立てなんですが。パリはマルセル・カルネ監督の『北ホテル』。モスクワはどんな映画にしたらいいでしょう」

    アメリカからの電話で、やぶから棒にそう聞かれたら誰だって面食らう。手嶋龍一氏のひらめきは時に飛躍するのだ。苦し紛れにニキータ・ミハルコフ監督を挙げた。だって、日本人はチェーホフが好きでしょ。「黒い瞳」「太陽に灼かれて」「シベリアの理髪師」。でも、いちばんは「機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲」かな。あとはどんどん通俗化していくけど……。

  • 2006年3月 2日「ウルトラ・ダラー」を100倍楽しむ3――女「偽札ハンター」

    昨夜(3月1日)、東京の帝国ホテル桜の間で開かれた、手嶋龍一氏の「ウルトラ・ダラー」出版記念会は盛会だった。新橋の綺麗どころも顔をそろえ、物語の舞台をあしらったドラマ仕立ての映像や篠笛演奏、チャリティ・オークションなど盛りだくさんの内容だ。私も数多くの知己にめぐりあう僥倖にあずかった。

    さて、本題に戻ろう。映画俳優クリント・イーストウッドは、「夕陽のガンマン」や「ダーティ・ハリー」のタフガイより、渋みのあるジジイを演じる老境の今のほうが味がある。監督・主演を兼ねた「ミリオンダラー・ベイビー」は、アカデミー賞にふさわしい傑作だと思った。もうひとつ思いだすのは、暗殺を防げず引退した元護衛官が、新たな狙撃犯の出現で老骨にムチ打って現場復帰する「ザ・シークレット・サービス」(1993年、原題In the Line of Fire「火線に身を挺して」)である。

    大統領を乗せて徐行するオープンカーを囲んで、護衛官は並行して道路を走らなければならない。はあはあ息を切らし、脂汗を流す老残の姿は、青年の体力を失った自分も身につまされる光景だった。そうしたイメージからアメリカのシークレット・サービスは要人警護の専門家集団とばかり思っていたが、違うらしい。手嶋氏の新著でもうひとつの使命があるとはじめて知った。

  • 2006年3月 1日「ウルトラ・ダラー」を100倍楽しむ2――マカオへの鉄拳

    手嶋龍一氏の新作ノベル「ウルトラ・ダラー」の源流探しを続行しよう。

    BBCが北朝鮮製偽ドル札の欧州流入を報じた2004年6月といえば、小泉純一郎首相が固い表情で二度目の平壌訪問を実現した直後であり、第三回の6カ国協議も打開の糸口を見出せず、拉致問題も核開発も進まない北朝鮮に日本はうんざりしていた。BBCのスクープも、1990年代に北朝鮮が製造した偽ドル札「Kノート」の二番煎じ、としか見えず、日本の反応は鈍かった。

    だが、この一点の「影」がどれだけ大きな積乱雲となって天を覆うか、やっと知れたのは2005年9月8日になってからだろう。米経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が、ブリュッセル、マカオ(澳門)特別行政区、ワシントン駐在の3記者の共同執筆で「アジア系銀行と北朝鮮のリンクを米国が調査 中国、マカオの金融機関が不正資金調達網への関与で調査される」という記事を掲載したのである。