阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」

  • 2006年2月28日「ウルトラ・ダラー」を100倍楽しむ1――BBC調査報道の真実

    3月1日、畏友手嶋龍一氏のドキュメンタリー・ノベル「ウルトラ・ダラー」が刊行される。氏の長編ドキュメンタリーは「ニッポンFSXを撃て」(1991年)、「一九九一年日本の敗北」(1993年)以来だから、実に13年ぶり。彼の愛読者が長く待ちかねた作品で、しかも今回は、フィクションの要素を入れてエンタテインメント性を持たせながら、ぎりぎりまでファクツ(事実)を盛り込むという欲張りな趣向である。

    実は本の構想段階から、私も取材協力を頼まれた。彼がNHKを辞めて独立することは聞いていたから、一も二もなく請け負ったが、例によって頭の回転が速すぎて話がぽんぽん飛ぶ彼一流の会話術のなかで、意向をなんとか咀嚼(そしゃく)しようと苦労したことを覚えている。

  • 2006年2月27日ウェブ進化論3――「離魂」のロングテール

    梅田望夫氏の「ウェブ進化論」は、ネット社会の「三大法則」を唱えている。その第一「神の視点」については、前2回で書いた。第二法則「ネット上の人間の分身がカネを稼ぐ新しい経済圏」と第三法則「(≒無限大)×(≒ゼロ)=サムシング」については、いわば彼の福音の「経済学」と言っていい。一言でいえば、理論モデルでしかない「完全市場」がウェブの進化によって現実になりうるというにひとしい。

    ケインズの総需要政策から合理的期待形成仮説まで経済学の諸流諸派は、どこかで完全市場を信じながら現実には成立しないというジレンマの上に立っている。だが、グーグルが拓く「新しい世界」(Brave New World)は、梅田氏が期待するように、ほんとうに利益の再配分を可能にする「完全市場」を成り立たせるのだろうか。第二法則を具現するものとして梅田氏があげるのは、グーグルの「アドセンス」である。

  • 2006年2月26日ウェブ進化論2――ラムズフェルドの民主主義

    「ウェブ進化論」の筆者、梅田望夫氏といえば、思い出すのはすこし神経質そうに眉間にしわを寄せた表情である。あれは「9・11」のあと、東京・大手町のパレスホテルの一室だった。当時の三井物産副社長、福間年勝氏(現・日銀審議委員)を囲む会に彼と私も同席したが、彼の顔を一瞬よぎった微かな苛立ちの表情が忘れられない。

    マンハッタンに聳える二本の直方体、WTC(ワールド・トレード・センター)の崩壊で隣接する周辺ビル群も被災し、債券売買などの決済がマヒして金融パニックが起きかねなかったのに、それを未然に防いだグリーンスパンFRB(連邦準備理事会)議長の手腕に称賛の声があがったときではなかったか。それまで「9・11テロですべてが変った」と二分法で語っていた梅田氏が、アメリカ人が震撼させられたのは自業自得であって日本人がことさら浮き足立つ必要はない、と考える(私も含めた)日本人の感受性の鈍さにあきれ、危機感を分かってもらえない、とサジを投げた瞬間だったかもしれない。

  • 2006年2月25日ウェブ進化論1――梅田望夫氏の「神の視点」

    暗いところで、段差を踏み外した。足の甲の靭帯(じんたい)を痛めたらしい。土曜の朝は、左足をひきずって中国式整体でマッサージを受けた。三週間休みなしの疲れがたまっていたので、半日こんこんと眠った。さあて、と。

    この「FACTA」サイトを製作してくれた人が、私の机にちくま新書の「ウェブ進化論」をぽんと置いていった。作者の梅田望夫氏は顔見知りである。94年からシリコンバレーに住み、コンサルティング会社やベンチャーキャピタルを経営しながら、アメリカのIT社会の最前線をブログなどで発信し続けている人だ。このブログを開始したときもエールのメールをいただいた。お礼もかねて評を書こうと思った。

  • 2006年2月24日ネット愛国主義の胚14――ポスドクの寒気

    SFとは便利な道具である。奔放に想像力を働かせても文句を言われない。だから、大量殺人を犯しながら死刑判決に「世界中を愛している」とうそぶいた本家「セカチュー」の怪物も、その狂気を1億年の未来に置くと、7頭のドラゴンの姿になってしまう。空間の果ての「世界の中心」である交叉時点のタンクに閉じ込められているのだ。

    神霊のような二人がこのドラゴンを「排出」(抹殺)すべきかどうか議論している。このドラゴンの運命は審判で抹殺と決まっているのだが、一人がなんとかそれを避けようとして「科学は民衆の意志にしたがうものさ」とさとされるが、結局は「排出」を装って、まんまとドラゴンを宇宙に解き放ってしまうのだ。「わたしも同胞を愛しているから」と平然と言い放ちながら。爆弾魔ユナボマーを重ねたくなるのはそこである。

  • 2006年2月23日ネット愛国主義の胚13――世界の中心で愛を叫ぶ

    このシリーズで何度か触れた日本医科大学の講師、澤倫太郎氏が「新・先見創意の会」のサイトで連載していた「サブテロメア領域の刻印――染色体の片隅が叫ぶ真実」が完了した。初回はディズニーのフルCGアニメ「チキン・リトル」で始まり、最終回は「セカチュー」で終わるという、深刻なテーマの割にはしゃれた構成だった。

    ただし、セカチューはセカチューでも、露骨なタイトルのパクリで映画化やドラマ化された片山恭一の駄作ベストセラーのほうではない。パクられた側のSF、ハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの(Beast that shouted Love at the Heart of the World)」のほうである。「新世紀エヴァンゲリオン」の作者、庵野秀明だけでなく、欧州にもこのSFのファンがいるらしく、ネーデルランド、英国、スイスの3人の遺伝子学者が臨床遺伝学の専門誌に書いた深刻な論文でも、エリスンをもじったタイトルをつけているらしい。

  • 2006年2月20日ライブドア崩落9――プロレス・ジャーナリズム

    2月19日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」のトピックは、予想通り期待はずれだった。ホリエモンから武部勤自民党幹事長の二男に宛てたというメールの真贋に焦点を絞ってしまい、ライブドアと同じ監査法人に監査を依頼していたドリームインキュベータ(DI)の危機を取り上げなかった。このメールは、誰が見ても民主党に歩がない。功に逸って未確認情報にとびつくさもしさは、ライブドア事件だけで二度目だから、つけるクスリがない阿呆さ加減である。

    おかげで「サンプロ」キャスターの田原総一朗氏は救われた。田原氏はDIの社外取締役をつとめており、市場が危惧するようにDIの経理に問題があれば氏自身が取締役の「善意の管理者による注意義務」(善管注意義務、民法644条)違反に問われかねない。それを自らテレビカメラの前で解説しなければならない場面を避けたことになる。東証一部上場企業とはいえ、財務諸表も読めない身で安易に取締役を引き受けると、とんだ目にあうという典型なのだが、カエルのツラにナントカで済まそうとしている。

  • 2006年2月19日閉所恐怖の体験

    月刊「FACTA-ファクタ」創刊まであと2カ月。見本誌が刷り上ったので、週明けから希望者のほか関係各位にお届けします。これと同時に、正式に葉書、電話、FAX、インターネットによるご購読予約の申し込みを開始します。

    見本誌は単なるパンフレットでなく、「本番なみ」に記事を掲載したもので、手ぶらで「新雑誌」の夢を語るだけだったこれまでに比べれば、リアリティを持たせることができたと思います。近く処女作のドキュメンタリー・ノベルを出版する友人のジャーナリスト、手嶋龍一氏(前NHKワシントン支局長)とのインタビューも載せています。

  • 2006年2月18日余秋雨「文化苦旅」7――楊晶さんの手紙

    このブログで余秋雨の「文化苦旅」の書評を書いたことを翻訳者の楊晶さんにお知らせした。知人から楊さんのメール・アドレスを聞いて、現代中国語は自信がないので日本語でメールを送った。折り返し彼女から、日本語で丁重なご返事をいただいたので、ここに再録する。

  • 2006年2月17日ライブドア崩落8――ドリームIから「逃げたい理由」

    2月13日月曜昼には大阪・北浜の土佐堀筋にいた。黄味がかった花崗岩のどっしりした建築、住友本館(現三井住友銀行大阪支店)の6階役員食堂で“名物”のハヤシライスを食べ終えた時である。携帯が鳴った。中座する。まるで場違いな話題が飛び込んできた。

    「ドリームインキュベータの株価がストップ安だってさ!」

    同社はベンチャー育成というか、実質はベンチャー投資の東証一部上場企業で、おびただしいビジネス書を出版しているボストン・コンサルティング元社長の堀紘一氏が代表取締役社長をつとめている。前週末比10万円安の50万円と値幅制限いっぱいまで下げたのは、粉飾決算の疑いが出ているライブドア事件の余波をもろにかぶったといっていい。

  • 2006年2月16日ときどき代行2――私のビフォー・アフター2

    編集長の多忙に拍車がかかり、急遽、2回目のピンチヒッターを命じられました。いつ来るかわからない執筆の依頼を待つのはなかなかのスリルです。

    さて、今日は私のもう1つの「ビフォー・アフター」を披露したいと思います。最近、空いた時間を使って、ピアノ(クラシック)、ゴルフ、踊り、テニスなど色々なことにチャレンジするようになりました。絵はその中のひとつで、「趣味」という中途半端なコンセプトが嫌いだった自分が趣味を解禁するようになったきっかけでもあります。

  • 2006年2月15日ネット愛国主義の胚12――お粗末な「敗軍の将」

    週末から月曜にかけて、大阪へ出張に行ったので、このブログがお休みになった。帰りの新幹線は、いつもなら缶ビールをあおって昼寝なのだが、今回は経済誌「日経ビジネス」を買って読んでみた。無聊を慰めるためではない。最新号のコラム「敗軍の将、兵を語る」で、多比良和誠(たいら・かずなり)東京大学教授(大学院工学系研究科)が登場しているからだ。

    すでに書いたように1月27日、多比良研究室の論文の捏造疑惑に対し、調査委員会が「クロに近いグレー」の結論を出している。沈黙を守ってきた多比良教授がはじめて弁明に登場したのだ。一般の新聞や雑誌を避けてビジネス誌を選んだあたり、いかにも工学系らしい計算高さだ。だが、内容は「お粗末な釈明」の一語に尽きる。

  • 2006年2月12日余秋雨「文化苦旅」6――無用無名無念の人生

    いつか行ってみたい。中国江南の寧波(ニンポー)の近く、魚背嶺にある、地名も「状元墓」という場所に。無用無名無念の人生を送った「酒公」の墓がある。論理学を救国の具としようと志しながら、不遇に終わった彼の墓が見下ろす小高い山には、彼が揮毫した他人の墓碑が全山びっしり並んでいるという。その光景を余秋雨はこう描写する。

  • 2006年2月11日余秋雨「文化苦旅」5――酔っ払いの墓碑

    恋と同じで、酒にも盛衰というか、ピークと下り坂がある。このところ、めっきりメートルのあがった知人がいて、落ち目の私なんぞはついていけない。酔態ひとつ見せず、長い夜にも背筋をぴんと伸ばして動じない。つくづく酒は体力だと思う。だが、もっと屈託する酒もあって、白居易ら酒豪詩人の多くは、やり場のない欝志を酒に託していたのだろう。

    余秋雨がどれだけ酒を飲めるのかは知らない。でも、「文化苦旅」で私がもっとも好きな一編を挙げろ、と言われたら、迷わず「酒公の墓」を挙げたい。「酒公」と号するからには、故人はへべれけの酔っ払いだったのだろう。生前に頼まれて、余愁雨は「破天荒にも」はじめて墓碑を書いたという。

  • 2006年2月10日北海道新聞は死んだか

    熊本日日新聞(熊日)の日曜コラム「論壇」に月1回のペースで寄稿している。昨年12月にはこのブログの初回のテーマと同じ「ソニーを蝕むウイルス」を載せた。正月は特別紙面建てでお休みとなり、2月5日掲載の順番が回ってきた。熊日に遠慮して5日あけたから、もうここに載せてもいいだろう。

    南と北で地域が違うとはいえ、同じ地方紙の報道への問いかけだから、掲載してくれた熊日の勇気に感謝する。見出しは「調査報道の復権を」だが、読めばおわかりの通り、北海道新聞または調査報道そのものに「死んだか」と問いかけるのがテーマである。

    割愛した道新編集局長の名を復活させるなど、熊日版とはわずかな異同がある。これは「最後から二番目のバージョン」と言っていい。

  • 2006年2月 9日2月5日の30周年記念日

    「2・5会」という会合がある。1976年2月5日を記念して、毎年2月5日に一同結集する会である。曜日の都合で、それが今年は2月8日、つまり昨夜になった。

    しかしその日付を言っても、何が起きたか覚えている人は少なくなった。私は忘れない。すくなくとも生涯一記者の原点となった日である。アメリカの上院外交委員会(チャーチ委員会)で、故田中角栄首相の逮捕などにつながるロッキード事件の端緒となった賄賂の話が飛び出した日なのだ。あの日は一瞬、きょとんとして、それからは地獄だった。

  • 2006年2月 8日余秋雨「文化苦旅」4――敦煌千仏洞の「阿Q」

    敦煌の仏教遺跡、莫高窟に、たったひとつ場違いな道士の墓が立っている。「文化苦旅」の冒頭に書かれたこの道士の生涯のスケッチは、悲しいまでに「阿Q」に似ている、と前回書いた。魯迅の「阿Q正伝」を読んでいない人、読んだが忘れてしまった人のために説明すると、姓名も原籍も定かでなく、行状すらもはっきりしない無用の人の伝記なのだ。魯迅の苛烈な筆はそれをこう書く(竹内好訳)。

    阿Qには家がなく、未荘(ウェイチワン)の土地廟に住んでいた。きまった職もなく、日傭(ひやと)いとして、やれ麦を刈れ、やれ米をつけ、やれ船をこげ、言われるとおりの仕事をした。仕事が長引くときは、その時その時の主人の家に寝泊りするが、終わればすぐ帰された。そのため人は、手が足りなくなると阿Qのことを思い出すが、思い出すのは仕事をさせることで、「行状」のことではなかった。

  • 2006年2月 7日余秋雨「文化苦旅」3――中国人は多すぎる

    もういちど言う。余秋雨の「文化苦旅」は半端な教養では歯が立たない。彼が多く紀行エッセイを書いていることから、司馬遼太郎の「街道をゆく」を連想し、「中国の司馬遼太郎」と紹介する出版社の売り口上にも首をかしげたくなる。教養の深さは司馬より格上だろうし、だいいち両人に失礼だと思う。

    司馬ファンには申し訳ないが、「街道をゆく」はときに読むに耐えない。海外の紀行など、事前のお勉強をなぞっているだけで、行く必然性が感じられないものがあるからだ。「愛蘭土紀行」などがその例で、この程度の一口知識で感心してはいけないと思う。

  • 2006年2月 6日ネット愛国主義の胚11――バイとドール

    「The Economist」はわれわれが創刊する雑誌のお手本だが、見出しがなかなか難解で、そのもじりがときに分からない。試しに英国人に聞いてみたら、彼らでもお手上げの時があるそうだ。昨年暮れ、つまり05年12月24日号(クリスマス・イヴ号)にもそんな見出しがあった。

    Bayhing for blood or Doling out cash?

    これに「知的財産」とヒントがついているが、見て分かった人はほとんどいないのではないか。「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルか、「フィネガンズ・ウエイク」のジェームズ・ジョイスばりの言葉遊びである。「Bay for」とは猟犬が獲物を追って吠え続けること、「Dole out」とは施しものを分け与えることを言う。それにアメリカの「バイ・ドール法」(Bayh Dole Act)――国費を投じて得た大学での研究成果を民間に技術移転して事業化を促す法律の名を引っ掛けたのだ。

  • 2006年2月 5日ネット愛国主義の胚10――知的退嬰の根源

    このブログにいろいろな方の励ましをいただいた。お礼を申し上げます。「貴誌はきっと敵が多いでしょうけど。ホントにくれぐれも足元すくわれないようにね」との忠告もある。そう、ネット空間ではストーカーまがいの“刺客”がどこに隠れているかわからない。誰かがこのサイトを攻撃し、侵入を試みた形跡もあったそうだ。

    このブログがトラックバックだけで、コメント機能を封じてあるのもガードの一種である。読者の批判に耳を貸さないつもりではないが、こちらは顔と名をさらしているだけ、匿名や偽名の暴力にさらされやすい。悪意のある「荒らし」から身を守る遮蔽幕が必要だ。それでもこのサイトには「お問い合わせ」のページがあり、ときにこんな書き込みがある。

  • 2006年2月 3日ときどき代行1――私のビフォー・アフター

    創刊準備を控えて、当ブログの書き手の阿部編集長がてんてこ舞いなので、ときどき代行してくれ、と頼まれました。きょうはその初舞台です。

    でも、「締切りは5日後。あなたの文章力が問われます」といきなり言われたら、あなたならどうしますか。悩んだのは私だけでしょうか。先輩がたからは「根拠のない自信を持ちなさい」とか「映画の話題だけは絶対に勝てないのでやめなさい」とか、アドバイスをもらいました。ためになりました。

  • 2006年2月 1日ライブドア崩落7――安しんかい?

    「突破モンに『あれは自殺です』なんて断定されちゃなあ、逆効果でしょうが。かえって、きっと他殺だ、と信じた人が多かったんじゃないか」。誰かがそう言った。ライブドア出身のエイチ・エス証券副社長が沖縄で遂げた「不可解な死」について、コメンテーターとしてテレビに出演した「キツネ目の男」のことである。

    それくらいなら、一場のお笑いですむ。しかし、週刊文春、週刊ポストと「他殺説」が花盛りになってきた。このブログでも「崩落3」で「沖縄の死」にいち早く疑問を呈したこともあって、アメリカの有力紙記者から電話がかかってきた。なんだかクロフツみたいな本格ミステリーの「密室殺人」を思わせる。