阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」

  • 2006年1月31日ネット愛国主義の胚9――ベンチャーの魔の沼

    1月27日、東大多比良研究室の論文データ捏造疑惑は“ほぼ”ケリがついた。調査委員会は「現段階で実験結果は再現できていない」と正式に発表、会見で浜田純一副学長は「捏造同然と見える」と述べた。平尾公彦科長も「疑いは濃厚。いまいましい」、調査委員の長棟輝行教授も「遺伝子材料が(再実験の)直前につくられた可能性がある」と多比良和誠(たいら・かずなり)教授と川崎広明助手の捏造を色濃くにじませた。両人はなお「調査はフェアではない」「不正はしていない」としていて、懲戒免職などの処分が検討されている。

    しかし両人を処分しても問題は終わらない。ここに潜むもっと本質的な問題は、多比良教授が事実上の創業者であるベンチャー企業「iGENE」(アイジーン)だろう。2003年3月に資本金2765万円で創業、多比良教授は取締役である。

  • 2006年1月30日余秋雨「文化苦旅」2――軍人、女人、文人

    ソニーもネット愛国主義もタルコフスキーも、まだ書くことが残っているのに、なかなか行きつけない。寄り道ばかりして心苦しいが、もうすこし余秋雨のことを書きたい。

    シンガポールのチュアン・ホー・アヴェニューにある、寂莫とした日本人墓地を訪れた余秋雨は、この墓地に「三相構造」があるのを見る。軍人の相と、女人(娼婦)の相と、文人の相である。

    「軍人の相」は先の大戦で死んだ軍人軍属の墓碑で、そこは悲しいほどきっちり階級制が守られている。滅びた軍国をあの世まで持ち越そうとする不撓の意志の具現のように。大佐は大理石、少尉以上は石碑、軍曹、曹長、伍長らは木碑、それ以下の下級兵は1万人まとめて1本の碑といった具合である。

  • 2006年1月29日余秋雨「文化苦旅」1――くたばってしめえ

    雑誌創刊を控えているので土日もない。やっと暇ができて、読みさしだった余秋雨「文化苦旅」(楊晶訳)の終章にたどりついた。

    訳者は私が中国で通訳をお願いした女性で、素晴らしい日本語の達人だ。日本の要人が中国の党幹部に会うとき、よくそのかたわらで彼女の姿を見かける。北京の外国語学院を出て東大文学部に留学したことがあり、知人を通じて紹介された同じ著者・訳者の「千年一嘆」を読んだことがある。今回の本も同じ阿部出版(私の会社とは無関係)から邦訳が出たが、期待に違わなかった。いつか楊さんに「あなたの訳書の書評を書きます」と言ったが、今日ようやくその約束を果たす気になった。

  • 2006年1月27日ライブドア崩落6――もうひとつの統帥権干犯

    「出る杭を打つ」となると、なぜみんなこう嬉しそうになるのだろう。そこで「正義」をふりかざすとなると、喜色満面、恥を知らない。あれほどホリエモンに媚びを売ったメディアが、稀代の悪党のごとく報じる変節には耐え難くなりませんか。「国策」捜査に違和を覚えるのは、その正当性を腑分けしていくと、最後にこのいやらしさが残るからだ。その隠れたねじれは、戦前に起きた「統帥権干犯」(とうすいけんかんぱん)と同じと思える。

    電通のクリエーターだった方に吉田望という人がいて、いまは辞めて独立している。新潮新書で「会社は誰のものか」を書いた。80年代バブル崩壊時に、私も同タイトルの新聞連載企画に参加した懐かしさも手伝って、ぱらぱらと流し読みしてみた。昨年のフジテレビ対ライブドアへの言及がある。

  • 2006年1月26日ライブドア崩落5――国策捜査

    ライブドア事件で、証券取引等監視委員会(SEC)の無能論が盛んだ。東京地検特捜部がSECの告発を抜きに、じかに摘発に乗り出したからだ。自民党内ではSECを「役立たずのカカシ」とみなす意見が出て、与謝野金融相も1月24日、SECの人員増と機能強化に言及した。

    そうだろうか。そばで見たから言うが、特捜の内偵力なんて限られている。投資事業組合を使った隠れ蓑のスキームは、ライブドア内のディープスロート(情報提供者)とSECの協力がなければ見破れなかったと思う。SECが検察の植民地と化し、手柄を召し上げられているのではないか。

    本来、証券監視委は事件になる前に「前さばき」で、こういう怪しい事案が出たら、会社幹部を呼んで警告し、暴走を食い止めねばならない。それが特捜出向のスタッフが来るようになって、特捜の得点にならない前さばきが疎かになり、事件化のための下請け化してしまったのではないか。一見、無能に見えても、実は捜査と行政のはざまに問題はあり、一方的な無能呼ばわりには歯軋りしているだろう。

  • 2006年1月24日ライブドア崩落4――本質的でないこと

    23日夜は銀座の焼き鳥屋で飲んでいました。「ホリエモン逮捕」の報はそこで聞きました。で、早めに切り上げてテレビのチャンネルを回してみました。

    ひでえ! たまたま映った画面で見たのが、「報道ステーション」の特別番組。延々と小菅に入るワゴンカーを追うって、オウムの麻原じゃあるまいし、あまりにも芸がない。そして、ホリエモンの携帯に電話する女性記者のアホさかげん。うん、うんと頷くばかりで何の突っ込みもできない。「東京地検が偽計とか言っているようですが、どうでしょうか」とアホな質問に、ホリエモンが怒りだすのは当然だと思う。

  • 2006年1月23日ライブドア崩落3――「沖縄の死」の不可解

    日曜早朝だというのに、医者の資格を持つ知人から電話がかかってきた。「あの死に方、おかしいと思いません?」。1月18日、沖縄の那覇市のホテルで死んだ野口英昭エイチ・エス証券副社長(38)のことである。

    沖縄県警の発表によると、野口副社長は18日午前11時20分ごろ、那覇市内のカプセルホテルに1人でチェックインした。それから約3時間後の午後2時35分、室内の非常ブザーが鳴ったため ホテル従業員が合鍵で入ったら、ベッドの上であおむけに倒れていたという。手首などに切り傷があり、刃渡り10センチほどの小型包丁が落ちていた。 病院に運ばれたが、午後3時45分に死亡確認、死因は失血死である。

  • 2006年1月22日ソニーの「沈黙」18――携帯オーディオ開発出直し

    コニカミノルタからデジタル一眼レフカメラ事業部門を買収するという派手なニュースの陰に隠れてだが、ソニーが1月20日、ウォークマンAシリーズの音楽配信ソフトなどでトラブル続きだった開発組織「コネクトカンパニー」の機構改革と人事を発表した。このブログで昨年来指摘してきた携帯オーディオの開発立ち遅れを認め、体制立て直しに踏み切ったと見たい。ソニーにも「聞く耳」はあったと考えよう。

    コネクトカンパニーは、ウォークマン復活を狙って日米にまたがる特命部門として04年11月に設立され、05年11月にAシリーズを発売したが、ソフトの欠陥(バグ)が相次いでライバル「iPod」追撃を果たせていない。

  • 2006年1月20日ライブドア崩落2――いつかきたPKO

    本日はいろいろあって(ソニーの方々ともお会いしましたが)、ライブドア関連でアングラとの接点を取材中。残念ながらブログは休みたいのだけれど、ちょっと一言。

    19日の日経平均株価は前日比355円高。反発したと見るのは時期尚早だと思う。10年以上前の流行語大賞で「PKO」というのがあった。本来は湾岸戦争後の平和維持活動(Peace Keeping Operation)の略称だったが、ある日、知恵モノがとんだ駄洒落を思いついた。価格維持策(Price Keeping Operation)になったのだ。実際は底なしになりかけた株価を支えるために、簡保資金などをこっそり動員して売りに対し買いむかわせることを言った。1990年代はそれが癖になってしまった。

  • 2006年1月19日ライブドア崩落――「あっは」と「ぷふぃ」

    語学というものは結局、記憶力がよく、労をいとわない若い時代に覚えたものしか残らない。最近、つくづくそう思う。あれこれ手をだしてはみたものの、英語を除けば第二外国語でとったドイツ語に、私はいちばん親近感を覚える。

    で、故埴谷雄高ではないが、ドイツ語の感嘆詞「あっは」(Ach!)と「ぷふぃ」(Pfui!)の世界に、いまだに生きているような気がする。ちなみに、正確に日本語では翻訳できないが、「あっは」とは「わっは」でも「ありゃりゃ」でも「わお」でもいい。18日午後2時40分に東京証券取引所が、システムのパンクを避けるため、初めて全取引停止に踏み切ったことは、まさに「わっは」に属すと思う。

  • 2006年1月18日ライブドア捜索――偶像破壊の季節

    ライブドアに東京地検特捜部の強制捜索が入った。“テレビ芸者”のようなコメントや、それみたことか式の議論は趣味じゃないから、尻馬に乗るようなことは書きたくない。

    潮目は変わった。直感的にそう思う。ちょうどシェークスピアの「マクベス」第二幕で、王を暗殺したマクベスとその夫人の耳に、突然、扉をたたく音が聞えるように。

    「どこから響いてくる、あの音は。どうしたのだ、おれは。一つ一つの音にどきりとする。何という手だ、これは。ああ! 両の目が飛び出しそうだ。みなぎりわたるこの大海原の海の水ならこの血をきれいに洗ってくれるか。いいや、この手のほうが逆に、うねりにうねる大海の水を朱に染めて、あの青さを赤一色に変えてしまうだろう」

    その音は幻聴ではないのだ。

  • 2006年1月17日ネット愛国主義の胚8――「タイラーズ」の正体

    東大大学院工学系の論文データ捏造疑惑は、1月14日の土曜、NHKのニュース番組でも報道された。新味はなかった。神保町の中華料理屋でぼんやりテレビ画面をみつめていたら、見覚えのある本郷の工学部5号館が出てきたから、ははんと思った。

    しかし彼らは針のムシロだろう。化学生物学でも多比良和誠(たいら・かずなり)教授の研究室は花形で、ポストドクターの研究生にとって狭き門だったらしい。それが在籍しただけで将来は疑いの目で見られ、経歴にも傷がつきそうだとあっては、研究室内が重苦しい空気に包まれるのも無理はない。しかし前回の川崎広明助手の写真もそうだが、あくまでも平静を装わなくてはならないのだから、さぞかし辛いだろう。

  • 2006年1月16日ネット愛国主義の胚7――悪事千里? 「掲示板」の告発

    これだけ騒がれている論文データ捏造疑惑の中心人物が、いったいどんな顔なのか、拝見したくなるのは人情だろう。東大大学院工学系研究科の多比良和誠(たいら・かずなり)教授の研究室にいる川崎広明助手のことである。だが、おいたわしや、ご本人が写真をのせている。多比良研究室が今もホームページを開いたままにしているからだ。

    疑惑を認めることになると思って、意地でも引っ込められないのだろう。研究室がいまだにメンバーの一覧とメール・アドレスを無防備にさらしているのと同じかもしれない。その写真、かなり笑える。ロンゲで茶髪の愛くるしい顔である。おやおや、今どきの東大の助手ってこんな風体か。別のポートレートもあって、こちらは北陸先端科学技術大学院大学にいたころである。ちょっと太めの面構えにも見える。

  • 2006年1月15日ネット愛国主義の胚6――文化功労者も見捨てた

    本来、この回は1月13日アップ分だったが、手違いで載らず、かつ夜は神保町と六本木で年甲斐もなく酒をはしごしたので、リカバリーできなかった。遅れた罪滅ぼしに、ドキュメンタリー風に書いてみましょうか。

    大型台風が近づいて雲行きが怪しくなった関西国際空港から、2005年9月6日午前10時20分、オーストリア航空機に搭乗して柳田充弘京都大学(生命科学研究科)特任教授がウィーンへ飛び立った。ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、イギリスの研究所でセミナーに出席する旅である。総選挙で小泉圧勝のニュースを聞いたのはこの旅中である。真核生物の細胞周期制御機構の研究で2004年に文化功労者を受賞した柳田教授が、行く先々で話題にしたのはそれだけではない。出発の2日前、A教授からもらった異様なメールのこともしきりと話題になった。

  • 2006年1月14日彼方のタルコフスキー3――剃刀を手にした狂人のように

    口直しが必要だ。ソニーも、ヒト・クローンも後味が悪い。

    「トラフィック」や「エリン・ブロコビッチ」の映画監督スティーヴン・ソダーバーグが、「タイタニック」のジェームズ・キャメロンを製作者にして撮った「ソラリス」は毀誉褒貶相半ばした。いや、毀と貶のほうが多かったかもしれない。私も失望した。タルコフスキーの「惑星ソラリス」のリメークとはいえ、愛の喪失の映画としても遠く及ばない。

    タルコフスキーのSF映画が公開された70年代、日本人を驚かせたのはそこに未来都市の映像として、東京オリンピックで急造した首都高速道路が映っていたからだ。奇妙なデジャヴュ(既視感)だった。いま、40年近く前の首都高速を見るとますますそうだ。妙に暗いハイウエーが右に左にカーブし、トンネルに入り、はてしない迷路のようにつづく。こういう寂しい東京をレンズの被写体にできたのは、ソフィア・コッポラか荒木経惟くらいだろうか。

  • 2006年1月12日ネット愛国主義の胚5――「象牙の塔」に潜むアネハ

    一級建築士がやすやすと耐震設計のデータ捏造ができたのは、パソコンというデータ加工自在の便利な利器があったからだ。素人には近づけない閉鎖的な学問の府でも、パソコンは同じ温床になりうる。「象牙の塔のアネハ」がいたとしたら……

    日は偶然同じだった。05年12月29日。海の彼方では、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の論文データ捏造疑惑で火だるまになったソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク )教授に対し、大学調査委員会が「ES細胞は存在せず、データもない」という衝撃的な審判をつきつけていた。同じ日、日本で流れた小さなニュースは、隣国の大騒ぎに埋没してしまう。が、これまた東京大学で名を知られた“やり手”の遺伝子学者の学者生命が「風前の灯」になる致命的な記事だった。

  • 2006年1月11日ソニーの「沈黙」17――「ピラニアの沼」を逃れて

    昔、「世界残酷物語」などと題したゲテモノ映画を得意とするグアルティエロ・ヤコペッティという監督がいた。ピラニアの棲息する沼に牛が落ちて、群がる食肉魚に血だるまにされ、やがて骨と化すシーンを売り物にしていた。怖いものみたさに見に行ったが、なんだか嘘っぽいと思った記憶がある。あとで暴露されたが、やっぱりヤラセだったそうだ。予め出血させた牛を沼に追いこみ、血の匂いでピラニアを集めたというから、ドキュメンタリーを標榜しながら本末転倒である。

    その映像を思いだしたのは、音楽CDの「スパイウエア」問題ですっかり悪役に変じたソニーBMGに、あれよあれよというまに集団訴訟のピラニアが群がっていたことである。

  • 2006年1月10日ソニーの「沈黙」16――「臭いものにフタ」の予備的和解

    1月10日は黄禹錫(ファン・ウソク)問題の最終結論をソウル大学調査委員会が発表することになっているから、「ネット愛国主義の胚5」を載せようと思っていたが、予定を変更せざるをえない。しばし、ソニーに逆戻りである。

    正月明け早々、音楽CDのスパイウエア問題で動きがあったからだ。ソニーBMGが集団訴訟の和解にこぎつけた、とのフラッシュニュースが流れた。やれやれ、容赦ないね。松の内くらいゆっくりさせてもらえないものか。それほど律儀なソニー・ウォッチャーではなく、毎日、ネットをチェックしているわけじゃないんだから。

  • 2006年1月 7日彼方のタルコフスキー2--雪の夜に会った前妻イリーナ

    週末にヒト・クローンの話も興ざめなので、タルコフスキーに話頭を転じよう。

    「Russia」と表紙に書いてある13年前の3冊の取材ノート。それを見ていると、硬直したブレジネフ時代にふさわしくない詩的な映像を撮った映画監督タルコフスキーの作品の1シーン1シーンが、走馬灯のように脳裏をよぎる。

    彼はほとんど私小説に近い「私映画」も撮った。それが「鏡」(Zerkalo, 1975)で、ここでも父アルセーニの詩を朗読させたのだ。脚本はタルコフスキーが書いたもので、母のマーリヤの人生をテーマにしているが、なんと実の母も登場させている。父は母と離婚していたが、映画ではその父に自作の詩を朗読させた。11回も録音やり直しを命じられた父は「息子が天才だなんて信じられなかったが、今は信じる」と脱帽した。タルコフスキーの執着は、映像のなかで「一族再会」を果たすことだったのだろうか。

  • 2006年1月 6日ネット愛国主義の胚4――日韓の不幸な「うり二つ」

    お奨めした日本医大講師、澤倫太郎氏の論文ではっとさせられたのは「不思議なデジャヴュ(既視感)」のくだりである。

    「人間複製」への倫理的な反発が高まって、クローン人間を実験段階から規制しようという動きが、日韓ともほぼ同時期に始まった。いずれもよじれていった経過が「うり二つ」だというのだ。反韓、反日ナショナリストには気の毒だが、紆余曲折のあげくの尻切れトンボはなぜか日韓ともよく似ていて、同じ穴のムジナと言われかねない。

  • 2006年1月 5日ネット愛国主義の胚3――「衆人環視」の空間はだませない

    政治漫画は残酷だ。変幻自在の言葉が武器の政治家と違って、漫画家は絵の描線しかないから、偏見など精神の歪みがむきだしになる。05年12月6日、朝鮮日報に載っていた漫画がそのいい例である。こめられた悪意は今や繕いようがない。

    絵解きをしよう。黄禹錫(ファン・ウソク)教授によるヒト・クローン胚性幹細胞(ES細胞)の捏造疑惑を追及したテレビ局MBCが世間の指弾を浴び、黄教授支持派が「国益のため」に始めた1000人の女性から卵子寄贈を募る運動に、取材していた外国メディアのクルーが感動するという図である。つけたキャプションが「大韓民国の力」。国境を越えて単に一ジャーナリストの立場で見た場合でも、やんぬるかな、と天を仰ぎたくなる。

  • 2006年1月 4日ネット愛国主義の胚2――最後から二番目の真実

    幻のヒト・クローン胚性幹細胞(ES細胞)のつづきを書く前に、このブログに「最後から二番目の真実」というタイトルをつけた理由を説明しておこう。12月で終えた新潮社月刊誌「フォーサイト」の連載コラムを、このサイトで継承したつもりである。

    penultimateとは「究極(ultimate)の手前」というほどの意味で、ちょっと気に入った単語なので捨てるに忍びなかった。タネを明かせば、つれづれに翻訳したことのあるSF作家P・K・ディックが、あまりできのよくない作品のタイトルにつかったのを拝借したのだ。地上では2大国の核戦争が続き、放射能汚染を避けて人類は地下都市で耐乏生活するというSFによくある設定だった。都市は少数の支配層が全権を握り、彼らがテレビを通じて流す地上の凄惨な戦争の映像によって、大衆は忍従するほかなくなっている。

  • 2006年1月 2日ネット愛国主義の胚1――勘違いした「トムとジェリー」

    記憶にずっと残っていたが、どこで知ったのか、どうしても思い出せない小話がある。

    ある保健指導員が今週報告したところによると、小さなネズミが、たぶんテレビを見ていたのだろうが、いきなり小さな女の子とペットの大きなネコに襲いかかったという。女の子もネコも生命に別状はなかったが、このできごとは何かが変わりつつあるらしいことを思い起こすものとしてここに記しておく。

    「あ、そいつはね……」とモノ知りが言う。「マクルーハンさ」。メディアはメッセージ、という名言を残し、「グーテンベルクの銀河系」など逆説のきいたベストセラーを次々と送りだして1960~70年代に一世を風靡したカナダのメディア学者である。

  • 2006年1月 1日彼方のタルコフスキー1――「ノスタルジア」で朗読した詩

    あけましておめでとうございます。お正月ですから、のんびりしたブログにしましょう。

    大晦日、手抜きの大掃除をしていて、ふと手がとまった。13年前の取材ノートが出てきたのだ。日経新聞土曜版の「美の回廊」の取材で、93年1月、モスクワとボルガ川中流の町ユリエベツに行ったときのものである。目頭が熱くなるほど懐かしい。

    生まれてはじめて零下30度という極寒を経験し、チェーホフが「シベリアの旅」で描いた「はてしない」白樺の密林の一端、「ダイヤモンド・ミスト」の煌めくロシアの青天を眼前にしただけに、忘れがたい旅だった。