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お盆休暇の神保町はさすがにがらんとしている。夏の日差しが眩しい。ふと、本屋でまったく季節はずれのタイトルの詩集を見つけた。「雪が降るまえに」。雑誌稼業で詩などに心ひかれることはめったにないのだが、作者の名前にはっとした。A・タルコフスキーとある。
このブログを描き始めたころ、ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの取材談をツィクルス(連作)にして載せたことがある。詩集は彼の父、アルセーニー・タルコフスキーのものだ。
我が家にも、キリル文字の原文とフランス語の対訳がついた彼の詩集がある。もう15年以上前、末期のソ連で入手した。私はロシア語を知らないから、フランス語と知人の試訳で断片的に読んだ。
日本ではほぼ無名と思っていたが、邦訳詩集がこの6月末に出版されていたとは知らなかった。心ひそかに喝采を送りたい。
投稿者 阿部重夫 - 06:00| Permanent link | トラックバック (1)
わが知り合いのポルトガル・ファンが怒っていた。オランダは汚い、と。退場だらけの荒れた試合で、おそらく次にあたるイングランドには負けてしまいそう。
本日無料公開するFACTA最新号の記事は、「進学塾トーマスが躓いた映像配信」。上場企業が蜜月だったベンチャー企業のシステムを採用したはいいが、そのあとでトラブルになっている事例は、いい教訓になると思う。
さて、誰かに言われたことがある。このブログの開始早々、書いていた旧ソ連の映画監督タルコフスキーの話、尻切れになっていますが、続きはまだですか、と。忙しさにかまけていたが、続きを書く前に、書き残したことにちょっと触れておきたい。
タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」のリメーク版「ソラリス」(スティーブン・ソダーバーグ監督)に失望したと書き、そこで引用された英国ウェールズの詩人ディラン・トマスの詩の引用がとってつけたようで納得がいかないと書いた。詩をくさしたのではない。挽歌として、あるいは弔辞として、あれはいい詩だと思う。ただ、それを得々と引用するソダーバーグの”クサさ”が嫌だったのだ。
詩はAnd death shall have no dominion「そして死は覇者にあらず」である。懺悔をこめて、ここに原文の初聯を引用しよう。以前、引用したタルコフスキーの父アルセーニの詩と読み比べてほしい。
投稿者 阿部重夫 - 06:44| Permanent link | トラックバック (0)
口直しが必要だ。ソニーも、ヒト・クローンも後味が悪い。
「トラフィック」や「エリン・ブロコビッチ」の映画監督スティーヴン・ソダーバーグが、「タイタニック」のジェームズ・キャメロンを製作者にして撮った「ソラリス」は毀誉褒貶相半ばした。いや、毀と貶のほうが多かったかもしれない。私も失望した。タルコフスキーの「惑星ソラリス」のリメークとはいえ、愛の喪失の映画としても遠く及ばない。
タルコフスキーのSF映画が公開された70年代、日本人を驚かせたのはそこに未来都市の映像として、東京オリンピックで急造した首都高速道路が映っていたからだ。奇妙なデジャヴュ(既視感)だった。いま、40年近く前の首都高速を見るとますますそうだ。妙に暗いハイウエーが右に左にカーブし、トンネルに入り、はてしない迷路のようにつづく。こういう寂しい東京をレンズの被写体にできたのは、ソフィア・コッポラか荒木経惟くらいだろうか。
投稿者 阿部重夫 - 06:00| Permanent link | トラックバック (1)
週末にヒト・クローンの話も興ざめなので、タルコフスキーに話頭を転じよう。
「Russia」と表紙に書いてある13年前の3冊の取材ノート。それを見ていると、硬直したブレジネフ時代にふさわしくない詩的な映像を撮った映画監督タルコフスキーの作品の1シーン1シーンが、走馬灯のように脳裏をよぎる。
彼はほとんど私小説に近い「私映画」も撮った。それが「鏡」(Zerkalo, 1975)で、ここでも父アルセーニの詩を朗読させたのだ。脚本はタルコフスキーが書いたもので、母のマーリヤの人生をテーマにしているが、なんと実の母も登場させている。父は母と離婚していたが、映画ではその父に自作の詩を朗読させた。11回も録音やり直しを命じられた父は「息子が天才だなんて信じられなかったが、今は信じる」と脱帽した。タルコフスキーの執着は、映像のなかで「一族再会」を果たすことだったのだろうか。
投稿者 阿部重夫 - 06:00| Permanent link | トラックバック (0)
あけましておめでとうございます。お正月ですから、のんびりしたブログにしましょう。
大晦日、手抜きの大掃除をしていて、ふと手がとまった。13年前の取材ノートが出てきたのだ。日経新聞土曜版の「美の回廊」の取材で、93年1月、モスクワとボルガ川中流の町ユリエベツに行ったときのものである。目頭が熱くなるほど懐かしい。
生まれてはじめて零下30度という極寒を経験し、チェーホフが「シベリアの旅」で描いた「はてしない」白樺の密林の一端、「ダイヤモンド・ミスト」の煌めくロシアの青天を眼前にしただけに、忘れがたい旅だった。
投稿者 阿部重夫 - 06:00| Permanent link | トラックバック (2)
1948年、東京生まれ。東京大学文学部社会学科卒。73年に日本経済新聞社に記者として入社、東京社会部、整理部、金融部、証券部を経て90年から論説委員兼編集委員、95~98年に欧州総局ロンドン駐在編集委員。日経BP社に出向、「日経ベンチャー」編集長を経て退社し、ケンブリッジ大学客員研究員。 99~2003年に月刊誌「選択」編集長、05年11月にファクタ出版株式会社を設立した。
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