阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」

2011年4月 4日 [ポリティクス]手嶋龍一×阿部重夫 「福島原発」対論(上)

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3月11日の東日本大震災と、それに続く東電福島第一原発の事故は、日本の転機になりそうです。いったい何が問題なのか、このブログ上でジャーナリスト、手嶋龍一氏と本誌編集主幹の阿部重夫が緊急で「対論」を試みました。主として巨大リスクのクライシス・マネジメントの観点から、政府と東電の対応を論じましたが、中長期的なエネルギー・ポートフォリオの問題については「下」で、東京工業大学の岡崎健工学部長にもお話を聞きました。

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阿部 今日は3月31日です。地震の発生から20日経っても、東京電力の福島第一原発は依然として深刻な状態が続いています。ある国立大学のエネルギー専門家ですら、ヘリで水を撒いたり、汚染水を玉突き排水したりの、幼稚な手段で人類の叡智の結晶を押さえこもうとする“焼け石に水”の日本の姿に「いまは祈るような気持ちでオペレーションを見守っている」と溜息をついています。今日はジャーナリストの手嶋龍一さんをお迎えしてこの国が直面しているリスク管理、危機対応の弱点について議論したいと思います。

まず手嶋さんに伺いたいんですが、首相官邸及び東電、被災地の自衛隊やその他の関係者は力の限り救援と復旧に努力していると思います。しかし20日間たって現在ふりかえってみますと、いかに想定外の天災だったとはいえ、その後の対応においてはパニックこそ起きなかったけれどもずいぶん欠陥があった。それが今後、日本の経済及び政治に与える大きな後遺症が心配されるところだと思います。今回の日本政府及び関係企業の対応についてどういうふうにご覧になっているか、教えていただきますか。

手嶋 阿部さんは冒頭で「パニックこそ起きなかったけれど」といわれました。パニックを起こしていないのは、被災地の一般の人々です。一方で日本の政治指導部と東電は、浮足立って、決断する機能がメルトダウンしかけています。冷静沈着な民衆とパニック寸前の政治指導部。まことに奇妙なギャップを抱える構図になっています。

従来、日本に厳しい論調を張ってきた国のメディアすら賞賛の声一色です。これほどの災厄を蒙りながら、英語でいうselflessness、私を虚しうして、隣の人の命を気遣う。こんな国はやはり世界では稀な存在といっていい。同時に、日本の政治指導部は「神の火」といわれる原子力をコントロールできるのかという疑いの眼差しが向けられています。

阿部 福島原発は東京から240キロ離れていますが、これほど東京都民及び首都圏の住民に不安を与えた日々はありません。枝野官房長官が会見するたびに、水の買いだめに走ったり、急遽自宅待機を会社から言われて電車に殺到したり、小さな形でのパニックは起きていました。政府の発表や情報開示は、いくら緊急事態とはいえ場当たり的に聞こえます。説明の内容も充分意を尽くしていない。計画停電等の不公平さもあります。誰が何をどう決めているのかさっぱりわからない。20日間たって住民の方々に残ったのは政府への不信感でした。

手嶋 一般の方々の指導部不信の内実を検証してみましょう。3月11日の午後にマグニチュード9の地震が発生。その日の晩には福島原発で異変が生じはじめました。

阿部 11日の夜の段階で、原子炉の冷却装置の大半が作動しないことが明らかになっていました。にもかかわらず、東電側になお意思決定を委ねていたことが最大の錯誤といっていいでしょう。原発では事故が発生するとまず、核燃料棒に制御棒を入れて運転を止める。次いで、原子炉を冷やす。そして放射能を閉じこめて漏らさない。このプロセスが肝心です。今回、大地震が起こった段階で制御棒が降りてきて、原子炉の運転は一応緊急停止しました。しかし、続く「冷やす」と「閉じこめる」ことは、非常用電源がとまってできなくなってしまいました。

手嶋 このような深刻なクライシスでは、初動の24時間がすべてを決める。今度の福島原発の事故でも、11日夜の段階で原発の制御システムが機能不全に陥ったことが明らかでしたから、最大限の危機管理体制が敷かれてしかるべきでした。79年のスリーマイル島事故や86年のチェルノブイリ事故のケースをみてもそう言えます。

阿部 今までの原発災害の想定を超えているのですから、マニュアルに従ったクライシス・マネジメント(危機管理)ではない有事の対応が必要なはずでした。

手嶋 残念ながら、現実にはそうした対応はとられませんでした。もし11日夜の段階で政治指導部が精緻に情勢を認識していれば、翌12日の朝、菅直人総理が官邸からヘリコプターで現地を視察することなどなかったはずです。

阿部 29日に国会で久しぶりに菅総理は答弁に立って、首相視察によって初動態勢が遅れたことはないという弁明をしました。燃料棒の冷却ができず、炉の温度が上昇していくのを押さえようと、放射性物質を含む水蒸気を放出するベントを、視察前の段階ですでに指示していたからというのです。菅首相自身は気がついていないが、これは重大な矛盾をはらむ答弁です。

放射能が外に出るベントを実施する現場に総理大臣がいるなどということは、国家の中枢を放射能汚染のリスクにさらすことに等しい。仮にそれでも行くのなら、最低限、防護服を着なければならないでしょう。あのときの写真や映像を見れば明らかなように、菅首相は防護服を着ていない。ただの防災服です。首相がいる間はベントをやらないということでしょう。そこは東電が配慮したわけで、たぶん視察の前後5、6時間に渡ってベントを遅らせたんじゃないかと思います。

手嶋 民主党政権の総理や官房長官がヘリコプターを仕立てて現地視察をする時には心せよ、政治判断を誤る不吉な前兆となる――こう申し上げてきました。鳩山内閣の平野官房長官が沖縄の米軍基地を上空から見たのがその一例でした。上空から見物したところで、適当な移転先が見つかるはずもありません。現状に対する甘さが露呈していました。

今回の菅総理の現地視察も、とりあえず自ら陣頭指揮を執る姿勢を示そうとしたのでしょうが、ここは官邸で全体状況を把握し、東電側にクライシス・マネジメントを委ねることなく指揮をとるべきでした。

阿部 菅総理が視察から帰って、東京で水素爆発の一報をきくわけですね。その時間のロス、初動の24時間内に総理大臣が現地視察することによって、東電側がベントを遅らせたのだとしたら、総理の責任は非常に重大です。「私によって遅れたわけではない」という答弁自体が今後、大問題になると思いますね。

手嶋 大災害や戦争には想定外の出来事は避けられない。「想像すらできない事態を想定して備えておけ」。これは「核の時代の語り部」といわれた、アルバート・ウォルスタッター博士が、若い戦略家たちに言い聞かせていた有名な言葉です。今度の大震災でも、原子力の専門家が想定していた規模を遥かに超える災厄が現実のものになった段階で、緊急の指揮・命令系統を首相官邸に設置すべきでした。

阿部 しかし「想定すらできない事態」とは何でしょう。確かに西暦869年に起きた貞観地震は想定に入れておらず、明治、昭和の三陸地震しか想定していませんでした。東電側も経産省の外局である原子力安全・保安院も「未曾有の事態だ」と言い訳をするばかりです。ですが、想定外と思考停止とは違うはずです。

手嶋 高村薫さんは、核のテロリズムをテーマにした小説のタイトルを『神の火』としましたが、東電側は「神の火」ともいうべき原子力を制御する手段を喪ってしまった――ここが最大の核心部分です。事前に想定していた有事のマニュアルが役立たないのですから、全く新たな対応をとらざるをえなかったはずです。従来はまず東電が対応し、原子力保安院がそれを監督し、さらに原子力安全委員会が統括するというシステムでしたが、それが11日夜の段階ですでに意味を喪っていたのです。

阿部 火事が起きて、地域の消防団が消火活動にあたる。そんな想定では、巨大ビルの火災に歯が立たないのと同じですね。通常ならざる対処をしなければならないという認識を欠いていたと言わざるをえません。

手嶋 視察後のベントも打開策にならず、ついに建屋が次々に吹っ飛び、原子炉格納容器の密閉が維持できなくなってから、業を煮やした菅総理が15日に東電本社に乗り込んでいきました。東電の対応がお粗末だ、情報をきちんと報告してこないと、東電側を厳しく叱責したといわれています。これはまさに自らに向かって自分を怒鳴り散らしているようなものです。

阿部 総理視察後に爆発が起きて、枝野官房長官が記者会見をして「念のため緊急事態を宣言する」と述べました。この段階で「念のため」というのは問題です。99年に起きたJCO東海村臨界事故の教訓に基づいて原子力災害対策特別措置法という法律がつくられています。緊急事態を宣言すると同時に対策本部を直ちに政府内に設け、そこにあらゆる権限、あらゆる情報を集中させることになっています。ところが、官房長官が「念のため」といったことによって、単に国民に対し「みなさん、少し気をつけてください」というアピールになってしまった。

実質的に対策本部主導になるのは、ずっと後です。あの爆発事故後もしばらく政府は福島の対応は東電任せでした。東電の担当者に、こういう国家的、あるいは世界的リスクの重大な判断ができたでしょうか。情報が少なかったのは事実でしょう。取り得る手段も限られていた。しかし初動24時間の段階で、メルトダウンの可能性は明らかだったわけですから、爆発する前に海水を注入するなりやることはもっとあったんだろうと思います。しかし1基1千億円もする原子炉の廃炉の最終決断を、普通の会社の社長が経済的にもできるかという問題です。あの段階では政府が上から「やるべき」という段階だったんですね。

手嶋 まさにご指摘の通りです。「念のため避難を」という意図を滲ませて、「自主避難」を福島原発の20キロから30キロの住民に勧告する政府の姿勢と同根なのです。「念のために」は、半ば責任回避です。被災住民には、なんとも曖昧な「自主避難」と「屋内待避」の勧告。危機管理の主体が我にありという自覚に乏しいことの象徴です。

阿部 まだ細部は不明ですが、現状では放射線量が多すぎてなかなか作業が出来ない状態になる前に、炉をつぶしてでも冷却を強行するという判断があってしかるべきだったでしょう。そういうタイミングは東電の現場一任という形では、そういうチャンスはなかったろうと思います。その上に官邸や保安院、東電首脳部が情報をよこせとわあわあ言うものですから、何十人か残っている現場は報告義務の重圧にあえいだのではないでしょうか。たぶん作業は遅れるし、恐らく通信事情も悪いでしょうから、ものすごく現場に負荷がかかり、大混乱状態にずっと陥っていたんでしょう。現場の混乱は官邸も一因だったのではないかと思います。そこれ気づかない状態になっていた。

手嶋 危機に臨んだリーダーが決してしていけないこと、それは現場で感情を露に前線を怒鳴りつけたりすることです。一線の人々を混乱させるだけで、いいことはひとつもない。いまの事態は、東電という一企業が扱う範囲を遥かに超えている。東電側は、福島原発が首都圏の電力供給の主力を担っていることを痛いほど知っている。東電は原子炉を何とか救いたいと考えるのは当然です。海水を注入して廃炉にしたくない。可愛い子供の足がハブにかまれてしまった時、我が子の右腕をなんとか救いたいと願うのは親として当りまえの感情です。しかし判断を誤ると、毒が回って子供の命が危うくなります。

やはり、より巨視的な立場から全体状況を判断し、原子炉を廃炉にするかどうか、非情な決断をしなければなりません。こうした究極のクライシス・マネジメントを担う主体が日本に存在するのか。アメリカ政府やフランス政府から、疑いの眼を向けられているのは、まさしくこの点なのです。

阿部 メディアサイドの自戒を含めて言えば、原子力発電及び原子炉のメカニズムについて素人ですので、気後れしている部分はあったかとは思います。クライシス・マネジメントどころか、官邸やメディアは、とにかくパニックを引き起こさないために「リップコンフォート」、気休めのリップサービスを言い続けた。枝野官房長官はその役割であって、「直ちに影響はない」と言いながら現実には判断が徐々に後退していく。それを毎日聞かされていて、次第にコンフィデンスを失っていくわけですよ。

手嶋 人々にいたずらにパニックを引き起こさないよう、問題の核心、そして真相をストレートに伝えないのは、やはり間違いでしょう。現にこれだけの災厄に遭遇しながら、人々はどの国より冷静です。正確な情報を開示しさえすれば、かなりの試練に耐える人たちです。政府がなすべきは、一刻も早く東電と原子力保安院から主導権を取り戻すことです。本当の意味の危機管理チームをつくって、総理の決断を誤りなきように補佐する体制を整えなければなりません。

阿部 途中の段階で、原子力安全・保安院の会見の担当者が交代しました。最初はかなり専門的なことを言っていて、素人にはわからない。ただ専門家なものですから、実は炉心溶融の可能性がありますと言ったわけですよ。「パーシャル・メルトダウンの可能性があります」と。で、とたんに替えられたんですね。いま会見している審議官は原子力のことなどなにも知らない。会見慣れはしても、基礎知識の欠如、データの東電依存は隠れようもない。政府側も炉心溶融の可能性、疑いがあるにもかかわらず、言わせまいとして人まで替えちゃう。一種の報道管制なんですけれども、結果的には炉心溶融を隠したっていうかな、言わなかったことによって風評被害とか、あとあともっと大きい形で返ってきているわけですよ。

手嶋 いま日本の政治指導部は、国内だけでなく、国際社会との対話、つまり真摯なコミュニケーションを取れずにいます。日本のフクシマではいま、尋常ならざる事態が起きつつある、と諸外国は疑いの眼差しを向けている。アメリカの統帥部は、第7艦隊の隷下にいた原子力空母「ロナルド・レーガン」を真っ先に東北沖に急派した。むろん、日本を助けたいという善意から出ていることは間違いないのですが、心臓部に原子炉を内蔵した原子力空母「ロナルド・レーガン」を真っ先に差し向けた、その意図はもう少し複雑です。

実は母港のサン・ディエゴに係留されていた「ロナルド・レーガン」に乗せてもらったことがあります。まず見せてくれたのは、炉心溶融が起こった時に対応する防護チームでした。そういう危機対応チームが控えている船員を乗せた原子力空母を差し向けたアメリカの真意はもうお分かりでしょう。

阿部 メルトダウンを起こす可能性について、当事者である日本政府よりも、アメリカのほうが早くその可能性を考えて、ロナルドレーガン空母を派遣したととうことですね。

手嶋 ええ、これほどの危機に立ち向かう日本の政治指導部そのものがメルトダウンしているのではないかと疑っているのでしょう。「アメリカがお手を貸しましょう」と申し入れたのですが、菅内閣はこれを事実上拒否してしまう。ワシントンで正式な外交ルートを通じて日本側に打診したのですが、日本側は明確な返答をしなかったようです。

阿部 後の祭りみたいないい方になるのは問題ですけれども、最初の初動で間違ったがゆえにその後でそれを修正することができていないんですね。誰の目から見ても間違ったということが分かるものですから、今度は自己保身というか自己弁護に走ってしまって、先ほど紹介した菅総理の答弁が典型的なんですけれども、今度は逆に自分の身を守るという非常によろしくない形になってですね、これでいくと、単純に言えば判断ミスをしたリーダーというのはすぐに人を交代させないと完全に不適格ですよね。そういうものを今度一生懸命自分の地位を守ることに入っていっちゃってるものですから、いよいよ悪循環になるという、そんな感じがしますね。

手嶋 戦前、英国の指導部は戦火を避けようとして、ミュンヘン会議でヒトラーに譲歩するばかりの宥和政策(アピーズメント)の誤りを犯しました。当時のチェンバレン英首相には同情すべき事情が多々あったのですが、結局、ヒトラーのポーランド侵攻によって、第二次世界大戦が勃発してしまいます。すると、まず対独主戦論者のチャーチルが海軍大臣に返り咲き、やがて戦況がもっと悪くなると、総理大臣に就任します。結果的には、判断を誤った戦前の指導部は交代しているのです。

阿部 判断を誤った者の責任の取り方がやはり貫かれているといっていいですね。

手嶋 政治指導者は、危機に臨んで決断を下し、結果責任をとる存在だからです。政治指導者が決断を下すにあたって依拠するのがインテリジェンスです。リーダーは、いま現場で何が起こっているのか、正確な情報がほしいとリクエストします。これを受けてインフォメーション、つまり様々な一般情報が集められます。今回のケースでいうと、福島原発で何が起こっているのか、本格的な炉心溶融に進むのかどうか、そして冷却機能はどれほど傷んでいるのか、という膨大な一般情報が寄せられます。その中から、総理や官房長官が、避難命令を出したり、廃炉になることを覚悟で海水を注入するという、重大な決断に役立つような情報を選り分けていきます。そして危機の本質を映しだすような情報、つまりインテリジェンスが選り分けられていくのです。その簡潔にして核心をついたリポートが官邸にあがっていく。これが「インテリジェンス・サイクル」と呼ばれるものです。

総理はそれを受け取った段階で真贋を見抜き、そのインテリジェンスがどれほどの重みをもつものかを見極め、決断を下していきます。しかしながら、いまの菅内閣では、こうした「インテリジェンス・サイクル」が機能しているとはとうてい言えません。官房長官の存在も重要なのですが、危機に際して適確な対応ができた人は、戦後は後藤田正晴と野中広務の2人だけでしょう。仮に野中さんが官邸に入っていたら、原子力に関してさして知識がなくても、補佐官の支えを得て、適確な判断を下していたはずです。

阿部 最終決断して責任もとるとなる、最悪のケースを考えて決断できる人がいいわけですよね。

手嶋 これほどの災厄に遭遇した国家の指導部が、どういう人たちを“お助けマン”にお願いするか、これは人の命がかかっているから重大です。現状では、野中広務のような方がいいのでしょう。副知事や自治大臣として官僚機構を率いた経験があり、官房長官として国家の機構を束ねた実績を持ち、幹事長として政治家を御した蓄積がある。しかし剛腕の野中さんとて、膨大なインフォメーションを選り分けて、インテリジェンスに精選していく作業を自分でこなすわけにはいきません。補佐するチームは必要です。野中官房長官のもとに少数のインテリジェンス・オフィサーがいれば、このサイクルは回っていきます。翻っていまの東電、原子力安全・保安院、経産省、官邸とみてみますと、こうした情報サイクルが、いまだに十分働いていないですね。

阿部 菅総理の場合も、直前までほとんど風前の灯火というぐらいに政治的には追いつめられていました。これを機会に失地を快復するという政治的な思惑があったのは明らかでしょうね。谷垣自民党総裁に入閣を要請するというのも、実は根回しなし。そういう形で入閣を要請する場合には、自分は身を捨てるから、かわりに総理をやってくれというぐらいでないと無理でしょう。どうせ副総理で入ってくれということだったんでしょうが、抱きつき型の保身があまりにも見え透いていました。いきなり「国難だから入ってくれ」だから、大連立は空振りに終わってしまいました。

そこから第二幕が幕をあける。いったんは官房長官を離れていた仙石さんが、官房副長官として官邸に帰ってきて、枝野官房長官が非常に近いものですから、首相側近の寺田首相補佐官を切るとか、はっきりいって足の引っ張り合いをやっているわけですね。菅さんのほうは猜疑心が高まって、補佐官の手足をもがれたかわりに、内閣参与という形で学者の先生を自分の周りに集める。決断のための小さなチーム、最終的に執行するための小チームを作るんじゃなくて、言ってみれば政治的なガードマンみたいな人たちを身の回りに集めているだけで、決断については自分がやっているんだと言い張るだけです。結果的には記者会見にも出てこない、国民に対して何かメッセージを発するときにはまったく一方的。質問にも応じない。自分がお山の大将でいたいというだけで、危機対応のリーダーとしては失格だと言わざるを得ないですね。

手嶋 勝負の岐かれ目は、震災の翌日、3月12日の官邸のコミュニケーションでした。3月12日の夜になって、菅直人総理は官邸の記者会見場に姿を現し、国民に呼びかけるスピーチをします。十分に練られた草稿を準備していた節はなく、何度も「しっかり」とか「全力を尽くして」とか、いつものように陳腐な、しかも最高級の形容を重ねて、被災した人たちへのメッセージらしきものを語りました。この内閣が危機に際して人々を率いていく力がないことを象徴的に物語っています。演説のわずか5分前でもいい。誰かプロのピーチライターに少しだけ草稿に手を入れてもらえば、見違えるような内容になったはずです。重大な局面で原稿なしで行われた重大演説など一つもないと欧米では言われます。たとえ紙を手に持っていなくとも草稿は良く練られているのです。それほど影響力大きいからなのです。

阿部 あのように全国民が打ちひしがれ、不安に思っているときに、リーダーが何を、どう語るかは大切ですね。スペース・シャトル「チャレンジャー」号の事故の際は、時のロナルド・レーガン大統領が、それでも、我々は宇宙への挑戦をあきらめないと語って、全米を感動させたことがありました。

手嶋 これは女性のスピーチ・ライターだった、ペギー・ヌーナンさんが送稿を書いたのですけれども、国民のなかに眠っている勇気や力を奮い立たせる、これもリーダーの重要な役割です。レーガンという政治指導者は、真摯に国民に働きかけ、その魂を揺り動かし、冷戦を終わらせる主導権を握っていきます。まことにスピーチ畏るべし。

阿部 挙げ句の果てに菅総理が、あの時ですよね、涙ぐんじゃったのはね。やっぱりリーダーがああいう時に自分の感情を抑えられないっていうのは、もうそれだけではっきりいって国民には不安を与えるわけで、そういう意味でもやっぱりこれでは未曾有の事態に対応できないっていうのを自分で自ら明かしていましたよね。

手嶋 クライシス・マネジメントを担うリーダーの心得に反している。東電のところに出かけて行って、重大なオペレーションを担っている人たちに、怒りをぶつけてしまえば、彼らはさらに委縮して、誤った判断に迷い込んで行ってしまう。その果てに、東電の側では、コンクリートのうえに皆毛布にくるまって幾晩も寝るなどという愚かなことをしてしまう。危機が長期に及ぶことが確実な場合は、初日からいくら短時間でもいい、ベッドで仮眠をさせるべきです。9・11の時のことはいままでお話ししたことがありませんでした。でも、語り継いでおくべきだったのかもしれません。当時、ワシントン支局から11日間にわたって連続の中継放送を担ったのですが、チーム全員の仮眠のベッドを確保し、ひとりでも絶対に地べた寝せないことだけは徹底しました。理由は簡単です。ごろ寝をさせると、結局、生放送や取材でミスが頻発するからです。その時々に短くても、きちんと睡眠時間をとらせることが非常に大切です。それが的確な判断をするための礎なのです。

阿部 リーダーのなかにも、一種の精神的なブレークダウンを起こす人がいる。それ自体はリーダーとして不適格だったと言わざるをえないのですが、残念なことに、東電でもトップにそういう人が出たのに、交代させることができませんでした。

副社長が現地にお詫びに行ったり、会長が最後は会見に出て対応したんすが、明らかに見ていて決断ができない組織であったことを露呈しました。もっと重大な問題は、東電というのはあくまでも原発のオペレーターにお願いしている立場で、危機対応できる専門家がいなかったことです。自分で原発を設計したことのない人たちが、ああいう記者会見に出たって、何も答えられないはずなんですよね。

東電にできることとできないことがあるはずで、政府側がどちらかというと後方でパフォーマンスをしたがる中で、実際的な決断を全部任されていた。よく知らない技術の決断をやっていたというあたりもシステム上は非常な危うさがあります。東電サイドも政府の機能不全と同じように、大きな機能不全があったと思います。

※中に続く

写真:大槻純一