阿部重夫編集長ブログ「最後から2番目の真実」
1月号の編集後記
2009年12月19日 [編集後記]
FACTA最新号(2010年1月号、12月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は28日からです。
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彼は若かった。20年前の1990年5月、国会議事堂2階の自民党幹事長室で、初めて小沢一郎氏にインタビューした。当時の写真を見ると、今より恰幅がよく髪も多い。が、口は重く「ちょっと観念的で青っちょろいというか、自分なりの考えかたをもつというかね」という自画像を引き出すのがやっとだった。時移り世は変わり、今は民主党幹事長として同じ部屋に陣取る。門前市をなす陳情――デジャヴに襲われた。
▼「目白御殿が国会に引っ越したみたいで」。そんな話を久しぶりに会った麻生太郎前総理にした。憔悴から解き放たれた前総理は「天才、大河内正敏の真似かもしれん」と言う。大河内は長岡半太郎や鈴木梅太郎らを擁した戦前の理化学研究所所長で、理研コンツェルンを興した子爵である。1934年、16歳の田中角栄はその書生になろうと上京し、果たせなかった。が、ひっきりなしの陳情の列が目に焼きつき、後に目白でそれを真似した。そのDNAは代沢の故竹下登、そして小沢氏に継がれる。
▼「あれは八面六臂の天才、大河内だからできたこと。凡人は無理なんだ」と麻生氏に語ったのは、日本医師会に君臨した故武見太郎である。彼も大河内家の元書生で、理研の仁科芳雄研究室で放射線の研究をしたこともある。麻生氏の曾祖父、牧野伸顕伯爵の孫娘を妻にしたから、親戚のよしみで若き麻生氏に「大河内の真似はするな。凡人は一人で仕切らず他人に任せろ」と語った。それから声を落として「いつか見てろ。角栄は必ず身を誤る」と囁いたという。それからほどなくロッキード事件が起きた。
▼そして今また600人の小沢訪中団。天皇陛下と習近平中国国家副主席の特例会見をめぐる傲岸不遜の発言。本人は目白方式の原点を知るまい。だが、「権力の集中には魔が潜む」というのは古人の知恵。10人の声を聞き分けられた聖徳太子の頭脳がない限り、過度の集中は個人の限度を超えて墓穴を掘る。それは角栄が残した「魔のDNA」なのだ。
投稿者 阿部重夫 - 12:00| Permanent link | トラックバック (0)
