阿部重夫編集長ブログ「最後から2番目の真実」
9月号の編集後記
2009年08月19日 [編集後記]
FACTA最新号(2009年9月号、8月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は25日からです。
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8月の森閑とした炎天に、いつも「最後の賢治」の姿を思い浮かべる。昭和8年、つまり1933年の夏、宮澤賢治は死の床にあった。結核の病躯に鞭打って、生涯書きためた詩稿を浄書していく。すべて文語詩だった。ただの筆写ではない。推敲魔の彼は、最後まで鉞(えつ)を加えずにはいられなかった。8 月15日に『五十篇』、22日には『百篇』(実際は101篇)を終える。何かにせかされたような速さだ。弟清六につくらせた赤い罫の特製原稿用紙に、息を凝らして一字一字記す賢治は鬼気迫る。
▼浄書を収めた和紙の箱に「本稿集むる所、想は定まりて表現未だ足らざれども、現在は現在の推敲を以て定稿とす」と書いたが、恐らく二度と推敲の機会はないと覚悟していたろう。透明で哀しい響きの文語詩稿をここで批評するつもりはないが、なかに一編、選挙と競馬(馬追い?)を重ねて比喩にした『選挙』という詩がある。なかなかユーモラスで、日蓮宗国柱会の信徒だった賢治の政治感覚をうかがわせる。
▼詩の話者はふたり。同時通訳のような二重唱で、丸カッコの中が政治語、外が彼の私語である。
(もつて二十を贏(か)ち得んや)
はじめのをやらふもの
(さらに五票もかたからず)
雪うち噛める次の騎者
(いかにやさらば太兵衛一族(まき))
その馬弱くまだらなる
(いなうべがわじうべがわじ)
懼(おそ)るヽ声はそらにあり
▼俗っぽい選挙の皮算用の会話が、雪の競馬に対置される滑稽。この腹話術は賢治の独創だが、死にゆく者の耳に政治言語はどう響いていたのか。救生(くしょう)の思いからは絶望的に遠い。暗い病間から日向を見るように、彼は丸カッコで政治言語を濾過している。この総選挙で心に響く政治の言葉はあるか。「八月の石にすがりて/さち多き蝶ぞ、いま、息絶ゆる」と詠った伊東靜雄の詩のように、賢治はその1カ月後に息絶えた。
投稿者 阿部重夫 - 12:00| Permanent link | トラックバック (1)
