阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」
バーナンキFRBの「出口」
2009年05月02日 [コラム]
どんな暗いトンネルにも必ず出口がある。いや、出口を考えない「迷える子羊」に、出口はみつからないというのが本当ではないのか。
4月18日、ニューヨーク連銀の市場部門チーフに、38歳とまだ若いブライアン・サックが指名された。彼がアメリカの金融危機脱出の帰趨を制すると言っても過言ではない。前任のビル・ダドリーがNY連銀総裁に昇格した後に抜擢され、そのダドリーも前総裁のティモシー・ガイトナーが財務長官に転出後に昇格したから、いわば玉突き人事。それでも、この布陣に目を凝らすと、「出口」がおぼろげながら浮かんでくる。
NY連銀市場部門チーフの使命は、一般には短期金利の要であるフェデラルファンド金利をオペ(公開市場操作)などを通じて誘導することにあるが、現在のような“非常時”にはその権限が巨大になっている。連鎖リスクを回避するため、大手企業が発行するCP(コマーシャルペーパー)から、ローン債権を担保とした証券化商品まで、中央銀行が買いこんで市場の崩壊を防ぐ「非伝統的手段」の総司令塔になっているからだ。
しかもNY連銀の果敢な買い切りオペでFRB(連邦準備理事会)のバランスシートが膨れあがった。リーマン・ショック前の昨年8月には9千億ドルだったのが、今は2兆ドルである。コントロールを一歩間違えれば、ドルは暴落してしまう。
ベン・バーナンキ議長が理事時代の2004年には、当時、市場部門を統括していたビンセント・ラインハートや、まだ無名だったサックと論文を共同執筆している。
この共同論文(「ゼロ金利拘束下の金融政策オルタナティブ 経験的アセスメント」)はリーマン・ショック後のFRBの行動を予告したものとして有名だ。ゼロ金利でも火消ししきれない時――いわゆる「流動性の罠」を抜け出すには、中央銀行が長期国債を買い入れる(マネタイゼーション)ことが有効と示唆していた。
実際、FRBは事実上のゼロ金利まで金利を引き下げ、それでも資本・金融市場の動揺が鎮まらないと見て取ると、3千億ドルの長期国債買い入れに踏み切った。
問題はそこから先だ。非伝統的手段として日銀も06年まで4年半「量的緩和」政策をとったが、出口を「消費者物価が安定的に0%以上になること」としたため紛糾した。
マネタイゼーションは何を出口とするのか。真珠湾攻撃後のアメリカしか、今のところ参考事例はない。「25年国債の利回りを2.5%に釘付けにする」ことで財務省とFRBが暗黙の合意を結び、戦時中の国債大量発行にもかかわらず金利の低位安定に寄与した。
FRBがこの金利釘付け政策から解放されるのは1951年3月。このときの財務省との「アコード」(合意)は「FRBの独立宣言」と呼ばれる。
しかしFRBの国債残高がピークに達した46年(市場性国債の11.5%)の保有比率は、3カ月物財務省証券(TB)で76%と短期に偏重、長期国債は0.8%に過ぎなかった。実態は長期国債オペによる長期金利釘付けではなく、短期金利「釘付け」による間接的な長期金利安定だったのだ。
この釘付けが成功したのは「戦争が終わればマネタリーベースは抑制される」という期待インフレ率の低さがあったからだろう。バーナンキは「大恐慌」研究の第一人者だけに、彼の「出口」もそこらにヒントがありそうだ。
現にサックはインフレ連動債の相場から計るインフレ期待率で金融政策が決まるという「サック・ルール」でも知られる。サックの起用はここからみても「インフレ目標」への下地ならしと思える。期待インフレ率を押さえ込めるという自信があるからこそ、バーナンキはマネタイゼーションという“禁じ手”にも物怖じしなかったのではないか。
五一年には市場性国債を非市場性国債と交換するボンド・コンバージョンもあった。国債相場の混乱を回避するためだったが、結局、交換に応じた個人や機関投資家は到来したインフレで機会損失を被る。しかし裏返せば、期待インフレ率さえ押さえ込めれば、それを避けることができるのだ。
そこにバーナンキやサックらが「出口」を見ているとすれば、いやいや「非伝統的手段」に追随した白川日銀はどうするのか。(敬称略)
※環日本海6紙のシンジケートコラム「時代を読む」への寄稿
投稿者 阿部重夫 - 09:00| Permanent link | トラックバック (0)

