阿部重夫編集長ブログ「最後から2番目の真実」
手嶋龍一『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』の書評
2008年06月02日 [書評]
FACTA6月号のBOOKレビューに取り上げたこの本に、私自身で書評を書いた。
文中の何篇かが本誌連載コラムに載せたものなのでご縁があるし、先日のFACTAフォーラムでも著者サイン会などを開かせていただいた。ただ、自分の雑誌に自分の書評を載せるのは遠慮して、手嶋氏と一緒にコラム「時代を読む」を連載している新潟日報など地方紙にこれを掲載していただいた。
以下の各紙に掲載されたものです。
5月18日 新潟日報、福井新聞・山陰中央新報
5月19日 東奥日報
5月25日 神戸新聞
5月28日 北日本新聞社
このブログで再録します。
* * * * *
ディプロマシーの崖っぷち
ある晩、源氏物語の雨夜の品定めのように、手嶋式美文がひとしきり話題になったことがある。「ちょっとキザ」「あれはサービス」「凝りすぎじゃないか」……中で一つ、至言と思える評があった。「そんな一筋縄でいかないよ。毒杯のなかに蜜、ドルチェの下に短剣が忍ばせてある。まさに手練手管、文章そのものがディプロマシー(外交術)なのさ」
本書のタイトルがそうだ。人事を尽くした駆け引きの果てに、事が成就すれば乾杯の美酒、さもなくば暗殺の銃弾に倒れて、遺影に微笑を残す。そんなディプロマシーの崖っぷちを、二十九人の人物スケッチで語ろうという企み。真のインテリジェンスとは、そういう危地を生き延びる知恵のことだろう。
文章のディプロマット。手嶋氏はどこでそれを体得したのか。恐らくジャーナリズムの悪徳――常套句からである。「新聞雑誌のどんなに深い澱のなかに埋もれていても、常套句をその夜の闇から救いだそうと、言葉の翼に乗って舞い降りてくる声の襲撃」(ヴァルター・ベンヤミン)から、手嶋氏が織りなす美文もまた無事ではない。その裂け目に一瞬あらわれる毒と蜜こそ、巧言と奸略のディプロマットらしい自画像かもしれない。
手嶋氏は先読みの人だ。巻頭の一編にバラク・オバマを掲げたのは、ヒラリー・クリントンの大統領選撤退近しを待ち伏せてのことに違いない。もしかしたら、未来のオバマ暗殺まで予見しているのかもしれない。沖縄返還交渉の密使、若泉敬のエピローグまで、一見アトランダムに並べたようでいて、この二十九編の群像劇には周到な企みが隠されている。
若泉の掉尾ではっとした。福井に隠棲したこの憂国の士が見せた最晩年の悲憤を、私も知っている。没後訪れた鯖江の遺宅は無人だった。軒上に沖縄の獅子像の瓦。ああ、刹那の光芒。この本の群像は、慷慨のエピファニー(顕現)集ではないか。
投稿者 阿部重夫 - 10:00| Permanent link | トラックバック (0)
