阿部重夫編集長ブログ「最後から2番目の真実」
1957年のグールド
2008年05月29日 [音楽]
過去の自分の文章をちょっと引用させていただこう。日本経済新聞1991年12月21日付朝刊の芸術特集「美の回廊」の文章である。
グレン・グールドは、ひとつの神話だった。演奏をこの目で見、聞いた日本人は数えるほどしかいない。ソニーの大賀典雄社長はそのひとりだ。一九五七年、留学先のベルリンで見た印象を今もありありと覚えている。
「えらくイスを低くして、手長ザルみたいなんだね。ベートーベンの協奏曲三番の長い前奏の間、指揮のカラヤンを尻目に、ピアノの前でタクトを振るように手が舞うんだ。驚いたね。いざ弾き出すと、目のさめるような音で、強烈な欧州デビューだった」(「最後の風景」4 孤独の化身の誘惑)
われながら懐かしい。当時の肩書きは金融部編集委員兼論説委員。それがなぜか「美の回廊」取材チームに投入され、同年12月にカナダのピアニスト、グレン・グールドを取り上げた。大賀氏に思い切って取材を申し込んだのは、ソニー入社前、ベルリン国立芸術大学に留学していたころ、カラヤンとグールドという奇跡の競演を目撃した日本人と聞いたからだ。正直、気安く快く応じてくれたのには驚いた。
こちらはクラシックにまったく素人の記者。それでも、あの忙しい身で30分も時間を割いてくれたのだ。声楽家を志した人だけに、金融記者の背伸びした質問にも、目を輝かせながら答えてくれた。大賀さん、改めて感謝します。
1957年のグールドは、前年にバッハ「ゴルドベルク協奏曲」のレコード・デビューで全世界を驚愕させたばかり。この年、北米出身のピアニストとして大戦後初めて旧ソ連で演奏旅行した後、欧州に帰ってベルリンで巨匠カラヤンと組んでベートーベンを弾いたのだ。大賀氏も言うように「鮮烈な欧州デビュー」だったのに、いくら探しても録音したレコードがみつからない。カラヤンとグールドという二大スターだけに、版権の調整がつかなかったのかと思うとともに、耳にした大賀氏に羨望を禁じ得なかった。
この記事から実に16年半。幻の演奏がとうとう世に現れた。ソニーBMGが「The legendary Berlin Concert」と銘打って、ライブ録音のCDを発売したのだ。録音日時は1957年5月26日、今から51年前である。ジャケットの写真でみるカラヤンも若々しいが、グールドはまるで少年としか見えない。ようやくわれわれも、若き大賀氏が体験した至福を耳にすることができる。そして幻の競演を書き留めた私の文章も、ついに証人を得た気分になった。
さっそくCDを試聴した。原テープはモノラル録音だろう。当時の録音技術ではやむをえないことだが、ホールでライブ録音しているため、残響がこもってオーケストラが時代がかって聞こえる。カラヤンのベルリン・フィルというより、メンゲルベルクのコンセルトヘボウでも聞くような気持ちになる。
大賀氏が言うように、ベートーベンのピアノ・コンチェルトNr. 3はオーケストラの前奏が長い。だんだん不安になってくる。カラヤンって50年代はこんなに古めかしかったのか。ノン・レガートの鋭利なグールドが入ってきたら、水と油ではないか……。
杞憂だった。ピアノのトリルが加わった途端、曲が一変する。ホールが息をのむのがわかった。一音一音が明晰なアーティキュレーション。紛れもないグールドがそこにいた。カラヤンとベルリン・フィルは、あっというまに主役を奪われて、コンチェルトはグールドのものになってしまう。世界がこのカナダの“手長ザル”にひれ伏した瞬間だった。
第2楽章はピアノのソロから始まる。もう独壇場である。怒濤のような第3楽章を終えると、ホールは万雷の拍手に包まれた。錯覚かもしれないが、カラヤンが負けたように聞こえるのはこれが初めてだった。このCDには、このあと演奏されたシベリウスの交響曲が入っているが、いかにもカラヤンらしい色彩豊かで豪華絢爛な演奏である。もちろん、グールドはそこにいない。が、前奏のピアノの音が観客の耳底でまだ響いていたのか、演奏後の拍手は心なしかベートーベンより小さかった。
新しい才能の出現を喝采で迎えたこの夜の観客たちが知るよしもないことがあった。グールドはそれからわずか7年後、コンサート・ピアニストから引退を宣言した。以後、スタジオにこもって平均律やパルティータなどバッハの録音に専念、舞台のグールドを目の当たりにする夢は幻となってしまったのである。
この貴重な一夜を体験した大賀氏のソニーによって、グールド対カラヤンの幻がよみがえったとは何という奇遇だろうか。大賀さんもこのCDを聴かれただろうか。茫々と51年。いまやグールドもカラヤンも世にない。
投稿者 阿部重夫 - 10:00| Permanent link | トラックバック (0)

