阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」
ヘルダーリンを慕いて
2008年01月09日 [コラム]
たまには頭を空っぽにしたい。編集長は四六時中、気苦労している因果な商売だからです。で、このお正月は、DVDと箱根駅伝と三鷹高校のサッカーに明け暮れた。さすがに、これでは痴呆状態だと反省しきりである。
そこで罪滅ぼし。夜、寝静まってから、フリードリッヒ・ヘルダーリンの詩集(川村二郎訳、岩波文庫版)を、ドイツ語の原文と首っ引きで読んでみた。学生時代、保田與重郎の「清らかな詩人」を読んだが、あの朦朧体の文章に目をくらまされて、ヘルダーリンと聞くと、感激性のロマンチスト像しか浮かばない。與重郎の文章は屈折が多すぎるのだ。
カント哲学が実現される、これが夢想であらうか。かくの如く理解したといふことが。ギリシヤは今後ドイツにもなければならない。しかもここに於ける現実との距離、そしてかかる距離に妥協しないことこそ、清らかな詩人の本質である。イロニイもパラドツクスも、しやれも地口も、真の詩人の世界ではそれを手段とすることは許されない。と信じた詩人を誰が侮辱し得るであらう。
一読、文脈がとれない。少なくともディルタイの『体験と創作』を読んでいないと、何に反駁しているのか、さっぱり分からない文体である。與重郎は詩の一行も引用していないから、これを彼のマジックというべきだろうか。
学生時代の印象はわずかに冒頭のエピソードだけ。フランス革命の報を聞いて、チュービンゲン大学の学生だったヘルダーリンやへーゲル(二人は学寮で同室)、そして後輩シェリングらが広場に「自由の木」を立てて、ラ・マルセイエーズを歌い踊ったというのだ。これとて、実はディルタイからの孫引きであり、だからどうした、と言いたくなる。
「ヒュペーリオン」も「エンペードクレス」も訳文で読んでみたが、どうもぴんと来ない。最悪だったのはヘルダーリン研究が専門の手塚富雄の訳詩を読んだことだ。リルケの翻訳でもそうだが、いかにもドイツ文学でございといった、やたら振りの大きな手塚の措辞(一部は訳者のせいでもある)に辟易して、尻に帆をかけて逃げ出した。
それから何年たったろう。本屋で表紙に「ディオティーマの恋文」とある古本を目にしたのがきっかけかもしれない。あ、ヘルダーリン、と思ったが、買わずに書棚に戻した。次に探したときには、もう影も形もなかった。あれを買う奇特な人もまだいるのか、と再び驚き、この詩人が急に気になり始めた。
ディオティーマとはプラトンの「饗宴」に出てくる女性の名だが、ギリシャに惚れていたヘルダーリンは、「ヒュペーリオン」の主人公が恋する女性にその名を与えたのだ。そのモデルはヘルダーリンがフランクフルトで家庭教師をつとめた銀行家の妻で、淑やかさと気品と古典的な美貌の持ち主だったという。
かくわれらは地上をさすらひぬ。かの北風、
愛するものの怨敵の悲しみを誘い
木の葉枝より落ち、風雨は荒ぶとも
われら静かにほほゑみてしたしげに語り合ひ
魂の歌を合せて、かたみに睦びあひ
幼な児のごとく愉しく、われらの神を感じたりき。
(ディオティーマを悼むメノンの嘆き)
伝記的な興味だけではない。昔から不思議でならないことがあった。ひとつは第一次大戦の開戦とともに親友が恋人と自殺してしまったヴァルター・ベンヤミンが、亡き友のために書いた批評文は、ヘルダーリンの詩「臆病」とその原作の比較論だった。あれはいったいなぜなのか、という疑問である。大戦前の「昨日の世界」があっけなく崩壊して、一生にして二世を経ることになったベンヤミンが、ヘルダーリンの神話(ミュトス)に何を見ていたのだろうか。
もうひとつは、ナチスに加担した悪名高い哲学者ハイデガーが、フライブルク大学総長就任式で「ハイル・ヒットラー!」の挙手礼を求めながら、わずか1年で辞任して引きこもり、ヘルダーリンの講義をはじめたこと。レームら突撃隊の粛清で失望し、ナチスに距離を置いたこの「狡猾な哲人」がなぜ、ヘルダーリンに回帰し、稠密な解釈を続けたのか。
生まれざらんこそこよなけれ。生まれたらんには生まれし方へ急ぎかへるこそ願はしけれ。(ソフォクレス)
1934年以降のハイデガーは続いてニーチェ研究に打ち込む。その必然性が今ひとつ腑に落ちない。日本回帰の前にまずドイツのロマンティカーに憧れた與重郎ら日本浪漫派は、その屈折をどこまで理解できたのだろうか。ハイデガーの謦咳に直接接することのできた九鬼周造は、日本でこの転回をどう見ていたのだろうか。
そこで、ヘルダーリンを読み直してみようと思った。ついでにハイデガーのみならず、ディルタイやグンドルフのヘルダーリン論も読んでみた。いや、與重郎の「英雄と詩人」も九鬼周造の「偶然性の問題」も読み直してみた。ヘルダーリンの後半生は狂気に閉ざされた。ネッカー川のほとりの「ヘルダーリンの塔」に幽閉され、白いとんがり帽をかぶった姿が窓辺にちらついたという。
かつて私は広き野の泉のほとり、常春籐のからむ岩陰、蔽ひかぶさる藪のもとに坐してゐたことがある。それは私が知ってゐるうちで最もうららかな昼であつた。そよ風は吹き、故郷を偲ばす大気の中に日光が静かに微笑してゐた。人々は昼休みの食事にかへり野良には人影もなかつた。私の愛は春ととものただひとりで居た。そこはかとないあこがれが胸に湧いて来た。「ディオティーマよ」と私は叫んだ。「何処にゐるのか。おお何処にゐるのか。」(ヒュペーリオン)
ヘルダーリンとは何者だったのか。にわかハイデゲリアンだけに、まだ結論は出ない。
投稿者 阿部重夫 - 09:00| Permanent link | トラックバック (0)

