阿部重夫編集長ブログ「最後から2番目の真実」
田淵節也氏と青木昌彦氏
2007年11月01日
1日から野村證券元会長の田淵節也氏の「私の履歴書」の連載が日経で始まった。取材等でお世話になった。思い出したのは、日経ビジネスで4回連載のインタビューを載せたことである。証券不祥事などで国会に呼ばれ、苦労したあとだったが、さまざまな苦悩を洗い流したような静かな表情が忘れられない。
今回の履歴書でも、初回から食道がん手術2回、目の下の腫瘍に放射線治療したことを書いている。あのゆっくりした口調そのものの淡々とした文章だ。
最後にお会いしたのは何年前だろうか。笹川平和財団の定期刊行物に田淵さん自身がインタビュアーになるコラムがあって、私がインタビュイーになるという、いつもとは逆の立場になった。日産ゴーン論などを語ったのが恥ずかしい。そのお礼に行ったのが最後で、ご病気とうかがって遠慮したままになっている。近況の写真が元気そうなので安堵した。
田淵氏も書いているように、昨日連載が終わったスタンフォード大学名誉教授の経済学者、青木昌彦氏の「私の履歴書」は出色だった。60年安保の全学連のエピソードが面白い。故唐牛健太郎とあんなに親しかったのかと驚いた。
先月19日、履歴書を手伝った日経の元編集委員のパーティーで青木氏の顔をお見かけした。いつ書くかと最後まで期待したのが、桐島洋子氏とのエピソードである。あれだけ全学連時代のことを率直に書くのだから、新藤兼人が愛人乙羽信子を書いたように書くのかなと思っていたが、結局肩透かしだった。
エコノミストの大半はそれを期待していたのではないか。でも、やはり相手が生きていては書きにくいのだろう。今の奥さんに気兼ねした、とも漏れ伝わってくる。
自叙伝は常にヴェールに包まれる。残念だが仕方がない。
投稿者 阿部重夫 - 14:59| Permanent link | トラックバック (0)
