阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」
9月号の編集後記
2007年08月19日 [編集後記]
FACTA最新号(9月号、8月20日発行)の編集後記を掲載します。
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男爵(バロン)エリーの訃報が届いた。90歳、アルプス山麓の狩猟用ロッジで心臓発作に見舞われたという。姓はフランス語でド・ロチルド、英語でロスチャイルド。言わずと知れたユダヤ系財閥の一員、フランスで栄えた分家の4代目である。家業を継いで金融家(フィナンシェール)となったが、その情熱は大戦で荒廃したワイナリー「シャトー・ラフィット」の再興に注がれた。かつてルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人が愛飲したそうで、ボルドーワイン好きなら、必ずや舌鼓を打つメドックの第1級ブランドである。
▼かれこれ12年前になる。エルサレムで男爵と同席した。旧市街の「ダビデの塔」を借り切った豪勢なパーティー、シオンの丘を望む野外のテント……。夏風のそよ吹く日陰で見た彼のシルエットが思い浮かぶ。大きな円卓が幾つもあり、背中合わせで目と鼻の先の貴賓席にいた。隣席の知人が「あれがバロンだ」と囁く。ちらと目をやると、矍鑠(かくしやく)とした老人が談笑していた。「コルディッツの生き残りなのさ」と知人が教えてくれた。
▼1940年、ドイツの電撃侵攻でフランス軍は総崩れとなり、将校だった彼はベルギー国境で捕虜になった。その姓は致命的だ。脱走を図ったが失敗、脱出不能と言われたコルディッツ(映画『大脱走』のモデル)に放り込まれる。彼には幼馴染の恋人がいた。ウィーンのユダヤ系財閥、フールド=シュプリンガー家のリリアンである。エリーは明日をも知れぬ身で収容所から彼女に結婚同意書を送った。42年、リリアンは母の反対を押し切り新郎不在のまま婚姻届を出した。
▼彼がガス室に送られず、生き延びたのは、ナチスに莫大な身代金を払ったからと言われる。ウィトゲンシュタイン家もそうだが、命乞いに資産を差し出して助かったユダヤ人もいたのだ。そんな歴史を聞かされて、エルサレムでは男爵に声をかけそびれた。実はこの席にもう一人のロスチャイルドがいた。ロードの称号を持つ英国分家の嫡男ジェイコブである。「英仏の当主が一緒なんて、戦後初めてじゃないか」と先の知人が言う。
▼2人を観察してみた。会話はおろか、目で挨拶すらしない。といって、避けるでもない微妙な距離。ワインのライバルだからか。英国分家は19世紀に「シャトー・ムートン」を買っている。公式格付けでは2級だったが、エリーの父の肩入れで改良を重ね、73年に奇跡的な1級昇格を果たす。ラフィット対ムートンの見えざる火花、そこにユダヤ人の屈折が透けて見えた。さて、男爵の冥福を祈って、どちらのボトルを開けようか。
投稿者 阿部重夫 - 06:00| Permanent link | トラックバック (0)

