阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」
ある訃報
2007年03月23日
作家の城山三郎氏の訃報が届いた。
著名人なので、各紙とも評伝を載せている。それらと競う気はないが、故人を静かにしのんで、一言だけ付け加えたい。城山氏と最後にお会いしたのは、もう4年前になる。
経営評論家で「選択」創業者の飯塚昭男氏が亡くなり、護国寺で行われた葬儀に出席され、弔辞を自らお読みいただいた日をきのうのように覚えている。
弔辞は原稿用紙に書かれ、「最後の原稿をお届けします」の言葉で結ばれた。奥様を亡くして体もすこし弱っていた時期だったろうか、針金のように痩せて顔にも深いしわが刻まれていた。それでも凛として背筋を伸ばしておられた姿が忘れられない。
彼の著作を経済小説と呼ぶのは躊躇する。たまたま材を経済人にとっただけで、今はもう稀少になった理想を描く小説、気骨の人を追う小説だったと思う。葬儀の始まる前、しきりに特攻隊のことを語っていた。城山氏は最後まで国に殉じた彼らの残像のもとで生きていたのだと思う。
ときにそれが激語となったが、その語り口は常にある静謐さをたたえていた。
もうひとつ訃報が届いた。古巣の日経で整理部時代に世話になった先輩、白取時男氏である。私個人にとって忘れられない人である。
青森出身で朴訥な人だった。カラオケが上手で、渋い喉を鳴らしていた。未明の職場の酒盛りで、たまたまとれたてのイカの旨さに話が及ぶと、故郷の町で売りに来るイカを、津軽弁に身ぶり手振りをまじえ、語っていた様子が目に浮かぶ。
最近、消息を聞かず、年賀状も来ないので心配していたが、春の風のように訃報が舞い込んできた。
彼ら亡き人々に何を手向けようか。リルケが1907年、ティレニア海のカプリ島で書いた詩「春の風」を捧げよう。
この風とともに運命が来る。
来させるのがよい、むやみに暴れるものよ。
われわれはそれによってもえるだろう。
(そっとして、動くな、われわれがみつかるように)
おお われらの運命はこの風とともに来る。
どこからともなく、この新たな風は名づけようのない物たちを背負って揺らぎつつ、
海を越えてわれわれの存在を運んでくる。
……そうであったらよいのに。そうならわれわれは安住を得られようのに。(空がわれらの内部で上昇し、下降するであろうに)
けれどもこの風とともにいくたびとなく
運命が圧倒的にわれらを越えてゆく。
<注>詩に誤字があったので修正しました。
投稿者 阿部重夫 - 11:05| Permanent link | トラックバック (0)

