阿部重夫編集長ブログ「最後から2番目の真実」
タルコフスキー4――ディラン・トマス
2006年06月27日 [タルコフスキー]
わが知り合いのポルトガル・ファンが怒っていた。オランダは汚い、と。退場だらけの荒れた試合で、おそらく次にあたるイングランドには負けてしまいそう。
本日無料公開するFACTA最新号の記事は、「進学塾トーマスが躓いた映像配信」。上場企業が蜜月だったベンチャー企業のシステムを採用したはいいが、そのあとでトラブルになっている事例は、いい教訓になると思う。
さて、誰かに言われたことがある。このブログの開始早々、書いていた旧ソ連の映画監督タルコフスキーの話、尻切れになっていますが、続きはまだですか、と。忙しさにかまけていたが、続きを書く前に、書き残したことにちょっと触れておきたい。
タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」のリメーク版「ソラリス」(スティーブン・ソダーバーグ監督)に失望したと書き、そこで引用された英国ウェールズの詩人ディラン・トマスの詩の引用がとってつけたようで納得がいかないと書いた。詩をくさしたのではない。挽歌として、あるいは弔辞として、あれはいい詩だと思う。ただ、それを得々と引用するソダーバーグの”クサさ”が嫌だったのだ。
詩はAnd death shall have no dominion「そして死は覇者にあらず」である。懺悔をこめて、ここに原文の初聯を引用しよう。以前、引用したタルコフスキーの父アルセーニの詩と読み比べてほしい。
And death shall have no dominion.
Dead men naked they shall be one
With the man in the wind and the west moon;
When their bones are picked clean and the clean bones gone,
They shall have stars at elbow and foot;
Though they go mad they shall be sane,
Though they sink through the sea they shall rise again;
Though lovers be lost love shall not;
And death shall have no dominion.
2-6行目は中原中也の詩「骨」を連想させる。
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて
しらじらと雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
ディランの詩はは一連の反語が並べられている。気がふれたけど、正気にかえる。水底に沈んでも、身は天にのぼる。恋人たちは失われようと、愛は失われない。だから、死は覇者ではない、というのだ。
ここでリフレーンが利く。こういう辛い慰めの詩をジョージ・クルーニーが朗読しては幻滅する。それを前回言い忘れた。
投稿者 阿部重夫 - 06:44| Permanent link | トラックバック (0)
