阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」
別の顔のハイエク5――清水幾太郎のデジャヴュ
2006年03月31日 [ハイエク]
衛星放送「朝日ニュースター」の番組前の打ち合わせで、木村忠正キャスターが「ウェブ進化論」について「私にはデジャヴュ(既視)ですね」と語っていた。戦後、何度も繰り返された「アカルイ未来」の最新版に見えるという。未来学、機会社会、知価社会……バラ色の明日を語って、苛烈な暗部に目をつぶる。人は見たいものしか見ない、というウィッシフル・シンキング(希望的観測)の典型で、これもハイエクが発見した「無知のブラックボックス」のひとつと言えるだろう。
そのアンチテーゼというべき「国家の品格」にも、私はデジャヴュを感じる。結局、筆者の藤原正彦氏が言いたいのは、倫理のないところに品格はないというごく当たり前のことで、それを日本人論というかたちで訴えたのだと思える。よくある老成世代が若者を叱る小言というだけではない。倫理や道徳、惻隠の情といった古めかしい言葉に、ああ、またかというデジャヴュを覚えるのだ。だが、倫理とは何なのか。藤原氏のように今さら武士道を持ち出すなんてアナクロだ、と言ったとたん、それに答えることは容易でなくなる。
思いだすのは、1968年から5年近く、岩波の「思想」という雑誌に断続的に連載されていた論文シリーズである。「倫理学ノート」という奇妙なタイトルで、筆者は清水幾太郎だった。戦前はマルクスボーイで三木清の昭和研究会にも加わった人だから、その「哲学ノオト」を意識したのだろう。60年安保で全学連支援のアジテーターとして一世を風靡し、学生運動が退潮すると「右転回した」と言われた。毀誉褒貶の多いインテリである。知らない人もいるかもしれないが、才気が勝ちすぎて脱線した勉強家の岩波知識人、とでも評すればいいのだろうか。
当時も学園紛争の時代だから、なぜことさら倫理を持ち出すのか、と違和感を覚えたが、その書き出しが奇妙な場面から始まったので、いつまでも気になった。「雇用・利子および貨幣の一般理論」の経済学者ケインズと、「チャタレー夫人の恋人」の小説家D・H・ロレンスの、生涯一度きりの邂逅というエピソードである。
邂逅は第一次世界大戦が始まる1914年、ケインズの本拠である英国のケンブリッジであり、哲学者のバートランド・ラッセルが立ち会った。炭坑街出身のロレンスは、ケンブリッジの鼻持ちならない特権知識人に虫酸が走ったらしい。ケインズはその権化と見えたから、ロレンスは憮然としてろくに言葉も発しなかった。困ったケインズとラッセルはとりとめもない話で間をつなぐ。その気まずさはケインズの側にも忘れがたい記憶を残した。
藤原氏が心酔したあの蝋燭ゆらめくディナー・ルームに、英国人ですら誰もがうっとりするわけではないことの証明である。ロレンスの手紙は呪詛に満ちている。
彼らは、自分自身の堅い小さな殻に閉じこもって、そこから喋っているのです。一瞬の感情の発露もなければ、一片一粒の敬虔な気持ちもありません。私には我慢ができないのです。(中略)彼らは蠍(さそり)のように咬みつく油虫を思わせます。しかし、私は殺してやりました。――非常に大きいやつです。私が潰したら、逃げました――しかし、追いかけて殺してしまいました。
もちろん比喩である。この「大きい奴」が実はケインズではなかったかと思う。ケインズの知人にあてた最後通牒でも、画家のダンカン・グラント、ケインズ、F・ビレルらがみな「油虫」扱いされている。ロレンスはケインズとの邂逅を「苦痛、敵意、憤怒で私を狂気のようにさせた」と述懐しているのだ。清水幾太郎はそこから、当時のケンブリッジ知識人が信奉していたG・E・ムアの「倫理学原理」批判に論をひっぱっていく。巧みな書き出しで、アジテーターの面目躍如である。
しかしロレンスの異常なほど激しい反発は、今日では理由がわかっている。ケインズやグラントらはホモセクシュアル(後に結婚してバイセクシュアルになるが)であり、ケンブリッジ内に漂う妖しい雰囲気にロレンスは耐えられなかったのだ。チャタレー夫人のモデルと言われたフリーダと同棲し、「血と性のミスティシズム」にのめりこんでいた彼は、扉越しにちらりとみた男と同衾するケインズの姿に吐き気を催したらしい。
1960年代末のケインズはまだ神格化されていたから、清水幾太郎もそういう機微は知らなかったろう。今読めば退屈で読むに耐えないムアの「倫理学原理」が20世紀初頭に果たした役割は、後年のケインズが言うように「私たちの文明を内部から蝕み、今日の道徳的堕落を招いた蛆虫」であるベンサム主義(功利主義)からの解放だった。
善=美的享受というムアの唯美主義的倫理によって、ケインズらの世代は慣習、道徳、伝統を踏みにじり、義務も制裁も存在しない「インモラリスト」になることができた。ホモセクシュアルもそういうインモラルの実践である。しかし第一次大戦を経て間戦期のケインズは政治的に不遇のエコノミストとして成熟し、「一般理論」を書いたあとの1938年には、当時の唯美的インモラルの危うさを自覚するにいたる。
野性的パッションのリアリティも価値も無視して、溶岩の表面を跳躍する皮相な合理主義……。1914年、ロレンスが自分たちのことを駄目だと言ったのには一片の真理があった。
「国家の品格」は、総需要政策によって資本主義の危機を救おうとしたケインズのこの自省を見ていない。功利を追求する「快楽機械」(pleasure machine)として人間をとらえるベンサム主義は、ホモ・エコノミクスというモデルを根源に持っている。そこからの脱出を夢見た若きケインズらの「インモラリスト」が、所詮はビクトリア朝のスノビストの延長線を出られなかったという反省の上に「一般理論」があるなら、藤原氏の考えるケインズ像はベクトルが逆ではないか。
蛆虫を嫌った油虫。その油虫を嫌った野人。「国家の品格」が片方をこきおろして片方を賞賛するのは、的はずれと思える。むしろ、ロレンスの単なるホモ嫌いを、20世紀の倫理の問題に敷衍しようとした清水幾太郎の強引な論法のほうが、いまは切実に思えないか。それが私のデジャヴュである。
投稿者 阿部重夫 - 06:00| Permanent link | トラックバック (3)

